第十九話 人を喰らう者達(前編)
白晨狐神社炎上から4日後
山の空気は冷たく澄んでいたが、綾乃の身体にはもはやその爽快さを味わう余裕はなかった。
幾度も石につまずき、足取りは重く、潰れた足の豆が靴の中でずきずきと痛んでいた。
衣の裾は旅塵に汚れ、肩に掛けた袋は重くのしかかっている。
やがて、木々の切れ間に小さな建物が姿を現した。
山道の脇に、こじんまりとした宿屋がひっそりと佇んでいる。
屋根は苔むし、壁は煤けていたが、窓の障子には淡い光が漏れていた。
離れの囲いからは白い湯煙がのぼり、鼻腔をくすぐるように硫黄の香りが漂ってくる。
綾乃はその光景を目にして、思わず息をついた。
綾乃(今日くらいは……宿に泊まるのも悪くないか)
決意を固め、ぎしりと鳴る扉を押し開ける。
中は思いのほか明るかった。
灯籠の火がこうこうと灯され、板の間は丁寧に磨かれている。
しかし、人の気配はない。
宿の主の姿もなく、ただ静寂だけが広がっていた。
綾乃(……留守か。主が帰るまで此処で待たせていただくか)
そう思い、腰を下ろした途端、張り詰めていた心と身体が緩んだ。
温もりのある灯火に包まれ、瞼は次第に重くなり、綾乃はうとうとと眠りに落ちかけていく。
そのとき、入口の戸が軋む音とともに開いた。
入ってきたのは、背を大きく曲げた皺深い老婆だった。
白髪を後ろでひとまとめにし、腰には古びた帯を締めている。
しかし、その目は年齢を感じさせぬほどギラギラと輝いていた。
老婆「ありゃりゃ! これは珍しい! お客さんかねぇ?」
綾乃は立ち上がり、深々と頭を下げる。
綾乃「はい……本日一晩、泊めていただけないでしょうか」
老婆はにっこりと笑い、手を叩いた。
老婆「もちろんええですとも! うちには温泉もありますけん、ゆっくりとしていきなされ」
その言葉に、綾乃の心はじんわりと温まった。
張り詰めていた旅の緊張がほどけ、胸の奥から安堵が溢れる。
綾乃「ありがとうございます。助かります!」
老婆は「よかよか」と繰り返しながら、綾乃を奥へと案内した。
老婆とのやり取りを終えた綾乃は、離れの湯殿へと案内された。
木の囲いの中には小さな露天風呂があり、岩の間からはこんこんと湯が湧き出ている。
湯気は薄い月光に溶け込み、白く幻想的な幕を張っていた。
綾乃は衣を脱ぎ、熱めの湯に身を沈める。
途端に、疲労で固まった全身の筋肉が溶けるようにほどけていった。
綾乃(……あれから、まだ一週間しか経っていないのか)
頭に浮かぶ光景は鮮烈であった。
甚平が命を落とした瞬間。
白晨狐神社が炎に包まれる様。
篝火に揺れる鬼達の顔
白晨狐神社が炎に包まれる様。
膳槽様、彼は果たして無事なのか。
熱い湯が目にしみ、思わず瞼を閉じる。
綾乃は、心の中に渦巻く不安を無理やり押し込め、静かに息を吐いた。
⸻
風呂上がり、部屋に戻るとそこには豪勢な膳が用意されていた。
囲炉裏の赤い火に照らされ、料理は湯気を立てている。
焼き上げられた山女は黄金色に輝き、川魚独特の香ばしい香りを漂わせる。
皿には山で採れた山菜が盛られ、苦味と甘みが想像を誘った。
そして中央には、炭火でじっくりと焼かれた肉の塊が鎮座していた。
皮は香ばしく焦げ、滴る脂が皿の底に小さな湖をつくっている。
綾乃の腹は、ぐぅ、と音を立てた。
綾乃「美味しそう!」
老婆はにこやかに手を広げた。
老婆「たんと召し上がりなさるがよい!」
綾乃は箸を取り、炭火焼きの肉に手を伸ばした、そのとき!
ぞわり、と背筋を撫でるような気配。
視線を落とすと、膳の下の暗がりに、何かがいた。
そこに、土色の顔をした一人の男の霊がうずくまっていた。
血の気のない顔、落ち窪んだ目。
その瞳は、綾乃を真っすぐに見上げている。
男の霊「……頼む、頼むから……食べないでくんろ……」
綾乃は箸を止め、瞬きを繰り返す。
綾乃「?」
だが、男は繰り返す。
男の霊「頼むから……食べないでくんろ……」
男の霊「頼む、頼む……頼むから……食べないでくんろ……」
その声は掠れ、しかし必死であった。
懇願するように手を伸ばし、血走った瞳でただ同じ言葉を繰り返す。
綾乃は空腹に負け、少し苛立ちを覚え始めた。
綾乃「お主には悪いが、お腹が空いてたまらんのじゃ」
だが霊は止まらない。
男の霊「頼む、頼むから……食べないでくんろ……」
その必死さに、綾乃の苛立ちは募る。
綾乃「もー! ひつこいなー!」
怒り気味に声を上げる。
綾乃「いい加減に――」
その瞬間。
男の霊「頼む……頼むから……オラの身体の肉を食べないでくんろ……」
綾乃の胸に冷たい電撃のような衝撃が走った。
箸の先にある肉。
炭火で香ばしく焼かれたその肉塊。
まさか!!!
綾乃「!!!!!」
霊の言葉の意味が、一瞬で綾乃の心臓を凍り付かせた。
「今後はどうなるの」
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