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第五十三話 三条河原の駒姫(肆)

当時十五歳。

若き清正は、最上義光に幼少より叩き込まれた武芸で、すでに“才”を示していた。


成長過程にあり、身長こそ五尺(150㌢)にも満たぬ細身の体。

だが、その足さばきは風のように軽く、木刀さばきは稲妻のように鋭い。


「こ、この小僧……!!」


四人の使者が一斉に襲いかかってくる。

清正は一歩も退かず、木刀を振るった。


「たあッ!!」


 バシッ!

 ゴッ!

 ドガッ!!


次々に顔面や手首を叩きつけられ、使者たちは悲鳴を上げて倒れ込む。


「まだ、だ……!!」


清正は息を切らしながらも構えを崩さなかった。

その姿は、十五の少年とは思えぬ覚悟に満ちていた。


だが!次の瞬間。


「油断したな、小僧」


背後に回り込んでいた大男が、清正の襟首を鷲掴みにした。


「ッ!?」


清正が振り向く間もなく、


ザンッ!!!


大地を割るような衝撃と共に、清正は地面へ叩きつけられた。


「清正様!!」

「キャーーーーッ!!」


駒姫の悲鳴が響く。

だが使者たちは容赦などしない。


「さっきの礼じゃ……!」


 ドスッ!

 バキッ!


倒れた清正の腹部、背中、腕へ、無慈悲な蹴りが雨のように降り注ぐ。

清正は歯を食いしばったが、声が漏れる。


「ぐ、あ……っ!」


「とどめだ、小僧が……!」


使者の一人が刀を抜き、清正の頭上へ振り上げたその瞬間!


「待って下さいッ!!!!!」


駒姫の叫びが、空気を切り裂いた。 


その、甲高く、悲壮に満ちた声に、使者の腕が止まった。


駒姫は震える膝を押さえ、清正の前に進み出る。

そして、その小さな身体で庇うように立つと、


「私は……大人しく、あなた方に従います。」

「秀次様の……側室に……参ります。」


「だから……どうか、清正を……」

 駒姫は正座し、深々と地に頭をつけ、額を土で汚しながら叫んだ。


「清正を……お助け下さい……!!」


その姿は、まだ十四歳の少女とは思えぬ必死の祈りだった。

屋敷中の者たちは息を呑み、使者たちでさえ沈黙するほどの“気迫”が、駒姫の細い肩から放たれていた。


使者は、駒姫の必死の訴えに一度だけ目を細めた。

そして、ゆっくりと刀を下ろす。


「……あなた様の、その覚悟。まことに見事。」

「その想いに免じ、ここは一旦、命までは取りますまい。」


安堵しかけた空気は、しかしその次の一言で凍りついた。


「だが。」


使者は、蹴りつけられた清正を見下ろし、冷たい声で続けた。


「我ら豊臣の使者に対し、明確に“攻撃”したことは事実。」

「すなわち、秀次様に刃向かったも同然である。」


駒姫の顔からさっと血の気が引いた。


「し、しかし……!」


「姫様がお情けを乞おうと、我らの立場は変わらぬ。」

「ここでこの男を逃がせば、逆に我らが裁かれよう。」


使者の声には、一片の情もなかった。


「ゆえに」

「この男の処分については、京都にて、秀次様に御委ねまする。」


畳に落ちた言葉は重く、屋敷の空気をさらに黒く沈めた。


「それで、よろしいですな……駒姫様?」


“逃がす選択肢は存在しない”と告げるような、圧迫する声。

駒姫は震える指で清正を見つめる。

血に塗れ、呼吸も浅い、それでも彼女を必死に守ろうとした少年。


駒姫は、唇を噛み、そして、


こくり、と小さく頷いた。


「……はい……私が行きます。ですから……清正を……」


その瞬間、使者は満足げに口角を上げた。


「決まりです。

 では、姫様、速やかに旅支度を。」


屋敷の人々は誰一人、声を出せなかった。

義光の拳は震え、清正の指先は痙攣し、駒姫の瞳だけが、

静かに、涙を湛えていた。


ーーーー


 三条河原。

鴨川の流れが、冬の風を孕んで静かにさざめくその地で、

駒姫はひざまずかされていた。


英次の側室となって、まだ数日。

英次は、秀吉への謀反の罪で切腹、そしてその家族として、

今、少女は理不尽な裁きの前に立たされている。


駒姫は目隠しもされず、静かに天を仰いだ。

青とも灰ともつかぬ冬空が広がっている。


その瞳には、怯えも、恨みもない。

あるのは、胸の奥でひっそりと燃え続ける、たったひとつの想いだけ。


(清正。あなたが無事でいてくれれば……それでいい)


そっと、唇が動く。


「……清正……」


その名を想いのすべてで紡いだ瞬間!


閃光のように、太刀が振り下ろされた。


乾いた音が三条河原に響き、

まだ十四の少女の命は、儚い霧のように夜空へと散っていった。


その三日後、清正は、無罪放免となった。

そして、その身柄は、清蓮神社の先代の宮司に預けられた。


ーーーー


泣き崩れた三十九歳の清正の背に、そっと温もりが触れた。

あり得ぬはずの、柔らかく、懐かしい手。


清正は、はっと顔を上げる。

その前に立っていたのは、綾乃。

しかし、その瞳は、綾乃のものではなかった。


(……まさか……)


風がふわりと綾乃の髪を揺らした。

次の瞬間、彼女の口から、あの少女の声が静かにこぼれ落ちた。


「よかった....清正……よかった。無事だったのですね。」


駒姫。

十四歳で散った、あの気高き姫が、綾乃に憑依していた。


清正の肩が震えた。

涙がぼろぼろと伝い落ちる。


「……駒姫……駒姫なのか……?」


綾乃の身体を借りた駒姫は、微笑んでいた。

あの日と同じ、凛として優しい笑み。


「清正、ずっと……貴方の事が心配でした。」


清正は答えようとしたが、言葉にならない。

ただ声を震わせながら、必死に絞り出した。


「私は……宮司になって……」

「何度も、何度も……あの地(三条河原)を訪れた……」

「けれど……私の力では……どうしても……どうしても、貴方の魂を見つけられなかった……!」


自責と後悔が、長年の重りのように胸にのしかかり、清正は拳を握りしめた。


そんな彼の頬に、駒姫の指がそっと触れた。

綾乃の指とは違う、確かに“駒姫の温もり”であった。


「清正……良いのです。」


駒姫は優しく微笑んだ。


「貴方が……無事でいてくれた。それだけで……私は救われるのです。」


その声は、あの日、処刑台に散った少女の最後の願い

「清正だけは助かってほしい」

その続きにある、報われた祈りのようだった。


ーーーー


ふ、と闇が晴れる。


綾乃はゆっくりと瞬きをした。

ぼんやりと霞んだ視界の向こうで、夜空の光が揺れている。


身体を起こそうとしたその瞬間、ふと気づく。


駒姫の気配が、跡形もなく消えていた。


綾乃の視線がさまよい、やがて清正の背中を見つける。


「……彼女は今、天に帰りました。」


清正の言葉は、胸の奥を震わせるほど静かで優しかった。

その声音には、積もり積もった哀しみの色と、長い呪縛がようやく解けたような微かな安堵が入り混じっていた。


綾乃は目を伏せ、そっと息を吸い込んだ。


「そ、そうですか……」


その隣で、夜叉がぽつりと呟いた。


「……私も、清正様と駒姫様のような……そんな恋愛がしてみたいものです。」


月明かりに照らされた夜叉の横顔は、年頃の少女のようであった。



その間も、清正は空を見ていた。


まるで、駒姫の魂が昇っていく道を、一瞬たりとも見逃すまいとするかのように。


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