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第四十話 夜叉の面(後編)

次の瞬間。


能面の口が“ぱくり”と裂けた。

陶器のように滑らかな口元に、歯列のような亀裂が奔り、吊り上がった眼孔からは血のような紅がじわりと滲み出す。

額では黒い角がねじれながら突き出し、面そのものが、まるで脈打つ肉体のように波打った。


生き物だ、そう確信せざるを得ないほど、禍々しく。



綾乃は思わず息を呑んだ。

そこに立つのは、もはや“人”ではない。

血と闇をまとった、冷たく恐ろしい鬼神“夜叉“だった。


「ギィヤアァァァーーーーッ!!」


次の瞬間、夜叉は爆ぜるように踏み込み、餓鬼の群れへと飛び込んだ。


視界から消えた、そう思った刹那。


ヒュン!! ヒュン!! ヒュンヒュンヒュン!!


包丁が、闇より速く弧を描き、空間そのものを切り裂く。

餓鬼たちの動きが止まって見えるほどの速度。


ブシュッ!!!

ズビュウゥッ!!!!

グシャアッ!!!


断末魔と肉の裂ける音が重なり、廃屋全体を震わせた。

餓鬼どもの腹が次々と裂け、黒ずんだ臓腑が床へ転がり落ちる。

腐り切った血の匂いが噴き出し、蛆が弾け飛び、空気そのものが濃厚な“死”へと変わっていく。


「グウェェェッ……!」

「ぼぎゃあああああ!!」


餓鬼たちは悲鳴をあげる間もなく、夜叉の刃に刻まれていった。

その姿はまるで、


“血と闇を喰らう修羅。“


しかし、恐怖はそれで終わらなかった。


裂かれた餓鬼たちの口から、黒い靄のような怨念が立ち上り、呻き声とともに夜叉の能面の口へと吸い寄せられていく。

能面の口は裂け目を広げ、まるで餓鬼たちの魂そのものを喰らうかのように、貪り吸い込んでいった。


ーーー


武家屋敷の廃墟で繰り広げられた攻防は、まさに瞬く間の出来事だった。


その壮絶な光景の中で、綾乃が倒せたのは、わずか二体の餓鬼のみだった。

夜叉の殺戮は、あまりにも速く、あまりにも圧倒的だったのだ。


やがて、廃墟に静寂が戻る。

夜叉はゆっくりと面を外し、その能面は再び、静かな女面の顔へと戻っていた。



夜叉は、崩れかけた廊下の柱にそっと手を添え、

遠い記憶をたぐるように、静かに口を開いた。


夜叉「……わたしの家族は、十年前、この屋敷で皆殺しにされました。」


その声は淡々としていたが、奥底に封じ込めた怒りと悲しみが滲んでいた。

綾乃は、息をのんで夜叉を見つめる。


綾乃「だ、誰が……そんな酷いことを……!!」

綾乃の声は震え、思わず短剣の柄を握り締めた。


「まさか悪霊の仕業!」と叫ぶ綾乃に、夜叉は静かに首を振る。


夜叉「……いいえ。やったのは“人間”です。」


その瞬間、吹き込んだ風が屋敷の破れ障子を鳴らした。

夜叉の瞳は、憎しみではなく、

“決して癒えぬ悲しみ”を湛えていた。



ーその夜、全ては始まった。


最初に殺されたのは、門番を兼ねた使用人二人。

口を押さえつけられ、声が出ぬまま喉を断たれた。


その頃、幼いスガル(夜叉の本名)は、悪夢にうなされて母を揺り起こしていた。


「母上……厠に……一緒に……!」


「スガル。大名の娘が、いつまでも甘えていてはなりませんよ。」


母の微笑みに背を押され、スガルは一人で廊下を渡っていった。

その、ほんの短い間に、地獄が解き放たれた。


男達の集団が次々と部屋に押し入り、

寝ている家族を布団の上から斬り伏せた。

剣の達人だった父は、刀を手に取る前に背後から何度も斬り裂かれた。


スガルが厠の戸の隙間から見たのは、血の匂いに酔いしれ、笑いながら家族を殺す男たちの姿。

そして、その顔は、皆、知っている者たちだった。


家督争いに敗れた同じ一族。

盆や正月に酒を酌み交わした者たちが、ただ権力のために家族を殺したのだった。


男たちが去った後、スガルは震える足で屋敷に戻った。


そこは血の海。

修羅に沈んだ池のようだった。


だが,父だけは、まだ少しだけ息があった。


血まみれの腕を伸ばし、壁に掛けられた古い能面を指す。


父「……スガル……あれを……被れ……

  あれで……我らの恨みを……晴らせ……」


その言葉を最後に、父は息を引き取った。


涙に濡れた視界のまま、幼きスガルは能面を被った。


――世界が、赤に染まった。


気づけば出歯包丁を握り、

家族を殺した男たち十数人の死体が血の海に沈んでいた。


能面の口は深淵のように開き、

彼らの魂をひとつ、またひとつ,呑み込んでいった。


その日を境に、スガルは“夜叉”となった。



ーーーー



「この能面は、平安の時代から、我が家に伝わる家宝で、元々は、平家の持ち物であったとつたえられています。」

「わたしの祖母は、能面には、平家の怨念が宿っているとよく言っていました。」



綾乃「……この面の中には……今も、夜叉の家族を殺した者たちの魂が……」


綾乃は、永遠に抜け出せない牢獄を想像し、身を震わせる。



夜叉はゆっくりと綾乃の方へ振り向き、静かに微笑んだ。


「この面の中にいるのは、家族を殺した者たちの魂だけではありませんよ」


「これまでわたしが討ち滅ぼしてきた魑魅魍魎……そのすべてが、この小さな器に縛られているのです」


淡い光が面の口の隙間から漏れ、脈を打つように震えた。


夜叉はそれを、指先で愛おしむように撫でた。

 

「狭いでしょうねえ。

 幾多の化生たちと共に押し込められ、逃げ場もなく……」


そして、小さく、妖しい微笑を浮かべた。


「わたしの家族を殺した者達の魂は.....さぞや....

居心地が悪いことでしょう。」


その唇に浮かんだ笑みは、

美しくも、どこか悲しげで、そして.....底知れぬほど妖しかった。











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