第四十四話 生き神(肆)
闇に紛れて息を潜めていた二人は、覚悟を決めて一歩踏み出し、
本殿前の暗がりから、ゆっくりと姿を現した。
「珠妃殿……助けに来ましたぜ!」
隣の蛇楽は、いつもの無表情に戻り黙っている。
「…………」
驚いた珠妃が振り返る。
「そなた達……何者ですか?」
その声音には戸惑いと警戒が混じっていた。
しかし、それ以上に目を奪われたのは、彼女の“美しさ”だった。
白の装束は月明かりを受けてふわりと輝き、
金細工の髪飾りがさらりと揺れるたび、光の粒が散る。
長く、艶めく黒髪。
雪のように透き通った肌。
大きな瞳は、影の中でもはっきりと輝きを宿している。
そして、長く濃い睫毛が、まるで神の彫る細工のように繊細だった。
「……っ!」
斬黒は言葉を失った。
あり得ない。
二十年前の“封巫の儀”で選ばれた生き神・珠妃。
年齢で言えば、もう四十に届くはずの女性だ。
だが、今、目の前に立つ珠妃は。
どう見ても、二十歳前後の少女の姿だった。
時が止まったように若い。
まるで“年齢”という概念から外れた存在のように。
珠妃のあまりの美しさに直面し、斬黒の胸は強く打ち鳴った。
自分でもわかるほど顔が熱くなり、頬がじわじわと紅潮していく。
「た、珠妃殿……!おら、おいらは、斬黒、こ、こいつは蛇楽です」
声が上ずり、斬黒は慌てて背筋を伸ばす。
「このままでは、あなた様は……明後日の“封巫の儀”で命を落としてしまいます!」
「ですが、そうならぬように……お、おいらが……いえ、私が!」
思わず素が出かけ、慌てて言葉を正す。
「あなた様をお守りいたします!!」
蛇楽は、その異常なまでの丁寧語と熱量に目を丸くした。
普段は粗野で威勢のいい斬黒が、まるで初対面の姫様に求婚する若武者のようだ。
「……斬黒?ど、どしたの……?」
蛇楽は心配そうに、しかし無表情のまま、斬黒の袖をぐいぐいと引っ張る。
しかし珠妃は、二人のやりとりに気づくことなく、静かに微笑んだ。
「……ありがとう。なんて……優しいお方たち」
その柔らかな声が夜気を震わせる。
「ですが、助けは無用です。私はこの村のために……自ら命を差し出す覚悟は出来ておりますから」
あまりに潔く、あまりに澄み切った言葉。
それは、彼女の容姿以上に、心の純白を感じさせるものだった。
「――っ」
斬黒の胸に、熱いものがこみ上げていった。
どうして、この人が死なねばならないのか。
こんなにも尊く、優しく、真っ直ぐな人が.....。
気づけば、斬黒の瞳から一筋の涙が頬を伝い、夜の闇へ落ちていった。
「それより……」
珠妃はかすかに眉を寄せ、神殿全体を見渡した。
「また……あの邪悪な怨霊の“邪気”が、この周囲を漂っています」
「……えっ?」
斬黒がギョッとなる。
「それって……もしかして……?」
斬黒は持っていた妖刀を思わず背中の後ろに隠した。
刀の鞘の継ぎ目から、どろりとした暗い靄が漏れ出し、地面に落ちては消えていく。
だが珠妃は、小さく首を振った。
「それは、私がこの神殿に来てから、何度も……何度も目にしてきたものです」
珠妃の喉がごくりと震える。
「意思を持った……巨大で……底なしの闇のような“何か”を」
そう言って珠妃は、斬黒の腕をぎゅっ……と掴んだ。
「っ……!」
細く白い指先から、ふわりとした温度が伝わる。
その温もりは、斬黒の心の奥まで染み込んでくるようだった。
斬黒の脳裏が一瞬真っ白になる。
蛇楽が隣で(まただ、今日この人、ほんとすぐこうなる……)と無表情のまま呆れていた。
珠妃は真剣な眼差しで斬黒の手を離さない。
「わかりました!」
斬黒は胸に拳を当て、力強く頷いた。
「そいつを滅すれば、珠妃様の命神助かるかもしれんです!
まだこの辺りを漂ってないか、おいら達が、神殿の周りを見てきます!」
「その間、珠妃様は……神殿の奥に隠れていて下せえ!」
珠妃は驚きに目を見開き、そして静かに微笑んだ。
「なんと……勇気あるお方なのですね」
「生き神に選ばれてからの二十年、世話係以外の村人と会うことすら許されない私は……ずっとこの恐怖と孤独に怯え、生きてきました」
その声は寂しさを帯びているのに、不思議と凛としていた。
まるで長い孤独を、自分の中で受け止めてきた人の響きだった。
「ですが」
珠妃はふっと顔を上げる。
「命が尽きる、残り二日のこの時に。あなた方と出会えたこと……私は、とても幸運に思います」
そう言って、珠妃はそっと斬黒の腕へ身を寄せた。
「っ……!」
ふいに抱きつかれた斬黒は、息を飲んだ。
珠妃の体温が、直接胸の奥まで流れ込んでくる。
ほのかな香がふわりと鼻をくすぐり、心臓が一気に跳ね上がった。
(なんて……儚くて、美しいお方なんだ……!)
斬黒は熱くなった目頭を手の甲でこすり、
強く奥歯を噛みしめる。
「珠妃殿は……絶対に死なせやしません!」
「俺が……いえ、私が……命を懸けて守ります!」
決意を宿した声が、夜の境内に響いた。
斬黒はそっと珠妃の腕をほどき、深く一礼して背を向ける。
「蛇楽、行くぞ!」
蛇楽は無表情ながらも、斬黒の後ろ姿を見て小さく頷いた。
二人は神殿の裏手へ向かって、闇の中を駆け抜けた。
珠妃の温もりを残したまま、守るべきものを胸に抱えて。




