第四十一話 生き神(壱)
京の都から三里離れた山中に、時次村〈ときつぎむら〉という小さな村があった。
時次村には、ひとつの“掟”があった。
代々、村を守り続けるのは、「女の生き神」。
その役目は二十年ごとに代替わりし、
選ばれるのは、村で最も美しいと評される十七から二十歳の娘の中から一人だけ。
村人すら立ち入れぬ禁域の儀式「封巫の儀」を受け、
儀式を終えたその日から、生涯を神として祀られる。
だが、村人は決して口に出さない。
いや、語ることを禁じられている“真実”がある。
封巫の儀が終わった翌日、
前任の生き神は、必ず命を落とす。
それは偶然ではなく、
二十年の周期で必ず訪れる“決まり事”であった。
そして、季節が巡った今年
再び、その時が来た。
朝靄の漂う中、村長・宗兵衛は一軒の家の前で足を止めた。
戸を叩くなり、低く告げる。
「……お美代。お前に白羽の矢が立ったぞ。
おめでとう。次の生き神はお前じゃ」
静寂が、家中に落ちた。
お美代は息を飲み、父・哲二は顔色を変える。
「!!! な、何かの間違いじゃ!
村長! 頼む、もう一度……よく調べ直してくだされ!!」
悲痛な叫び。しかし宗兵衛は眉ひとつ動かさない。
「哲二、何を狼狽える。これは村の慶事じゃ。
それにな……」
宗兵衛は説得するように笑った。
「娘が“生き神”となった家は、指の儀式をまぬがれる事に加え、二十年のあいだ貢ぎ物が絶えん。
貧乏暮らしのお前らにとって、これ以上ない吉事じゃろうが」
「そんなもの……いらん……!
娘だけは……娘だけは……どうか……!」
地に伏して懇願する哲二を、宗兵衛は冷たく一蹴した。
「めったなことを言うな、哲二。
……二十年前の“惨劇”を忘れたか?」
空気が凍りつく。
「今の生き神、珠妃様の両親が拒んだ結果、何が起きた!?」
その言葉が、家族の背筋を確かに震わせた。
――二十年前ーー
珠妃の家族が“選定”を拒んだ翌朝。
珠妃の家の裏の大松の、遥か高い枝に、
父、母、祖母の三つの死体が吊るされていた。
誰がどうやって吊るしたのか、誰も見ていない。
ただ、あまりにも高い場所であったこと。
そして何より“祟り”を恐れ、木を切ろうとする者が一人もいなかったこと。
だから三人の遺体は、
肉が風に飛ばされ、骨が露出し、朽ち果てて落ちてくるまで、ずっと放置された。
そしてその年の秋。
珠妃は、村の総意のもと“生き神”に祀られた。
ーーその儀式を終えた翌日ーー
先代の生き神、梓の遺体が
社の畳の上に、干からびた状態で置かれていた。
その光景が村を包んだ“沈黙の恐怖”は、
二十年の時を経た今もなお、人々の記憶に深く根を張っている。
今、その運命が、お美代に迫っていた。
ーーー
宗兵衛が去った後、
家の中は、まるで井戸の底に沈むように、空気が重く落ちた。
父親の哲二は頭を抱え、震える声を絞り出す。
「……どうするのじゃ……。
このままでは、お美代が“生き神”にされてしまう……!」
父の叫びに、お美代は拳を握りしめて言った。
「……もういい。私は、受け入れる!
おとうとおかあが……祟りに遭うほうが……私は嫌じゃ……!」
その声は若い娘のものとは思えぬほど、
痛々しく、強かった。
「お美代……!」
母・佳代は抱きしめるように叫ぶ。
「ダメじゃ! そんな運命、受け入れることなどできん!
それに……珠妃様の命も危ないんじゃ……!」
現役の生き神・珠妃、
優しく笑う、穏やかな女性。
だが次の神が決まるということは、
珠妃の死が間近であるということだった。
「こんな理不尽……許せるわけがなかろう……!」
哲二の拳が震える。
しかし、掟に逆らえば、
二十年前の惨劇が、再び起こる。
沈黙。
三人の胸のうちだけが、張り裂けんばかりに暴れ続けていた。
その時。
ガラガラッ!!
お美代の部屋の扉が勢いよく開いた。
「だ、誰じゃ!!?」
哲二が身構える中、
そこに立っていたのは、ひとりの若者。
「……お美代ちゃん。
オレと一緒に逃げてくれ!!」
幼馴染にして許嫁の玄二郎だった。
彼は両親の前に正座し、深く頭を下げる。
「お父様! お母様!
オレはもう、この村の掟に従う気はありません!
お美代を犠牲にして、何が村じゃ……!!」
佳代の表情が揺れる。
娘を託すべきか、それとも。
母としての心が、激しく揺れ動く。
その思いが傾いた瞬間!!
「ダメじゃ!!!!」
お美代が悲鳴のように叫んだ。
「そんなことしたら……
おとうも、おかあも……祟りに遭ってしまう!そして、玄二郎お前も、
だから……私はここに残る!!」
玄二郎は震える声で叫び返す。
「だが、このままでは……!
オレと夫婦になることも叶わんのじゃぞ!
それに、二十年後には……お前は死んでしまう……!!」
お美代は静かに頷いた。
「……わかってる。
それでも……みんなを巻き込みとうない」
涙をこぼしながら、笑った。
「玄二郎……
どうか、誰か好きな人を見つけて……幸せになってくだされ……」
その言葉は、
優しさでできた薄刃のように、玄二郎の胸を深く切り裂いた。
彼は拳を震わせ、何も言えなかった。
ーーー
重苦しい沈黙の中、
哲二が深く息を吸い込み、口を開いた。
「……仕方あるまい。
ならば、わしの知っとることを話そう」
室内が静まり返る。
哲二の声だけが、不吉な重さで響いた。
「京都の怪奇話の中にな……
よく出てくる“神の社”の話がある」
お美代と玄二郎が息を飲む。
「深い森の奥、
大きな鳥居がひとつだけ立っとる場所があるらしい。
祟られた者、厄病に取り憑かれた者は、
そこへ“願い札”を貼ることで救われるのだと」
佳代が小さく息を呑む。
「ただし、
その鳥居を見つけたものは、その場所を、決して人に言うてはならん……」
哲二の視線は、お美代に向けられていた。
それは、
新たな運命の扉をわずかに開くようでありながら、
同時に、底知れぬ恐怖の気配を帯びていた。




