第1話:仮名頭リンの受難その1
「もう、夢なら覚めてよ!」
仮名頭リンは、ドラマやアニメの中でしか聞いたことのないセリフを言わずにはいられなかった。
話は1ヶ月ほど前に遡る。
「ハッ?」
ある日の深夜、リンは寝苦しさで目を覚ました。
枕元の時計を見やると3時を少し過ぎた頃だった。
「またか」
独り言を呟きながらゆっくりをと身体を起こす。
鎖骨辺りを触ると、かなり汗ばんでいる。
(しかたないな)
リンは面倒だと思いながらもシャワーを浴びることにした。
部屋を出ると薄明かりが点いている廊下だ。
彼女はバスルームを目指して、自分が住むだだっ広い屋敷の中を歩いていく。
(重要な捜査の前の日、いつも私はこうだ)
リンの思考はネガティブに陥っていく。
(この家は私に似つかわしくない)
一度落ち込むと考えなくて良いことにまで思いを巡らせてしまう。
仮名頭リンは25歳。
M県警察刑事部捜査一課の刑事だ。
彼女はM県S市在住、県内でも有数の資産家で知られる仮名頭家の令嬢である。
父のジンは複数の会社を経営しており、母のレンはSNSを中心に活動する名高い美容評論家。
そして、年子の兄ケンは優秀な検事として頭角を現している。
リンも御多分に漏れず優秀な刑事だと言いたかったが、その実は違っていた。
リンは人目を引く美人だが、それ以上に何事にも要領が悪く、むしろ容姿の良さがマイナスに働くほど周囲から疎まれている。
刑事になれたのも彼女自身の能力ではなく仮名頭家の威光、つまりコネでねじ込まれたのだ。
そのことを自覚し過ぎているリンは、何とかして周りの評価を変えたいともがいている。
しかし、目に見える成果として表れない。
益々負のスパイラルに落ちているのであった。
バスルームに着いたリンは、パジャマの上を脱いで洗面台の鏡を見た。
自信なさげな自分の顔を見るとイライラしてくる。
(ベタベタして気持ち悪い!早く汗を洗い流して二度寝しよう)
そう思った彼女は、ふと鏡の中の自分を凝視した。
(あれ?)
左肩にほくろのような発疹を見つけたのだ。
(こんなところにほくろなんてあったっけ?)
軽い不安を覚えたリンだったが、明日のことを考えて手早くシャワーを浴び、部屋に戻ると発疹のことなどすぐに忘れて眠りについた。
それから1週間後夜のこと。
リンは浮かない気分でスマホをいじっていた。
ひたすら動画配信サイトで子猫やフクロウなどの動画を次から次へと流し観していたのだ。
これといって趣味のない彼女の唯一の楽しみともいえるのが動物の動画を観ることだった。
それでもリンの気分は一行に晴れない。
彼女は仕事が上手くいっていない。
大きな失敗こそしないが、細かいミスを積み重ねており、尚且つ修正することができないでいる。
そのような状態が続くと、捜査一課でもリンに重要なポジションを任せられないのは必然。
書類の整理整頓など、初歩の初歩的な仕事ばかり押し付けられてすっかり落ち込んでしまった。
「もう!」
落ち込んだ気分がイライラへと変わる。
リンは動画を観るのをやめ、風呂に入ることにした。
(えっ?)
バスルームにて部屋着を脱いだリンは自分の左肩に違和感を覚えた。
(大きくなってる!)
ほくろのような発疹が、いつの間にかビー玉くらいの大きさになっている。
「やだ、どうしよう…」
困惑が声になって出てしまう。
(これ以上大きくなる前に何とかしなきゃ)
リンの憂鬱な思いは晴れることがなかった。
さらに3週間後のこと。
リンは仕事の多忙さもあり、例の発疹のことをすっかり忘れていた。
帰宅後ベッドに横になってボーッとしていた彼女は、おもむろに起き上がり机の上に置いていた卓上鏡の前でトレーナーをはだけて左肩を映す。
(良かった。こないだと変わっていない)
発疹は相変わらずあるものの、前回確認した時と状態が変わっていなかったので安堵するリン。
(明日休みだから皮膚科に行って切ってもらおう)
ちょっとだけ気分が上向いたその時だった。
「プシュ、プシュゥ…!」
聞き慣れない破裂音が左肩から鳴った。
まるで皮膚が破裂したかのような感覚である。
「ちょっ、何…!?」
狼狽えるリン。
次の瞬間、世にもおぞましい事が起こった。
破裂音はリンの左肩の奥の方から鳴り響き、骨まで伝わる振動が彼女の気分を酷く害した。
奇妙なことに痛みは全く感じない。
しかし、振動があまりにも強いので彼女は船酔いにでもなったかのような感覚に陥り、思わず倒れそうになったが、何とか踏みとどまった。
(何よ、何なの?)
言葉にならない疑問符が大きくなり頂点に達した時、発疹が歪み始めた。
発疹はまるで粘土細工のようにグニャグニャと動き、握り拳大にまで一気に成長した。
「ヒッ、ヒギャァー!」
大きくなった発疹を認めたリンは、生まれて初めて心の底から恐怖の叫び声を上げた。
「やぁ、はじめまして…」
発疹は男性の顔に変貌し、あろうことか言葉を発したのだった。




