第五十話 三条河原の駒姫(壱)
社務所の奥、灯明の揺れる薄闇の中で、清蓮神社の宮司“清正“は綾乃と夜叉を前に話し始めた。
清正「……私事で大変申し訳ないのだが、綾乃。そなたに頼みたいことがある。」
低く沈んだ声は、いつもの厳しさとは違い、どこかためらいを帯びていた。
清正「“三条河原”から、一人の少女の霊を、どうか、救い出して来ては下さらぬか。」
綾乃は膝を正し、静かに頭を垂れる。
綾乃「わたくしにできることなら……どのようなことでもお命じください。」
清正は続けて、隣に控える夜叉へと視線を向けた。
清正「そして夜叉。あの河原は、邪気と怨念がいまも生きておる。
綾乃一人を行かせるわけには参らぬ。そなたも同行し、守ってやってほしい。」
夜叉「御意。綾乃殿の身は、わたしが必ず守り抜きます。」
だが、清正の表情はなおも曇ったままだった。
清正「……今回の件、わたしの“私情”が深く絡んでおる。」
清正は、己の胸を押さえるようにして俯いた。
清正「二人には誠にすまぬ。だが、
どうか、私のわがままを聞き届けてほしいのです。」
綾乃はそっと微笑み、夜叉は静かに頷いた。
二人の返事を聞いた清正の肩から、わずかに力が抜ける。
「して、私は、どのような霊を探せばよいのですか?」
清正は深く頷き、低く告げた。
「……あの地で亡くなったのは二十四年前。
齢十四にして、笑みの美しい少女。
名を、駒姫という。」
その名が空気を揺らした瞬間、夜叉の面がピシリと音を立てた。
「まさか……!」
夜叉は綾乃の前へ一歩進み出る。
「その名、聞いた事があります……。あの忌まわしき事件で処刑された、駒姫様ですね?」
清正は目を閉じ、眉を寄せながら続けた。
「その通りです。
当時、まだ豊臣秀吉公の世であった文禄四年、その甥、秀次様は、
後継者争いに巻き込まれ、秀吉公の命により切腹を命じられました。」
「しかし……本当に恐ろしいのは、その後です。」
清正の声はひどく重かった。
「秀次様に関係しただけで、罪なき女房衆、幼い子ら、侍女までも……三十余名が三条河原で斬首されました。
そして、その中の一人が駒姫でした。」
綾乃の胸が強く締めつけられる。
十四歳の少女が、何を知り、何を恨んで逝ったのか。
そして、二十四年を経てなお、なぜこの世に留まるのか。
清正は綾乃の瞳を見て言った。
「あの少女の霊を、三条河原で、目撃したという情報がいくつか寄せられてきています。」
どうか、駒姫を、救ってやってほしいのです。」
「……承知しました。
駒姫様の魂を、この手で必ず……」
夜叉の面が淡い光を放ち、低く囁く。
「行きますよ、綾乃。
その哀しみは、我らが晴らします。」
三条河原へ向かう風が、二人の背中を押すように吹き抜けた。
ーーー
京都・三条河原。
千切れた怨念が風に溶け、夜ごと無念の声が揺れる地獄の河原。
綾乃と夜叉がその地へ足を踏み入れた瞬間、空気が変わった。
ざわり、と肌を裂くような冷気が走り、次の瞬間、
無数の亡者が、黒い影の波となって二人へ殺到してきた。
「ッ……来る!」
綾乃は素早く指先で印を結ぶ。
その瞬間、淡い金色の光が二人を包み、半球状の結界が弾けるように展開した。
亡者たちは獣の群れのように結界へ叩きつけられ、ひしめき合い、その表面を爪でひっかく。
「すごい……すごい量の邪気ね!」
夜叉は額に汗を浮かべ、結界の外をにらむ。
「亡者の“姿”が見えない私でも、肌が焼けるみたいにひしひしと感じます……!」
結界の外側は、もはや影の海だった。
亡者が幾重にも重なり合い、黒い塊となって蠢いている。
「……苦しい、苦しい……」
「無念……悔しい……!」
「なぜ、私がこんな目に遭わねばならぬ……!」
怨嗟の声が渦を巻き、綾乃たちの耳へねっとりとまとわりつく。
「これほど大量の霊を肌で感じるなんて……わ、私、生まれて初めてよ!
一体、何が起こっているの?!」
夜叉は思わず綾乃の袖をつかんだ。
綾乃は静かに息を吐き、鋭く亡者の群れを見据える。
「……彼らは、私が“見えている”ことを、わかっているのだ。」
「見えているから、寄ってくる……?」
「そう。見えるという事は、同調しやすいという事、彼らは私に“憑依できる”ことを本能で感じ取っている。」
綾乃の言葉と同時に、結界の外から手が伸びた。
生前の形も保たぬ黒い腕が、幾本も結界に張り付き、爪でこじ開けようとしている。
「……入らせろ……」
「お前の中に……入らせろ……!」
「もう一度……人の温もりを……」
亡者たちの声は、甘えるようでもあり、哀願でもあり、狂気でもあった。
夜叉は背筋を冷やしながら、綾乃を見る。
「こ、怖すぎ……! 本能って、そんな……!」
綾乃は唇を引き結び、首を振った。
「彼らは、私の身体を“最後の器”だと思っている。
そして、ここは……ただの河原ではない。」
「この霊達の姿を見ればわかる。
古くからこの地は、処刑場として使われて来たという事が!!」
霊達は、白装束を着たものだけでななく、鎧甲冑を身につけたもの、平安時代の衣装に身を纏ったもの
など、さまざまな出立をしていた。
「なるほど。私たちには、ただの薄気味悪い土地にすぎませんが……」
夜叉は視線を巡らせ、淡々と言う。
「あなたにとっては、その“体質”ゆえ、ここ全体が修羅場そのものというわけね」
「あぁ……私も修行で怨霊をいなす術は身につけているが……」
綾乃は息を飲んだ。
「ここはすごい所だ。任務でない限りは、絶対に近づきたくない場所だ。」
夜叉はふっと笑う。
「ふふ……どうりで清正様が、今回に限って妙に低姿勢だったのか」
その瞬間。
ビキ……ッ。
二人を包む結界が、まるで氷が割れるような不吉な音を立てた。




