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第六十二話 静川村(伍)

綾乃、夜叉、そして

大蛙の腹の中から現れた男。


三人は、崩れかけた館の中庭へと戻って来ていた。


夜気は、不気味なほどに静まり返っている。

先ほどまで屋敷を満たしていた怨嗟の気配は、まるで最初から存在しなかったかのように、跡形もなく消え失せていた。


どうやら

この屋敷に縛られていた家族や使用人たちの霊は、

呪詛が断たれたことで、皆、しかるべき場所へ旅立ったらしい。


中庭には、風に揺れる草の音だけが残されていた。


中庭に訪れた静寂は、

この屋敷にとって、長い長い夜の終わりを告げるものだった。 


「どう? さっきよりは、臭い……マシになったかしら?」


夜叉はそう言って、手拭いで口元を覆う。

その仕草はどこか上品だが、目元にはまだ警戒と疲労の色が滲んでいる。


「それにしても……この男の身体は、一体……」


綾乃は言葉を濁し、視線を伏せたまま、蛙の腹から現れた男の姿を見やった。


「……これは、呪いですね」


夜叉が、低く断じるように告げる。


「以前、呪いによって……身体の内側から、ゆっくりと腐れていく男を見たことがあります」

「その男は、ありとあらゆる医者を訪ねましたが……一向に、良くなりませんでした」


夜叉の声は淡々としていたが、その奥には、忘れ難い記憶の重みが滲んでいた。


「彼を救う唯一の方法、

 それは、呪いの根源を断つこと。……ただ、それだけだったのです」


「……それで、その男は、救われたのか」


綾乃の問いに、夜叉はわずかに首を振る。


「呪いの根源というものは……そう容易く、断ち切れるものではありません」

「その男は……ひと月、苦しみ抜いた末に……亡くなりました」



「……はぁ……」

綾乃は、重く息を吐き、再び男へと視線を戻す。


そこにあったのは

もはや、人の身体とは呼び難い惨状だった。


全身を覆い尽くす、無数のイボ。

腫れ上がった肉は不規則に脈打ち、

まるで今にも、内側から破裂してしまいそうなほどに膨れ上がっている。


それは生きているというより

呪いそのものが、人の形を借りて蠢いているかのようだった。


「はぁ……はぁ……」


男は荒い息を吐き、喉を震わせながら名乗った。


「わ、ワシは……」

「この屋敷の主……川洲頼重と、申す……」


その言葉の途中


ブチュッ。


湿った音とともに、ひとつ、またひとつとイボが弾けた。


白い芯。

鼻を突く、赤黒い膿。


それが、皮膚を破って噴き出す。


「一年前から……ワシの家は、呪われ……」「い、今では……こ、この、有様じゃ……」


「い……痛い……ッ!!」


頼重は、地面に爪を立て、必死に掻きむしる。


「焼けるように……熱い……!!」


歪んだ顔で、震える声を絞り出す。


「わ、わしは……今日まで……蛙に、なっておった……」

「恐らく……家族や……使用人を……皆殺しに、したのも……」


喉が詰まったように、言葉が途切れる。


「蛙となった……この、わしじゃ……!」


その告白に、綾乃は息を呑む。


「……あなたは、一体、何の呪いを受けたのです!」


夜叉の問いは鋭かったが、

頼重に答える余裕は、もはや残されていなかった。


「グッ……!!」

「ガアァァァァァ!!」


ビチュ!! ビチュ!!!


膿を撒き散らしながら、

頼重は中庭の石畳の上で、獣のようにのたうち回る。


「はぁ……はぁ……!」



「お、お主ら……」

「呪いの類いにも...精通した……手練と、見た……」


震える手を伸ばし、声を絞り出す。


「……頼みが、ある……!」


「どうか……わしを……」

「わしを」


「ほ静川村へ、連れて行ってくれい!!」


掠れた叫びが、中庭に響いた。


「あそこが……呪いの、元凶なんじゃ……!

 頼む……頼む……!!」


次の瞬間!


「グガアァァァァ!!」


肉が、再び弾けた。


ビチュッ! ビチュッ!!


飛び散る膿。鼻を突く腐臭。

それは、人が呪いに喰われていく、その生々しい“証”だった。


 


夜叉は一歩引き、困ったように肩をすくめる。


「静川村に連れて行って差し上げたいのは、山々なのですが……」


「うーん、このかたを、どうやってそこまで運べばよいのじゃ」


綾乃が眉をひそめると、夜叉はふと思いついたように微笑んだ。


「あなたの、お狐様などは、いかがかしら」


「それはダメじゃ! お前と一緒で、蛙を見るなり、そっぽを向いて帰って行かれたから」


即答だった。


「……おい、お主ら……」


苦悶に歪んだ顔で、頼重が震える指を伸ばす。


「あの蔵に金なら、いくらでもある……それで、人を雇って……

 ぐふっ……わしを、運ばせよ……!」


そう言って、彼は屋敷の一角に建つ、堂々たる蔵を指さした。


―――


「……こ、これは……なんと雅な!!」


蔵の扉を開け、油灯を掲げた瞬間、夜叉は思わず声を上げた。


小判の山が、黄金の波のようにきらめいている。

頑丈な木箱から溢れる金、整然と積まれた銀塊。

家名を記した俵や大甕が並び、梁の影には豪奢な甲冑まで飾られていた。


この財が、力と支配に守られてきたことを

蔵そのものが、無言で物語っている。


 


「これなんか見て、綾乃!!」


夜叉は、色とりどりの反物の山に飛び込み、目を輝かせる。


「まあ、とても素敵ですわ! あら、これも綺麗なこと!」

「これは、綾乃に似合いそうですわね!」


まるで別人のようにはしゃぐ夜叉に、綾乃は苦笑した。


「夜叉にも……そんな一面があったとはな」

「あら! 私だって、まだ女盛りですのよ?」


くるりと振り返り、夜叉は胸を張る。


「知らなかったのですか?」


蔵の奥で煌めく財宝と、血と呪いの気配。

その不釣り合いな光景の中で、夜叉の笑顔だけが、妙に眩しく見えた。


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