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封呪戦記 生贄の儀式を目撃し、追われる少女  作者: ムクナ
第一章 生贄の儀式を目撃し、追われる少女
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第ニ十二話 獅子丸(壱)

挿絵(By みてみん)


 綾乃は、身体のあちこちに切り傷や打撲を負い、呼吸をするだけでも胸が焼けるように痛んでいた。

血の気の失せた顔には疲労と恐怖の色が濃く刻まれており、耳の奥では、追っ手の気配が消えぬ幻聴のように響き続けている。


「……休んだら終わりだ……」


自分にそう言い聞かせるように、綾乃は主要な街道を避け、あえて人の気配が少ない獣道ばかりを選んで歩き続けた。

枝葉が容赦なく頬を掠め、草木の棘が衣を裂き、裸足に近い足裏は石や根で裂かれて赤く染まっていく。

それでも、後ろから迫る得体の知れぬ影を振り払うかのように、必死で歩みを止めなかった。


だが空腹は腹を内側からきりきりと締め上げ、疲労は全身の血を重くし、頭は霞に包まれていた。

視界は揺れ、木々が二重三重にぶれて見える。

喉は乾ききり、唇はひび割れ、呼吸は荒れた風のように途切れ途切れになる。


「……もう、無理……」


その言葉を最後に、綾乃の膝は支えを失ったように崩れ落ちた。

大地に倒れ込む音が森に吸い込まれ、彼女の身体は冷たい土と湿った落ち葉に包まれる。

重い瞼は二度と開かぬかのように閉じられ、意識は暗闇に沈み込んでいった。


 その背後で、風が枝葉を揺らし、遠くには追っ手の足音とも獣の咆哮ともつかぬ不気味な響きが忍び寄っていた。



綾乃がふと瞼を持ち上げると、視界には淡い光が差し込んでいた。

それは木の隙間から漏れる朝日ではなく、壁に開いた小窓から入る柔らかな陽光だった。

鼻先に届くのは、乾いた藁の匂い。背中には柔らかくもごわついた感触があり、自分が藁の上に寝かされていることに気づく。


「……ここは……?」


ぼんやりとした頭を振り、意識をはっきりさせた綾乃は、まず恐怖に駆られた。

両腕、両足──。

慌てて動かしてみる。縄の食い込む感触はない。鉄の枷もない。自由だった。


安堵の息が喉から漏れそうになった瞬間、心臓が跳ねる。

「まさか……御神体……!」


綾乃は震える手で懐を探った。

衣の内側に差し込むと、そこには冷たくも懐かしい感触があった。

お狐様の御神体──。

あの忌まわしい追跡の中でも必死に守り続けた、美しい短剣が、確かにそこにあった。


「……よかった……」


胸の奥に広がる安堵に、目頭が熱くなる。

しかし同時に疑念もよぎった。

なぜ自分はここに寝かされているのか。

誰が自分を運んだのか。

敵か、味方か。

周囲を見渡せば、粗末ながらも手入れの行き届いた小屋であった。

壁は土壁に木材を打ち付けただけの簡素な造り。だが乱れはなく、埃も少ない。

奥には小さな囲炉裏があり、灰の中にはまだ赤い火種が残っていた。


外の気配は──ない。

ただ鳥のさえずりと、風に揺れる木々のざわめきだけが耳に届いていた。


藁の上で浅い呼吸を整えていた綾乃は、ふと外から近づく気配に気づいた。

草を踏みしめる音。小屋の戸口に差し込む影。

胸が強く脈打ち、思わず御神体を握りしめる。


──ギィ……。

木の戸が軋む音とともに、家主が姿を現した。


綾乃は息を呑んだ。

現れたのは、想像していた粗野な山賊や老人ではなかった。

むしろ彼女の目の前に立ったのは、十八歳ほどに見える若者。


陽の光を背に受けたその姿は、まるで絵巻から抜け出したようであった。

整った眉と澄んだ瞳。長いまつ毛が影を落とし、白い肌を引き立てている。

口元は柔らかな線を描いていたが、決して女めいてはおらず、意志の強さを感じさせた。

髪は黒々とした艶を放ち、首筋までの長さで無造作に揺れている。


そして目を引いたのは、引き締まった体つきであった。

肩から腕にかけて余分な肉のない筋肉が浮かび、無駄なく鍛えられていることがわかる。

粗布の衣に隠されていても、その体幹の強さは隠せなかった。

田舎の青年とは思えぬほど、均整の取れた姿だった。


「……!」


綾乃は思わず身を固くした。

相手が若く、美しい容貌であるほど、その正体が掴めず不気味に感じられる。

追っ手の仲間なのか、それとも……。


男は小屋に入ると、ぱっと空気を明るくするような声を響かせた。


「おう!やっと目を覚ましたか!」


その顔には、警戒心を解くような愛嬌のある笑みが浮かんでいた。

日差しに照らされ、白い歯が覗く。表情は無邪気そのもので、どこか人懐っこさすら漂っていた。


男は綾乃の顔を覗き込み、腕を組んで胸を張った。

「お前が獣道で倒れているのを見つけてな、この小屋まで担いで運んでやったのじゃ!」


綾乃は一瞬、呆然とした。

追っ手の手先かと構えていたが、あまりにもあっけらかんとした態度に戸惑い、心の張りつめた糸が緩む。

胸に抱えた御神体をぎゅっと握りしめたまま、男の言葉を探るように見つめた。


男はさらに笑顔を深め、誇らしげに名乗った。

「オレの名は、獅子丸! 京都で名を上げるために、この山に籠もって修行をしている。

剣も、心も、体も──すべてを磨いている最中だ!」


その声は力強く、どこか舞台の上で大言壮語する若武者のようでもあった。

真剣さと青臭さが入り混じる響きに、綾乃は思わず目を瞬かせる。


獅子丸は彼女の沈黙を気にも留めず、身をかがめて柔らかく問いかけた。

「それで──お前は? 名はなんという?」


綾乃の胸がどきりと跳ねた。

追っ手の気配が頭をよぎる。

もし正直に名を告げてしまえば、己の素性が露見し、命を狙う者たちに繋がってしまうかもしれない。


「わ、私は……」


「今後はどうなるの」

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