表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/89

第六十話 静川村(参)

「……すみません。鍵は、お預かりします」


静かな声でそう告げ、夜叉は動かなくなった権治の腰元に手を伸ばした。

古びた鍵束を外し取ると、代わりに用意していた報酬の五百文を、丁寧に彼の懐へと滑り込ませる。


義理は、果たした。


ガチャリ、と乾いた音が夜気に響く。

夜叉は玄関の鍵を回し、そのまま扉に手を掛けた。


「行きますよ、綾乃」


「……しょ、正直……心が、しんどい……」


絞り出すような綾乃の声に、夜叉はふっと小さく息を漏らす。


「あら。可愛らしい」


口元だけで微笑み、横目でちらりと綾乃を流し見る。その視線には、からかいと、ほんのわずかな気遣いが滲んでいた。


――ギイィィィィ……!!


重く、嫌な音を立てて、扉が開く。


夜叉は迷いなく一歩を踏み出し、玄関の闇へと身を沈めていった。


綾乃ははっと我に返り、慌てて後を追う。

結界から夜叉の身体がはみ出さぬよう、必死に距離を保ちながら。


ーーーー


闇の家へと、二人は音も立てず足を踏み入れた。


屋敷の内部は、外界から完全に切り離されたかのように暗く、

窓から差し込むはずの月光すら、一本たりとも届いていない。


闇の中で頼りになるのは、夜叉の手に揺れる行灯の橙色の灯と、

綾乃の張り巡らせた結界が放つ、淡く青白い光だけだった。


カサササササ。

   カサササササ。


四方八方から、乾いた音が走る。


床下、壁際、天井裏。

 無数のネズミが、闇を這い回っているのが気配だけで分かった。


「……やはり、妙だ」


低く呟いた綾乃の声に、夜叉が振り向く。


「どうしたのです?」


「この屋敷の領主が殺した身内や使用人たちの霊は……」

「すべて中庭に集められている。屋敷の中に“霊”そのものは存在しない」


「では、この重苦しい気配は……?」


夜叉は確かに感じていた。

肌にまとわりつくような粘ついた空気。

だが、それが“何”なのかを、視覚ではまったく捉えられない。


「霊ではない」

 綾乃の声が、わずかに強張る。

「ここを支配しているのは……呪詛だ」


「呪詛……? それは一体どこに?」


「.......そこら中に.....湧いている!!」


霊体を見る眼を持つ綾乃には、それがはっきりと見えていた。


廊下の床板の隙間から。

障子の向こうの濃い闇から。

天井と壁の継ぎ目、その影の奥から。


ゆっくりと、

人の手を模した怨念が、這い出してくる。


「……っ!」


空気が歪み、結界が悲鳴を上げた。


ギシ、ギシ……。


「な、なに……?」


異変を察した夜叉が、息を呑む。


「まずい……!」

綾乃は歯を食いしばり、叫んだ。

「結界を破壊する気だ!!」

「夜叉! 面を被って!! お願い!!」


「ふぅ〜〜……」


夜叉は一瞬だけ肩を落とし、苦笑を浮かべる。


「……やっぱり、こうなりますよね!!」


能面をゆっくりと顔に当てる。


次の瞬間!!


「ギイャァァァァァァァァ!!!」


鬼の咆哮が、闇を引き裂く。


タタタタタタッ!!

バシュッ! バシュッ! バシュバシュッ!!


結界に到達するより早く、夜叉の出歯包丁が閃いた。


無数に伸びる怨念の手が、次々と斬り裂かれていく。


夜叉は、能面の眼孔越しに“それら”を見ていた。

霊体は、個ではない。

ひとつの巨大な塊として。


「邪魔だぁぁぁぁっ!!」


切り刻まれた怨念が、黒い霧となって霧散する。


その背後で、綾乃はすでに動いていた。


指を組み、狐の窓の印を結ぶ。

そして、静かに息を吹きかける。


ふわり、と光が舞った。


次の瞬間、綾乃の前に現れたのは

金と銀、二匹の狐。


「お狐様……!」

綾乃は深く頭を下げ、叫ぶ。

「どうか、助太刀してくだされ!!」


応えるように、二匹の大狐が咆哮した。


鋭い牙が、呪詛を噛み砕く。

鋼のような爪が、怨念を引き裂く。


それと同時に、綾乃も結界の印を解き、腰の短剣を引き抜いた。


バシュッ!

バシュバシュッ!!

ズバァッ!!


夜叉の刃と、狐の神威、綾乃の短剣

 三つの力が交錯し、闇の家は完全な戦場と化していた。


やがて

 伸びてくる呪詛の数が、目に見えて減り始める。


「っ!」


その異変に、綾乃がふと顔を上げた。


「あの……一番奥の大広間から……」

 一瞬、息を呑み、

「恐ろしいほどの邪気が、発せられているみたいだ!!!」


確信を込めて、言い切る。


「この呪詛の源が……あの奥にいる!」


その時だった。


奥の闇から、湿った音が転がってくる。


「……ゲコ」

「ゲコ……」


場の空気が、一気に張り詰める。


夜叉。

綾乃。

そして、金と銀の二匹の大狐。


全員が同時に、奥の大広間へと身構えた、次の瞬間!!


ドガァァァァァーーーッ!!


障子が爆ぜるように吹き飛び、木片が宙を舞う。


闇の奥から、巨大な黒い影が、のそりと姿を現した。


その大広間には、大きな窓が幾つもあった。

割れた障子の向こうから、月明かりが差し込む。


「……ゲコ」

「ゲコ……」


ぬらり、と光る双眸。


月明かりが差し込み、

黒い影をまとっていた闇の輪郭が、少しずつ削ぎ落とされていく。


そして


ついに、その“正体”が露わになった。


それは、大蛙だった。


人の背丈を優に超える巨体。

緑と赤が混ざり合った、ぬめつく皮膚。


全身を覆うのは、無数のイボ。


そのいくつか

いや、数十個ものイボが、破れ、裂けていた。


裂け目から垂れ落ちるのは、

血と膿が混じった、濁った液体。


そして、その中心から

芯のような、白く細長い“何か”が、

ずるり、とぶら下がっている。


「…………」


言葉が、誰の喉からも出てこなかった。


月光を浴びて、蛙の腹が上下する。

湿った呼吸音が、屋敷に響いた。


「……ゲコ」

「ゲコ……」


それは、生き物の鳴き声というより

呪詛そのものが、喉を震わせている音だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ