第5話:絶対的拒絶
仮名頭リンは失意の中で帰宅しようとしている。
自分が警察のお荷物だということは十分承知していたはずだったが、あからさまに馬鹿にされていることを知ってしまうとやはり落ち込まずにはいられなかった。
また、彼女には別の大きな問題もある。
左肩に宿った人面瘡だ。
勤務中は不思議なほど存在を感じさせなかった異物のことを、リンは自宅に歩を進めていくにつれて思い出す。
(あの化け物と顔を合わせなきゃいけないのか)
まるで鉄球の付いた鎖を引きずっているかのような重い足取りでリンは自宅へと辿り着いた。
「お帰りなさいませ。夕飯が出来上がっております」
無言で玄関のドアを開けたリンを出迎えたのは、家政婦の佐古田キヨミだ。
「ありがとう。先にお風呂に入るわ」
リンはキヨミに作り笑顔を見せると自室に入り、スーツを脱いだ。
恐る恐る姿見に左肩を映す。
忌まわしい化け物は見えなかった。
「そういえば病院でも姿を消してたっけ」
どうやら人面瘡は思い通りに現れることができるらしい。
それならば自分の生身を見られなくて良いと安堵し、リンは入浴を済ませた。
そして、夕食もそこそこに食べ終えると自室に引きこもった。
ベッドに仰向けになった彼女は虚ろな様子で天井を見つめている。
キヨミの話では、父親のジンは今夜東京へ出張中で母親のレンも一緒とのこと。
今頃は東京で検事をしている兄のケンを交えて食事を楽しんでいるのだろう。
リンは自分が家族の中で浮いた存在だと思っている。
ケンは厳しいながらも妹を思い遣る言葉や態度を示してくれるが、両親は完全に娘を見放しているようだ。
特にレンはリンが幼い頃から「あれがダメこれがダメ」と自分のやることなすことを否定してきた。
何故そこまでと思うことも多かったが、リンは母親の瞳の奥に自分に対する畏れのようなものがあると感じていた。
両親に好かれたくて、認められたくて頑張っているつもりだが成果が出ない。
いつしかリンは他人とのやり取りでも同様の感情を覚え、がんじがらめとなりそれが現在まで続いているのだ。
「どうしよう…」
リンが独り言ちたその時だった。
「ムクッ…」
左肩が盛り上がるのがわかった。
リンは起きると、パジャマの襟ぐりから左肩を覗いた。
「リンさんこんばんは」
双という人面瘡が柔らかな笑顔でこちらを見つめている。
おぞましくなった彼女は、双の顔を見たくないのでパジャマでそれを隠した。
「何よ?」
人面瘡の挨拶に対してぞんざいに応えるリン。
「今日はお疲れ様でした。いろいろと大変でしたね」
化け物は姿を消していても取り憑き先の女性がどんな一日を過ごしたか知っている。
つまり、自分が嘲笑されていたことも全部お見通しなのだ。
双の至極丁寧な物腰も逆効果となってリンを戦慄させた。
「よ、余計なお世話よ!」
リンは恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にして声を荒げる。
「人面瘡って失礼なのね。姿を消しておいて人が馬鹿にされているのを見て笑ってるんだ?」
「不愉快な気分にさせてしまい申し訳ありません。確かに私は昼間リンさんが辛い思いをしていることに気づいていました。けれども、あの状況で私が出るわけにもいかず、静観させていただいた次第です」
双の言うことは最もだが、イライラしているリンには響かなかった。
「当たり前よ!私の身体に化け物がいるなんて知られたら生きていけない!」
「化け物…そうですね。リンさんにとって私が招かれざる客であることは百も承知です。ですが、だからこそ私はせめてもの罪滅ぼしとして貴女のお役に立ちたいのです。今がお話できるタイミングだと思ってお声がけしました。どうでしょう、昨日の続きで私の話を聞いてはいただけないでしょうか?」
”化け物”と言われて、双の声がトーンダウンしたようにリンには聞こえた。
また、自分の中にこれほど粗野で他者を慮れない性質があることに驚きを禁じ得なかった。
「化け物と話すことなんてない!私の望みはアナタが消えてなくなってしまうことよっ!」
キヨミに聞こえてしまうかもしれないほどの大声を上げてしまうリン。
「そうですか…わかりました。それでは今日はお暇いたします。私と話をしてくださる気持ちになりましたら気軽にお声がけください」
「……」
双の言葉をリンは無視した。
「おやすみなさい」
双の悲しげな声が聞こえた。
リンは卒倒するかのようにベッドに横たわった。
先刻のようにぼんやりと天井を見つめるリン。
彼女にはある決意が湧き上がった。
今まで生きてきた25年間の中で初めて出てきた感情だった。
(死のう…)




