第三話 ...雪ちゃん...。
綾乃が七歳になった頃。
彼女の世界に、初めて「友達」と呼べる存在が現れた。
名は、雪。
陶器のように透きとおった肌に、大きな瞳。
まるで冬の光がそのまま人の姿になったかのような少女だった。
雪は不思議なほど人懐っこく、いつも綾乃の家の玄関に立っていた。
雨の日も、風の日も、笑顔を浮かべて
雪「綾乃ちゃん、あそぼ!」
その声を聞くと、綾乃の胸の中に灯りがともるように、心が温かくなった。
雪は、近くの山に棲みついているタヌキをいつも連れていた。
丸いお腹をしたそのタヌキは、人間の言葉がわかるかのように、二人の後をちょこちょことついて歩く。
三人は、いつも一緒だった。
春は山菜を摘み、夏は川で小魚を追い、夕暮れにはかくれんぼをした。
笑い声が山の木々に反響し、赤く染まる空の中に消えていく。
綾乃にとって、雪と過ごす時間は、この世でいちばん、まぶしくて、楽しいひとときだった。
――九歳になったばかりの春の午後。
山桜の花びらが風に舞う中で、綾乃はその日もいつものように雪と会った。
けれど、その日の雪の顔には、見慣れない影が落ちていた。
雪はしばらく黙って綾乃を見つめ、それから小さく息を吸いこんだ。
雪「……いままで遊んでくれてありがとう。
もうすぐ、綾乃ちゃんともお別れなんだ。」
その言葉は、柔らかな風のように静かだったのに、
綾乃の胸を、鋭く締めつけた。
綾乃「え? なんで……どっかに行っちゃうの?」
声が震えた。
目の奥がじわりと熱くなり、涙がこぼれそうになる。
雪はうつむき、少しの沈黙ののちに言った。
雪「……お母さんがね、家を出ることになったの。
ずっと泣いてばかりだったけど……隣村の茂樹さんって人と再婚することになって、やっと元気を取り戻したんだ。」
綾乃は唇をぎゅっとかんだ。
胸の奥が、どうしようもなく寂しくて、悲しくて、けれど、泣いてはいけない気がした。
だから、顔を上げ、無理やり笑ってみせた。
綾乃「そっか……雪ちゃんのお母さん、よかったね。
悲しいけど……しょうがないね。
私、いつか絶対に隣村に遊びに行くよ! それまで元気でね!」
そう言って笑う綾乃の前で、
雪は、まるで言葉をのみ込むように唇を震わせた。
その瞳には、どこか深い苦しみが宿っていた。
雪「……ごめん。綾乃ちゃんとは、もう会えないんだ」
綾乃「なんで!?私たち友達でしょ!隣村なら、わたし頑張って歩くよ、なのに友達じゃなくなるってこと!?そんなのおかしいよ!」
雪「ちがう……ちがうの、綾乃ちゃん……どうしてもお別れしなくてはいけないんだよ」
綾乃の心に怒りと悲しみが込み上げた。
綾乃「もういい!どうせ会えなくなるなら、今日でお別れでいい!さようなら!雪ちゃん!」
背を向けた綾乃の耳に、雪の小さな声が届いた。
雪「……綾乃ちゃん……ごめん」
⸻
その夜。
綾乃は布団の中で、悲しみと後悔に押しつぶされて眠れなかった。
(どうしてあんなこと言っちゃったんだろう……本当は寂しいだけだったのに……)
朝日が昇る頃、綾乃は決心した。
「昨日のこと、ちゃんと謝ろう。寂しかったって正直に言おう!」
だが一つ問題があった。
綾乃は雪の家を知らなかったのだ。
いつも遊びに来てくれるのは雪の方で、綾乃はそれを当然だと思っていた。
弟をあやす母に雪の事を尋ねた。
母は驚いて「雪?あの雪ちゃんの事かい?!」
母は一瞬だけ悲しそうな顔をした。
だが「一本杉の下にある家だよ」と笑顔で場所を教えてくれた。
ー綾乃は走った。ー
胸の奥で、「昨日のことを謝りたい!」という想いが、熱を帯びてふくらんでいく。
息が切れるのも構わず、ただ一本杉を目指して駆けた。
その根元には、古びた木造の家が静かに佇んでいた。
綾乃「ごめんください! 綾乃です! 雪ちゃん、いますか!」
軋んだ音とともに扉が開く。
現れたのは、どこか雪に似た面影を持つ女性、やつれた頬と、深い悲しみを宿した瞳。
綾乃(……雪ちゃんのお母さんだ)
胸の鼓動が少し落ち着き、安堵の息が漏れたーーその瞬間だった。
雪の母親「……雪? 二年前に亡くなった娘の雪のこと、かい?」
その言葉が、世界の色を一瞬で奪った。
風の音が遠ざかり、足元から崩れ落ちるような感覚に襲われる。
綾乃の唇が震えた。何か言おうとしても、声が出ない。
やがて、雪の母親は静かに語り始めた。
――雪は重い病にかかり、二年前に息を引き取ったこと。
――その悲しみのあまり、父親は家を出て行ってしまったこと。
――それでも最近、隣村の茂樹という男性に支えられ、ようやく前を向こうとしていること。
ひとつひとつの言葉が、綾乃の胸を刺した。
ただ立ち尽くし、涙だけが頬を伝う。
ー帰り道。ー
夕暮れの光が田んぼ道を金色に染めていた。
風が稲穂を揺らし、カエルの声が遠くで響く。
そのとき、
「……綾乃ちゃん」
ふいに背後から、懐かしい声がした。
綾乃はハッとして振り返る。
そこに、雪が立っていた。
淡い光に包まれたように、やさしく微笑みながら。
綾乃「……ごめんね。わたし、何も知らなくて……」
堰を切ったように涙があふれ、綾乃の頬を伝った。
雪「わたしの方こそ、ごめんね。ずっと黙ってたから……。でもね、お母さんがやっと元気になってくれたの。だから、もう大丈夫。私も、成仏しようって決めたんだ」
綾乃「……そうだったんだね……」
雪は、まるで春の日差しのように柔らかく笑った。
雪「綾乃ちゃん。こんな私に優しくしてくれて、本当にありがとう。
もしまた生まれ変われたら、絶対、綾乃ちゃんと友達になりたい。……だめかな?」
綾乃は涙をぬぐい、力いっぱい首を振った。
綾乃「なに言ってるんだよ! いいに決まってる! いつか絶対、また会おうね!」
その言葉に、雪は満足そうに微笑んだ。
そして、ゆっくりと夕暮れの光の中へと溶けていく。
光が消えたあとも、綾乃の心の中には、雪の笑顔が残っていた。
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