第五十七話 斬黒と蛇楽(肆)
「これより、刑を執行する!」
役人の号令が刑場に響き渡る。
続けざまに、太鼓を叩くような鋭い声が飛んだ。
「はじめいッ!!」
一瞬にして、場の空気が張り詰めた。
奉行所の役人も、柵の向こうの村人たちも、
誰もが蛇楽の首筋へと視線を集中させる。
斬黒が静かに息を吸い込み、刀を抜いた。
白装束の背で風がたなびき、光る刃が天を切り裂く。
バシュッ!!!
鋭い音が刑場全体を貫いた。
しかし次の瞬間、ざわめきが広がる。
「……え?」「首が……落ちてない?」
誰もが息を呑んだ。
落ちるはずの首は、どこにもない。
代わりに地面へ落ちたのは、
蛇楽を拘束していた縄だった。
スパァン、と真っ二つに裂けた縄が、白い砂の上に散らばる。
「な……何をしておる、斬黒!!」
役人たちの顔がみるみる青ざめる。
予想もしなかった“反逆”が、正午の光の中で鮮烈に浮かび上がっていた。
「斬黒ッ!!!」
権太が顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「初仕事を前にうろたえたか! 早う仕切り直せ!!」
続いて、伝吾が椅子を蹴るように立ち上がり、怒鳴った。
「もうよいわ。こんな青二才を、首切り人に据えるからいかんのじゃ。
早く代わりの者を連れてこい!」
村人たちの間にざわめきが広がる。
蛇楽の縄が斬り落とされた、それだけで場の空気は完全に騒然としていた。
その混乱の只中で。
斬黒は一歩前へ出た。
そして、村人にも役人にも届くよう、腹の底から声を張り上げた。
「善人の命は、重いッ!!」
刑場が、一瞬で静まり返る。
「重すぎてなぁ……おいらの刀じゃ、切れねえ!!」
斬黒はゆっくりと刀を掲げた。
光を受けた刃が、ぞわりと妖気を放つ。
「おいらが斬れるのは、せいぜい、命の軽い……悪人だけよ!!」
その宣告に、伝吾と権太の顔から血の気が引いた。
斬黒は妖刀を天へ突き上げ、刃先に宿る禍々しい光を見せつける。
これは、“処刑人”ではなく“裁き”の宣告。
伝吾が喉を震わせ、叫んだ。
「こ、こやつ……気が触れおった!
皆の者、出会え! であえぇッ!!」
その号令と同時に、館の奥から役人たちが雪崩のように飛び出してきた。
腰の刀を一斉に抜き放ち、斬黒へ向けて殺気の波が襲いかかる。
「おおおおッ!!」
だが斬黒は、動じなかった。
次の瞬間。
シュバンッッ!!
目にも止まらぬ居合の閃光が走る。
一歩、また一歩と踏み込むたびに、役人が吹き飛び、地に転がる。
「ば、化け物かこいつ……!」
「近づけねぇ!!」
だが多勢に無勢。
切り伏せても切り伏せても、まだ周囲から湧き出すように役人が押し寄せる。
ついには、斬黒を中心に円を描くように、
何十人もの刃が向けられた。
(ちっ……数が多すぎる!)
斬黒の額に、初めて汗が滲む。
刀を握る手が、わずかに震えた、
その瞬間だった。
「やめてぇぇぇぇ!!」
怯えてばかりだった蛇楽が、
いま、白布を投げ捨て、肺の底から叫んだ。
その声は、刑場の空気そのものを震わせた。
刃を構えていた役人たちでさえ、思わず動きを止める。
そして、光が、溢れた。
「……なっ」
蛇楽の身体から立ち上った淡い光は、
形を変え、半透明の“蛇”となって空へと舞い上がる。
白く、淡く、揺らめきながら増えていく。
美しいのに禍々しい、“幻蛇”。
幼き頃に助けた白蛇
その加護を受け継ぐ、蛇楽の本来の血筋が目を覚ましたのだ。
「なんじゃありゃあ!!」
「も、もののけじゃ!! あの娘……恨みのあまり妖と化したんじゃ!!」
民衆の悲鳴など関係なく、
幻蛇たちは一斉に役人へと襲いかかった。
足元からヌルリと絡みつき、
跳ねても払っても、半透明の身体は掴めない。
「ぐっ……動け、ぬ……っ!」
「ひ、ひいい!なんじゃこの妖術はぁ!!」
次々と動きを止められ、倒れていく役人たち。
その中を、斬黒だけが静かに歩く。
まるで、選別する死神のような足取りで。
斬黒の目が見ていたのは、役人の着物に縫いつけられた“名札”。
裏帳簿と一致する名を、ひとつ、またひとつ探し出す。
「……見つけた」
斬黒が足を止めた。
「木次平蔵。五俵横領――」
妖刀が唸りをあげる。
ザシュッ!!
「二宮勘太郎。十二俵横領――」
ズバーーーッ!!
「笹島泰介。八俵横領――」
ザシューーーッ!!
幻蛇に拘束され、逃げられぬ役人たちを、
斬黒は淡々と、帳簿に名のある“悪人”だけを斬り伏せていく。
そして、刀に付いた血はすべて妖刀に吸い込まれた。
「み、見ろ……刀が……血を吸うておる……!」
「ひっ……あれも化け物だ!二人とも化け物じゃぁぁ!!」
民衆は、膝から崩れ落ちる。
その光景はもはや、処刑でも裁きでもない。
人の姿を借りた“天誅”そのものだった。
やがて、斬黒は伝吾と権太の前に立つ。
「おいら達は化け物じゃねえ……」
ギロリと二人を睨みつける。
「本当の化け物は……
てめぇらみてぇに、善人の命を喰い物にして笑ってる連中のことだ!!」
斬黒は、一歩だけ前へ進んだ。
その踏み込みは、雷光のようだった。
「終いだァ!!」
妖刀が閃き、渾身の突きが解き放たれた。
鋼が空気を裂く音すら聞こえない。
あまりの速さに、伝吾も権太も、自分が何をされたのかすら理解できなかった。
だが、次の瞬間。
「いでゃあああああ!!!」
「グヒュゥゥゥーーーーッ!!」
肋骨の下あたりから、真っ赤な血が噴き出す。
二人は地面に転げ回り、泥を掻きむしりながら絶叫した。
斬黒は冷たく言い放つ。
「お前らが……蛇楽の家族を貶め、破滅に追いやった黒幕で、間違いねぇよなぁ?」
「ぎゃ……あ……ああ……いだ……いッ……!!」
「ムガァァ……ッ! ぐ、ぐぼッ……!」
もはや返答どころか、言葉らしき音すらまともに出せない。
ただ痛みにのたうち、呼吸するだけで喉が裂けそうな悲鳴を上げる。
そんな二人に、斬黒は淡々と告げた。
「今の突きで....」
血に濡れた妖刀を、そっと掲げる。
「お前らの“急所”を、かすめる程度に引っ掻いた。」
にやり、と口角を吊り上げた。
「だから……お前らは、いずれにせよ確実に死ぬ。」
民衆が息を呑んだ。
「一月……いや、半年か。」
斬黒は、蹲る二人を見下ろしながら、声をさらに低くした。
「身体の奥から腐り落ちるような痛みに耐えながら……
ゆっくりと朽ち果てていくのよ!!」
その宣告は、まるで死刑宣告よりも冷たく、重かった。
伝吾と権太は、地を掴み、泥をかきむしりながら虫のようにのたうち回る。
「ひ……ひぃ……あっ……ああああ!!!」
「いでぇぇぇ!! いだい〜〜いだい〜〜〜ッ!!」
人間の声とは思えぬ絶叫が、刑場に響き渡る。
斬黒は背を向け、ゆっくりと蛇楽へ歩み寄った。
その顔には、達成感と誇りの入り混じった、猛々しい笑み。
「どうだ、蛇楽。」
斬黒は、彼女だけに聞こえる声で、ニヤリと笑った。
「これがおいらの考えた、“死ぬより辛ぇ地獄”だ。」
そして呆然と立ち尽くす民衆をかき分け、一人の若い男に裏帳簿を渡した。
そのまま奉行所の出口まで歩くと、最後に振り返った。
その声音は、さっきの冷たさとは正反対だった。
「蛇楽!!」
蛇楽がビクリと肩を揺らす。
「付いてこい!!
今まで、おいらとお前が見てこれなかった景色を、一緒に見に行くぞ!!」
胸を拳で叩きながら、堂々と宣言した。
「今日から、おいら達は……家族だ!!」
蛇楽の瞳が大きく揺れる。
涙の粒が、ぽたり、と足元に落ちた。
二人が、京都の清蓮神社に身を寄せるのは、それから数ヶ月後の事であった。




