第四十三話 生き神(参)
斬黒と蛇楽が時次〈ときつぎ〉神社へ辿り着いたのは、夕暮れどきのことだった。
西の空は朱に染まり、境内には木々の影が長く伸びている。
普段、人前では一切表情を見せない蛇楽。
しかし、心から気を許している斬黒の前では、その仮面は、すっと外れる。
「……なんだか、ここ。とても薄気味悪い神社だよ?」
蛇楽は思わず斬黒の袖をつまみ、身を寄せるように周囲を見回した。
「だってさ、魔除けの鳥居がひとつも無いし……ほら。変なお地蔵が、あっちにもこっちにも並んでるじゃないか」
斬黒は肩をすくめ、笑い飛ばす。
「蛇楽はほんっと怖がりだな! 俺が付いてるんだ、安心しろって!」
しかし蛇楽の目は、お地蔵の足元に吸い寄せられていた。
「でも……なんだろうこれ。供えてあるものが……妙に干からびてる。何の……骨?」
「まだ、ごちゃごちゃ言ってんのか。地蔵なんか放っとけっつの!」
斬黒は気にも留めず歩き出そうとする。
その時、蛇楽が弱々しい声で呟いた。
「……あれ、先っぽ……なんか、付いてない?」
身を屈めて覗き込む。
「……これ……爪……?」
そして
「ギャアアアアアアアアアア!!!!!」
蛇楽は尻もちをつき、境内に響き渡る悲鳴を上げた。
斬黒が慌てて振り返る。
「おいおい! どうしたってんだよ!」
蛇楽は震える指で地蔵の足元を指し示した。
「こ、これは……人間の……ゆ、指だ……!!」
「…………ッッ!!」
斬黒の顔から、豪胆さがすっと消えた。
夕暮れの神社に、異様な静寂が落ちる。
斬黒は立ち止まり、ぐっと蛇楽の肩をつかんだ。
「蛇楽! 俺がいつも言ってることを思い出せ!」
夕暮れの境内に、低く鋭い声が響く。
「お前のその臆病さは、付け込まれりゃ命取りになる。
いいな? 人前では無表情を貫け。心の内は、絶対に悟られるな。
それが、お前の身を守る唯一の術だ!」
蛇楽はビクリと肩を震わせ、それでも必死に頷いた。
「わ、わかってる……! 大丈夫、上手くやる。これまでみたいに……ちゃんと隠せるから!」
その声には、心を許した者にだけに見せる弱さと、必死にそれを封じ込めようとする覚悟が滲んでいた。
長く続く急勾配の坂道を登り切ったとき、ようやく二人は本殿の前へと辿り着いた。
そこには、大勢の村人たちが集まっていた。境内の至るところに篝火が焚かれ、揺らめく炎が皆の顔を赤く照らしている。
二人、斬黒と蛇楽は慌てて物陰に身を隠し、様子を伺った。
やがて、村長・宗兵衛が前に進み出る。
「皆の者、よくぞ集まってくれた。今年は二十年に一度の大事な“封巫の儀”が執り行われる年……」
重々しい声が、炎の明滅とともに境内へ響き渡る。
「そして本日は、儀式に先立ち、毎年恒例の“断指の儀”を執り行う!」
村人の間にざわめきが走った。
「例年であれば、村の選抜した十世帯のみから一本ずつ指を貢いでもらうところ……しかし、今年は特別な年だ。時次村の全世帯から一本ずつ、貢ぎものを納めてもらう!」
その瞬間、蛇楽は口元を押さえて震えた。
「ひっ……こ、ここ今年は全家族!?」
「しっ!」
斬黒が蛇楽の頭を押さえ込み、耳を塞がせる。
宗兵衛は続ける。
「準備が整った家は、神社中央の祭壇“細断場”へ進め!」
その時、一人の老人が前に躍り出た。
五平だ。両手の指はほとんど残っていない。
「ま、待ってくれ村長殿! うちはワシと息子の二人暮らし……これまでの貢ぎで、ワシの指はもう両手合わせて、四本しか残っておらん!」
「頼む! 今年ばかりは、どうか……どうか見逃してくれんか!」
宗兵衛は一歩も退かない。
「ならん!」
「五平殿が難しいのなら、息子の六太の指を貢げばよいだけのこと!」
老人が息を呑む音が聞こえた。
「今年の豊作も、生き神様のご加護あってのもの。この恩に報いる方法はこれしかない!」
五平は震える声で言った。
「……わ、わかった……息子ではなく……ワシが貢ぐ……!」
村人たちは次々と細断場へ進んでいく。
そこには、テコの原理を利用した巨大な刃物が据え付けられていた。
細断場からは、次々に、けたたましい悲鳴が響き渡る。
「ひーーー!! 斬黒! わ、私無理かも……っ!」
「しっ!! 蛇楽、耳を塞げ! 息を潜めろ……気づかれたら命はない!」
炎が揺れ、人々の影が踊る。
二人はただひたすらに、息を殺してその恐ろしい儀式が終わるを待つしかなかった。
ーー丑三つ時ーー
本殿の前は、まるで先ほどまでの喧騒が嘘だったかのように静まり返っていた。
篝火の火は落ち、風に揺れる闇だけが残っている。
ただ、その中央の祭壇にだけは異様な“重み”があった。
山のように積み上げられた村人達の指。
月明かりに照らされ、その生々しい色が不気味に光っていた。
「……ふぅ。ようやく誰もいなくなったようじゃ」
斬黒が低く呟き、肩の力を抜く。
「そろそろ行動するか!」
「う、うん……!」
蛇楽もこわばった声で頷き、二人はそっと木々の陰から抜け出した。
本殿に近づくにつれて、空気が冷たく、重くなる。
夜気の中に、どこか血の匂いすら混じっているようだった。
その時。
斬黒はふいに蛇楽の肩を押さえて止まった。
「……蛇楽。あれを見ろ」
祭壇の陰、かすかな月光の切れ間に、一人の女性が身を潜めていた。
白い着物に長い黒髪。どこかこの神社の雰囲気とは違う、柔らかな雰囲気をまとっている。
蛇楽が息を呑む。
「えっ……あれって……現、生き神の珠妃様……?」
「もしかして、この“異教の神社”から逃げ出そうとしてる……?」
蛇楽は斬黒の袖を引いた。
「斬黒! 話を聞いてあげて! きっと何か理由があるよ!」
「……よし、わかった」
斬黒は小さく頷き、気配を消して祭壇の方へとにじり寄った。
夜の闇が、何かを告げようとするかのように、ざわりと揺れた。




