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LAZULI番外編

LAZULI ~はじめましての時 ディートハルト編~

作者: 羽月

「LAZULI」本編開始時点より4年前の、メインキャラ達3人が初めて出会った頃のお話です。

ディートハルト13歳

エトワス15歳(16歳目前)

翠15歳


 昨夜は夜通しずっと雨だったので心配していたのだが、夜明け前に雨は上がり日の出から間もない現在、窓から見える空にはほとんど雲がなく柔らかい水色の空が広がっていた。

「すっかりお茶が冷めてしまったね。温めなおそうか?」

ルピナス地方の小さな町ランタナの神父ジェミ・マレッティは、緊張した面持ちで座っている金色の髪に瑠璃色の目をした少年に優しく尋ねた。

「大丈夫です」

少年はフルフルと首を横に振る。少女のような顔立ちの優し気な外見に反して非常に気が強く、同世代の者達と頻繁に殴り合いの喧嘩をしている彼も、マレッティの前では素直で無邪気な素の彼に戻る。

「何か、緊張してて飲めそうにないので」

そう話す少年の顔からは、血の気も引いている。膝の上には少しの衣服と筆記用具、合格通知と共に届いた書類や、入学の手続きに行った際に渡された書類が入った薄い鞄が乗せられ、さらにその上には、大きめの少しくたびれた白いウサギのぬいぐるみが乗っている。幼い頃から“ラビくん”と呼び、友達だと思って大切にしてきた物だった。今から10年くらい前に、バザーの売れ残りだと言って神父が贈ったものだ。

「大丈夫、君は強い子だ。自分の力で、やっとこの町を出て行けるんじゃないか。これからも、きっと上手く行くさ」

マレッティは力強く頷いてみせた。と、棚に置かれた時計が鳴る。オルゴールの様な柔らかな音色だった。

「そろそろギード君が来る頃だね」

マレッティがそう言った時だった。小さな小屋の扉がノックされ、少年がハッとして顔を上げた。同時に、マレッティは席を立ち扉を開ける。

「ッス、神父様」

外に立っていたのは、立てた短い髪を赤く染め、耳と鼻にシルバーのピアスを付け、袖口から覗く手にはタトゥーが入った30歳前後の男だった。

「時間通りだね」

マレッティが笑顔を見せる。

「よぉ、ディートハルト。シケた面してんな。大丈夫か?」

布製の薄い鞄を両手できつく握りしめて立っている金髪の少年に向かい、マレッティの肩越しにギードが声を掛ける。

「それじゃあ、神父様。おれ、行きます」

ディートハルトはマレッティの顔を見上げて、両手で持ったラビ君を差し出した。

「今まで本当にお世話になりました」

既に、これ迄世話になった事に対しての感謝は伝えていたが、最後にもう一度頭を下げた。此処を発てば、次にいつ会う事になるか分からないからだ。養い親一家や喧嘩相手だった同世代の者達がいるこの町に二度と戻って来たいとは思っていない。

「ラビ君は私がちゃんと大事に預かっておくからな。くれぐれも体に気を付けて、元気でおやり」

「神父様も、お元気で」

マレッティは優しく笑い、ディートハルトの頭を撫でた。

「ギード君、ディートハルトを頼むよ」

「任せてください。責任持って帝都に連れて行くんで」

ギードが白い歯を見せニッと笑う。


 ディートハルトは神父に見送られ、教会の敷地内にある神父が生活している小屋を後にした。これからこのままランタナを出て、北にあるルピナス地方の中心都市ルピナスを目指す予定だった。今日はルピナスの宿に宿泊し、明日はそこから西に向かい、ルピナス地方とファセリア地方のちょうど境界にある町ヒュームまで行きさらに一泊する。そして、その次の日には最終目的地である、ここファセリア帝国の都で皇帝のいる帝都ファセリアに行く予定だった。帝都へ着くのは夕方以降になるため、到着後はそのまま帝都で一泊し、翌日入学と入寮のための準備を整えてから学生寮に入る事になる。

 ディートハルトは帝都にあるファセリア帝国学院の兵士を養成する専門の学科、騎士科(ナイトコース)の入学試験に合格していて、11日後に入学式を控えている。入学式の一週間前には学生寮に入らなければならないため、今日ランタナを発つ事にした。

 ディートハルトの様に遠方から入学する多くの学生は、親と一緒に帝都を訪れるはずだが、ディートハルトはファセリア帝国学院に入学する事も、その前に受験した事も、入りたいと目指していたことも養い親には話していない。今日も、少ない所持品を全て持ち出して黙って生まれ育ったその家を出てきていた。とはいえ、ずっと邪険にされてきた存在だったので、ディートハルトが何も告げず突然姿を消したとしても養い親一家は気にも留めないどころか、逆に喜ぶに違いなかった。マレッティ神父もギードもそれをよく知っているため、今日までずっとディートハルトが無事に入学出来るよう、受験のための準備等も含め内密に協力してくれていた。

 色々と掛かる費用のための資金は、ギードの経営しているシルバーアクセサリー店で10歳の頃から働かせてもらいコツコツ貯めて来た。平日の昼間は学校もありなかなか稼ぐことは出来なかったが、それでも何とかまとまった金額を用意する事ができ、学院で必要な物を揃えるのにそれでもまだ足りなかった分は、ギードと神父様が出してくれた。もちろん、これから先、二人に少しずつ返していくつもりだ。


「帝都に着いたら、まずは制服とか受け取りに行かなきゃだな。学生生活が楽しみだな」

歩きながらギードが笑顔を向ける。

「店長、ホントに何日もお店をお休みにしていいんですか?」

ディートハルトはギードの少し後ろを歩きながら、気になっていた事を尋ねた。

「んじゃ、お前一人で帝都に行けるか?途中で魔物が出るかもしれないぞ?」

「……あ、はい。大丈夫、です。……多分行けます」

ディートハルトが答えると、ギードは声を上げて笑った。言葉とは裏腹にディートハルトが非常に不安そうな表情をしていたからだ。

「心配すんな。お前が入学試験に受かったら、オレが親の代理って事で帝都まで一緒に行って入学のための準備を手伝ってやるって約束してたろ。それに、オレが帝都で行きたい店もあるしな」

ギードは見た目は少し怖いが、とても親切な人物だった。

「ありがとうございます……」

「そうそう、オレとは違う意味でお前は目立つから気を付けるんだぞ。兵士を目指す奴らが集まってるんだ。外見でナメられない様に絶対に隙を見せるなよ」

「はい」

これまでに何度も聞いた言葉だったが、改めて同じことを言うギードの言葉にディートハルトは深く頷いた。

「店長のお陰で強くなれたから、大丈夫です」

ちゃんとした格闘術などではないが、殴ったり蹴ったりの戦い方を教えてくれたのはギードだった。幼い頃は、意地の悪い同年代の者達から逃げて泣いてばかりだったが、彼と出会ってからはとても強くなれたと思う。

「最初から分かりやすく絡んで来る奴は、拳で対抗すりゃいいけどよ。笑顔でフレンドリーに近付いて来るたちの悪い奴もいるから、そういう奴は特にヤバイ。後で裏切られて痛い目に遭うからな。よく相手を見て、簡単に気を許さない様にしろよ。お前の身を守れるのは、お前自身だけだ。忘れるな」

「はい!」

「これまで何度も言って来たが、何より大事なのは、まず気持ちで勝つ事だからな。絶対に弱気になるんじゃねえぞ。ビビったら相手に伝わって、その時点で負けが決まるからな。お前は外見が優しいから中身でそれをカバーしなきゃなんねえ。ハッタリでもいいから強気で行け!」

ディートハルトはギードの言葉をシッカリと胸に刻み込んだ。


 二人は予定通り進み、3日後の夜に帝都ファセリアに辿り着いた。

ディートハルトは受験の下見と受験当日、合格後には入学手続きと説明会の際にも訪れているため、これで4度目の帝都になる。これまでの4度のファセリア行きにはマレッティ神父とギードの二人が付き添ってくれていた。手続き等はマレッティ神父がしてくれたのだが、ランタナからの長い道のりを、戦う術を持たない60代半ばのマレッティと13歳のディートハルトの二人だけで往復させるのは心配すぎると、ディートハルトから話を聞いたギードが同行を申し出てくれたからだった。本当は今回もマレッティ神父が同行すると言ってくれていたのだが、先日、教会内の菜園を手入れしている最中に腰を痛めてしまったため、マレッティを気遣ったディートハルトの希望でギード一人の付き添いとなっていた。


「ディートハルト、やっぱ帝都は遠いな~」

入学手続きの際に予め予約を入れていた学生寮近くの宿に着くと、ディートハルトはホッとしてベッドに腰を下ろした。

「ほら」

と、ギードが帝都に着いてすぐに店で購入した卵サンドを手渡してくれる。部屋に置いてあるサービスのハーブティーと一緒に食べたが、あまり食欲はなかった。ランタナを出て以来ずっと緊張しているせいだ。これが良いと自分で選んだ卵サンドだったが、一切れしか食べられなかった。

「明日は、まず制服を受け取りに行って、あとは教科書と、靴と鞄と……」

ボリュームたっぷりのチキンサンドを頬張りながら、ギードが書類を確認している。

『いよいよここまで来たんだ……』

ギードの言葉をぼんやりと聞きながら、ディートハルトは窓の外に見えている帝都の街並みを眺めていた。



* * * * * * *


「忘れ物はねえな?」

ギードが尋ねる。二人は今、ファセリア帝国学院の騎士科の学生寮近くの公園にいた。この後はディートハルトは学生寮に向かう事になるため、公園のベンチで今回二人で食べる最後の食事をとっていた。ディートハルトが事情があって食事のために店に入る事を嫌っているため、軽食を購入してこの様な場所で食べている。

「多分、大丈夫です……」

今日は一日掛けて、制服や教科書、指定の靴や鞄等、揃えるように学院から伝えられた物を揃えてまわった。

「本当に、私服とか普段使い用の鞄とかは買わなくて良かったのか?」

「制服もあるし、指定の鞄もあるから平気です」

ギードは、私服や鞄を入学祝いに買ってやると言ったのだが、ディートハルトはそれを断っていた。ただでさえ神父やギードには世話になり、お金も借りているからだ。

「いや、でも、部屋でも制服でいる訳じゃないだろうし、休みの日に遊びに出掛けたりもするだろ?」

「今持ってる奴で大丈夫です」

そう答えるが、持っている私服は、今着ているシンプルなグレーのパーカーと、Tシャツ3枚、ズボンは2着、靴下3組だけだった。靴も、はいているものしかない。

「まあ、じゃあ、困った事があれば、オレかマレッティ神父様に連絡するんだぞ。必要な物があれば送ってやるからな」

「ありがとうございます」

ディートハルトは頷いて礼を言う。

「それじゃ、名残惜しいがそろそろ行かねえとな」

「はい、じゃあ行きます。ありがとうございました」

名残惜しい上に不安でたまらなかったが、ディートハルトはギードに別れを告げて、学生寮の敷地内へと続く門に一人で向かった。


 門から中に一歩入ると思わず振り返ってしまったが、そこに期待していたギードの姿は無かった。本当はギードは建物の影に隠れてこっそり見守っていたのだが、ディートハルトの決心が鈍るといけないと考えて隠れていた。

「よし、行け、ディートハルト!頑張るんだぞ!」

と、本人には聞こえない事を承知で応援する。

「……」

ディートハルトの方は、気持ちを切り替え視線を前に戻した。地図を見る迄も無く目の前に建物が見えていたが、握りしめてクシャクシャになった地図をもう一度確認して建物に向かって歩き出す。心臓がドキドキしてとても緊張していた。ランタナでもディートハルトの味方はギードとマレッティ神父だけだったが、ここには誰一人ディートハルトが信頼できる人物はいない。助けてくれる相手は誰もいないのだ。学生達の中にはファセリア帝国学院に無試験で自動的に入学できる初・中等部に通っていた者達もいるらしく、その事も余計に不安を煽っていた。元々知り合いで仲の良い者同士の中に入って行くのは困難だ。これまでの経験上、同年代の者達でディートハルトを受け入れてくれる者がいるとは思えなかった。きっと皆、ギードの言う通り、ディートハルトの事は弱っちい奴だと判断してナメて来る。馬鹿にして意地悪を言って、酷い目に合わせようとしてくるに違いない。

『ナメられない様にしねえとな』

ディートハルトは今13歳で、あと4か月ちょっとで14歳になるが、入学生達の大半は現在15~16歳だ。年齢を知られたらガキだと馬鹿にされるだろう。そうならないよう、子供だと思われないよう気を付けなければと肝に銘じた。



 学生寮に着き一階の管理人室に手続きをしに行くと、穏やかな雰囲気の年配の男性に学生達は皆既に部屋に入っていてディートハルトは最後の一人だと告げられた。鍵を渡され、教えられた部屋……2階の一番奥の部屋に向かう。

『大丈夫……』

一人部屋じゃなく、二人もルームメイトがいるというので不安で怖くて体が震えてしまったが、人気(ひとけ)のない廊下で立ち止まりり深呼吸する。一度ではなく、少し歩いては立ち止まり、何回か同じことを繰り返した。

『おれは大丈夫。一人でやっていける。他人の言葉に振り回されない様に、いちいち反応しない様にして誰も信用しなければいいんだ』

気持ちを落ち着けると、ディートハルトは一番奥の部屋の前に行き、目の前の扉に手を伸ばした。しかし、すぐに引っ込めて小さく息を吐く。自分が最後だという事は、もう二人の同居人は部屋の中にいるという事だ。

『絡まれない様に、スルーすればいい』

ディートハルトは意を決して改めて手を伸ばした。そして、ドアノブには手を掛けずノックする。すぐに部屋の中で人が動く気配がして扉が開いた。


 現れたのは、背の高い男だった。

「ああ、良かった。もう一人のルームメイトだよな?遅いから、何かあったんじゃないかって心配してたんだ」

初対面なのに、その男は“心配していた”等と胡散臭い事を言って笑顔を見せた。

「俺は、エトワス・ジェイド・ラグルス。よろしく」

「……」

長い名前だな、と思った。直後に、ああ、貴族なのかと気付く。庶民とは違い貴族はミドルネームという物を持っているらしい。自分――ディートハルト・フレイクという名前の場合、フレイクというのは普通なら家名だが、養い親の家名を名乗るのは嫌だったので、受験の申し込みをする際に、辞書を適当に引いて目に留まった“スノーフレイク”という語から取って自分で付けた。少し長いと思ったので、省略して“フレイク”という部分だけを使った。でも、目の前のこの男は、由緒ある家の名前なんだろう。そう言えば聞いた事がある気がする。でもまあ、興味は無いからどうでもいい、そう思った。

「おっ、やっと来たんだ?もう一人のルームメ……うはあぁっ!超美少女!?」

奥に居たらしい、もう一人別の男が出て来た。この男も目の前の貴族と同じくらいに背が高い。この二人が同時に殴り掛かって来たら不利だし、デカいのが二人も揃って鬱陶しいとディートハルトは思ったが、喋っている内容もウザいと思った。

「マジでヤバッ!ホントにこの部屋であってんの??」

どこまで人を馬鹿にすればすむのだろうか?と、少し癇に障る。ほら、やっぱりおれの事を見た目で馬鹿にする奴しかいない。

「オレは如月 翠。この国風に言えば、スイ・キサラギだけどね。君は?名前なんての?」

名前なんて尋ねていないし、興味も無いのに黒髪の男が名乗った。本当に面倒臭いと思う。

「……名乗る必用があるのか?」

「え?そりゃ、あるでしょ。オレら、今からルームメイトな訳だし?」

「……」

だったら何だ。ただ同じ部屋を使うだけの関係だ。お互い気にしないで過ごせばいい。そうディートハルトは思っていた。

「まあ、立ち話もなんだし。入れば?個人スペースは何処がいい?好きな位置でいいよ。希望がある?」

長すぎて名前は忘れたが、この男は妙に親切な事を言う。きっとこれが、ギードの言っていたたちの悪いタイプという奴なんだろう。良い人間のフリをして、裏では悪く言っていたり、何か企んでいてきっと後で裏切る様な人間だ。それでも、好きな場所を選んで良いと言うのなら好きに選ばせて貰おう。ディートハルトはそう考え、部屋の奥の壁際のベッドと机を選んで荷物を置いた。

「じゃあ、クローゼットはここを使って」

「……」

初対面のよく分からない奴らが話し掛けてくるため、ディートハルトは疲れてしまっていた。ランタナを出てからの4日間、休む事もなくここ迄来た事と、不安や緊張のせいで一気に疲れが出たのかもしれない。

 ほとんどが学院で使う物だけという荷物の整理が終わると、ディートハルトは自分が選んだベッドの端に腰を下ろした。ここが、これから4年間使う事になる自分の場所だ。ランタナで養い親に与えられていた部屋は個室だったが狭い物置の様な場所で、小さなベッドと薄い毛布、そして小さなテーブルと椅子一つしかなかったので、それに比べれば贅沢な環境だった。一人一人に本棚と引き出しの付いた頑丈そうな机と椅子、ベッドには温かそうな毛布と布団に枕、そして収納棚とは別に個人のクローゼットまである。部屋の共有スペースにはテーブルと椅子が3人分あり、閉まっている2つの扉の先は、きっと洗面所やバスルーム、トイレなのだろう。個人スペースだけでなくこれらの場所も自由に使えるというのは、今までの環境を考えるとあり得ない事で驚いていた。


「俺はウルセオリナ出身、翠は北ファセリアで生活してて、実家は国外なんだけど、君は?」

また、長い名前の男が何か喋っている。ああ、そう言えば、ウルセオリナの領主の家名が確かラグルスだった。と、ディートハルトは思い出した。騎士科に入るという事は、ディートハルトも帝国兵を目指しているため……本当はただの帝国兵を目指している訳ではないのだが、とにかく、各地方の領主家の名前は知っている必要があるので、一通り覚えていた。

「オレはさー、珍しい名前だろ?ファセリアよりずっと南にあるシオン国っていう国出身なんだ。って言っても、母親がファセリア帝国出身だから母方の親戚は皆この国にいるんだけどね。エトワスが言った北ファセリアには爺ちゃん婆ちゃんちがあって、ガキの頃からそこで厄介になってたんだ」

黒髪の男も、聞いてもいない事をペラペラ話している。名前とか出身地とかどうでもいい。聞いた事ない国だし。ディートハルトはそう思っていた。

「子供の頃、シオン国から家族でファセリアの祖父母の家に遊びに行ったら、気に入ってしまって住み着く事になったんだよな」

二人とも仲が良さげでお互いの事を知っている様なので、きっとこの二人は自動的にファセリア帝国学院に入学した学生で、元々同じ学校の同級生だったんだろうなと思った。

「そうそう。全然違っててカルチャーショック受けてさぁ」

「シオン国は、”ニンジャ”っていう暗殺者集団と、主君のために腹を斬る”サムライ”っていう騎士の国なんだよな」

ディートハルトは、長い名前の男が何を言っているのかよく分からなかったが、シオンというのは物騒な国だと思った。

「う~ん、微妙だけど、まあそうかな。君は、侍とか知ってる?」

「知らねえ」

いちいち話し掛けないで欲しい。そう思いながら短くディートハルトは答えた。ただでさえ疲れているのだから、放っておいてほしい。

「これ、食べない?」

今度は何だ?と思ってディートハルトが目を向けると、長い名前の男が食料の入った紙袋を笑顔で差し出していた。一体何のつもりなんだろう?まさか毒は入っていないだろうけど、賞味期限切れの物とかで嫌がらせでもするつもりだろうか?

「いらねえ」

初対面の相手が差し出す食べ物なんて、危険すぎる。食べる訳がない。そうでなくても、この数日間ずっと食欲がなかった。

「遠慮しなくていいよ?余ってるから。このまま置いといても、どうせ賞味期限短いからすぐダメになるし。広場近くの角のパン屋のだから美味いよ?」

知らねえよ、何処のだろうと興味ねえし。と、ディートハルトは面倒臭くなり、もう返事はせずに完全に無視する事に決めた。贅沢な事にこの部屋には暖房もあるので、部屋が暖かいせいか眠気が襲ってきている。少なくとも、この二人は分かりやすく絡んで来るタイプではない様なので、拳で戦う必要はなさそうだった。そう考えると気が緩んだのか、なおさら眠い……。


「!」

人の気配を感じて、ディートハルトは飛び起きた。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。見ると、長い名前の男がすぐ近くに立っている。ギードに注意されていたのに、気を抜いてしまっていた事を後悔した。この男は何をするつもりなのだろう?

「起こして悪かった。そのまま寝たら、寒いだろうと思ったから」

言葉を鵜呑みには出来ないが、確かにその言葉通り、長い名前の男は掛け布団を手にしている。もちろん掛けて貰う気は無いため、ディートハルトはその布団を警戒しながら受け取った。

「じゃあ、おやすみ」

ディートハルトは、長い名前の男が離れるのを確認すると、布団の中に潜りこんだ。あまりぐっすり眠らない様に気を付けなければならない。二人とも信用出来ないからだ。いつでも起きられるようにしておこう……。そう考えながら、ディートハルトは眠りに落ちた。



* * * * * * *


 帝都の学生寮で暮らすようになった初めの頃は、マレッティ神父やギード店長の夢をよく見た。懐かしく思っているのか、それとも話を聞いて欲しいのか、自分ではよく分からないが、彼らの夢を見て目覚めた朝は何だか寂しい気分になった。しかし、彼らにはもう会えない。自分でランタナを捨てたからだ。

 入学式から数日経つと、同級生たちの間で仲良しグループが固定されて来た。しかし、ディートハルトにはどうでも良かった。どのグループに属したいとも思わないし、仲間に入れてくれる者もいないと分かっているからだ。ランタナにいた時と同じで、絡んで来る者もいたし存在しない者として完全に無視する者もいたが、絡んで来る方は迷惑だった。気に入らないと言いつつ、何故絡んで来るのか理解に苦しむ。嫌いなら避けたい、近付きたくないと思うものではないだろうか?


 その様な面倒臭い者をあしらい対処しつつも、学生生活にも慣れて来た頃……。

学院から学生寮に戻る近道の林の中を歩いていると、背後から呼び止められた。

「おい、フレイク」

口調からして、明らかに友好的ではなかったので、面倒くさく思いながら振り返ると、クラスメイトの良く絡んで来る二人組の姿があった。いつもつるんでいる金髪と黒髪で、ちゃんと覚えていなかったがこの二人も名前が長い。金髪がリカルド何とかで、黒髪がロイ何とか……つまり貴族だが、エトワスより格下の貴族だ。

「お前、ナメた態度を取るのもいい加減にしろよ」

ランタナでも似たような形で絡まれる事はあったが、久し振りだった。これが、ギードの言う“分かりやすく絡んで来るタイプ”だ。この場合、売られた喧嘩は買って拳で答えればいい。

「因縁付けて喧嘩売る気なら、買ってやるぞ」

言葉を返しても、結局こういう奴らは何か理由を作って殴りかかって来る。会話を続けるのは面倒臭いので、ディートハルトはそう答えた。すると、二人組はあっさりキレて飛び掛かって来た。

 久し振りとはいえ、しっかり応戦出来たと思うが、一発は顔に食らってしまった。おかげで口が切れてしまって痛い。氷か冷たい水で冷やしたかった。


「どうしたんだ!?」

ディートハルトが部屋に戻ると、顔を見るなりエトワスが目を見開いた。そんなに酷い顔をしているのだろうか、と、嫌な気分になる。

「……」

早く冷やそうと思い、ディートハルトはバスルームの洗面所へと向かった。


 それから3日間の間にまた同じ二人組に2回絡まれたが、日が経つごとにだんだん人数が増えてきているのが腹が立った。おかげで、ディートハルトもあちこち攻撃を喰らってしまうようになったので、ルームメイトのエトワスがしつこく聞いて来て本当に煩かった。

『何でこいつは、こんなにおれの事をいちいち見てるんだろう?暇なんだとしても、意味が分からない』

「関係ねえだろ!」

頼むから放っておいておしかった。

 「……」

ディートハルトは、洗面所の鏡を見て小さく溜息を吐いた。今日も顔をやられてしまっていた。実は、服に隠れている足にも大きな痣が幾つか出来ていたが、こちらは他人からは見えないのでまだいい。しかし、顔は……昨日は擦り傷で今日は痣。顔の傷は目立って、いかにも負けましたという印象になるので勘弁して欲しかった。しかも目立つので、エトワスがすぐに気付いて探りを入れて来る。聞いてどうするのか本当に謎だった。新聞部に所属していて、面白おかしく記事にでもするつもりなのだろうか?迷惑な話だ。一方、もう一人のルームメイト翠の方は、ディートハルトの顔を見るとエトワスと同じように少し驚いた様な呆れた様な表情はするのだが、特に何も干渉しては来なかった。ディートハルトにとっては彼の反応の方がありがたい。意識的に無視するのでもなく、気にならない背景の一部くらいの存在として何の感情も抱かれずスルーされるのが一番良かった。



 次の日――。


顔の傷よりも足の方が地味に痛かったので、今日は普通に部屋に戻りたいと思っていた。

『終わったら、急いで帰ろう』

スタートの合図を待っているランナーの様に心の中で準備をしていて、実際に一番に教室を出たのだが、いつもと同じように林の中で貴族コンビに声を掛けられた。走って追いかけて来たのだろうか?

「お前ら、二人じゃ敵わねえからって援軍呼ぶとか卑怯すぎんじゃねえ?」

昨日までは多くても3人だったのだが、今日は5人に増えている。

「なるほど、本当に生意気な奴だな」

そう言った男も含めて、二人は見た事のない学生だった。襟についている襟章の色が自分達の物とは違うので、上級生だと分かる。

「何だよ、あんたら?上級生だろ?関係ねえ上に接点もねえのに首ツッコむなよ」

「礼儀を知らないガキを教育してやんのも、上級生の務めなんだよ」

そう言って、『生意気な奴』と言ったのとは別の、もう一人の上級生が制服の上着を脱いでシャツを腕まくりする。学年が違うとここまで差が出るものなのか、明らかに鍛えられた筋肉質な体をしているのがシャツを着ていても分かった。

『ビビったら相手に伝わって、その時点で負けが決まる』

そう言ったギード店長の言葉が頭に浮かんで、思わず怯みそうになった心を奮い立たせる。

「頭悪そうな教育方法だな。絶対、下級生に慕われるタイプじゃねえだろ」

冷静を装ってそう言うと、真っ先にその腕まくり男が飛び掛かって来た。

 大きい相手は、動きが遅い。

だから、攻撃もかわしやすいしその後の隙も大きいから、反撃もしやすい。ただ問題なのは、今回の相手みたいに身体を鍛えまくっていて屈強な筋肉の持ち主だと、せっかく当たった攻撃も大してダメージを与えられない事だった。そこで、筋肉に護られていない顔を狙おうとしているのだが、全員自分よりも背が高いため届かなくて難しい。

「!」

何とか一人の顔面に届いて、相手が倒れた。ガツンと嫌な手応えがあったので、歯が折れたかもしれないと思った。

『よし、一人片付いた』

顔を殴られた同級生は動きを止めているので戦う気は無くなったのかもしれない。ところが、代わりに周囲が怒ったようで、一斉に飛び掛かって来た。

「ッ!」

わざとなのか、誰かが昨日と同じ場所を殴って来た。続く攻撃はなんとか避けたけれど、次から次に、死角からも殴り掛かって来るので全部は避けきれない。

また、足を蹴られて立てなくなった。

『何て卑怯な奴らだ!』

そう思いながら何とか体を起こそうとすると、腕まくりした上級生に胸倉を掴まれた。

「……!」

振りほどこうとするが太い腕はビクともしない。と、その時、リカルドかロイのどちらかの声が聞こえた。

「エトワス!」

思わず、胸倉を掴まれたまま視線を向けてみると、確かにすぐ近くにエトワスがいる。いつも訳が分からない奴だけど、何でこんなところにいるんだろう?そうディートハルトは思った。

「一人を相手に、何をやってるんだ?」

エトワスがそう言った。

『そうだよな、もっと言ってやれ』

エトワスの口調が非難しているようなものであったせいか、怯んだように同級生達は後退りした。

「お前には関係ない!邪魔をするな!」

ディートハルトの胸倉を掴んでいた腕まくり上級生が、腹立たしそうに言うが、エトワスは怯む事もなく歩み寄って来た。そのお陰なのか、上級生はディートハルトを掴んでいた手を放した。

「……ッ」

解放されてふら付いてしまったが、ディートハルトは何とか踏みとどまった。

「そこをどけ!」

ディートハルトを解放したももの、腕まくり上級生はエトワスに向かい強い視線を向ける。しかし、エトワスの方も真っ直ぐにその上級生を見据えて言った。

「俺も相手になる」

そう言ってディートハルトのすぐ傍らに立つと、5人の学生達は動揺したように目配せをし合った。

『ああ、そうか』

と、ディートハルトも状況が飲み込める。上級生は知らないが、リカルドやロイは貴族なので、公爵家のエトワスに敵対する事になると何か困る事がある訳だ。

「何故、そいつの肩を持つんだ?」

リカルドが、不満げにエトワスに尋ねた。

「俺が見ていた限り、お前らの方が彼に絡んで、先に手を出したからだ。それに、1対5だぞ?卑怯だと思わないのか?」

エトワスの言葉に、5人は無言だった。

「ウルセオリナ卿に感謝するんだな、クソガキ!」

ディートハルトに向かい吐き捨てる様に言い、腕まくり男は自分の上着を拾うと背を向けた。もう一人の上級生も、彼を追いかけて去って行く。

「このままで済むと思うなよ!」

「覚えてろよ、フレイク!」

等と言い残し、歯を折られた同級生と、リカルドとロイの三人も去って行った。


「大丈夫か?」

完全に5人の姿が見えなくなると、ディートハルトはフラリと地面にしゃがみ込んだ。蹴られた足が痛くて立っていられなかったからだ。相変わらずエトワスの言動は訳が分からないが、今日は彼の偶然の登場のおかげで助かった、そうディートハルトは思った。

「毎日どんどん新しい傷が増えていくな……」

ディートハルトの傍らに膝を着いたエトワスが、眉を顰めて手を伸ばし顔の傷に触れようとしたため、ディートハルトは思わず身を引いた。彼が何をするつもりなのか分からないからだ。そもそも、他人に気安く触って欲しくないし近付かれるのも嫌だった。

「手当してやるよ」

そう言って、エトワスは鞄の中から救急キットのポーチを取り出した。騎士科の学生なので授業で怪我をする事も珍しくないため、学生達全員が常に持ち歩いている物だった。

「余計な真似するな!」

エトワスは何を考えているのか分からない。それが、ディートハルトの正直な感想だった。言葉だけ聞けば親切で優しい事を言っているが、それが本物なのかは分からない。ランタナ唯一の医者で養い親のローマンは、亡くなった妻が遺した赤ん坊であるディートハルトを体裁が悪いので手放しはしなかったものの、慈しんで育てる気はなかった。そのため、看護師兼家事手伝いとして住み込みで働いていたセルシアナ婦人が赤ん坊の世話をした。ただし、それは仕事として、そして信仰心のあつい女性であったため、手を差し伸べる事が宗教上尊い行為であると考えた故の行動だった。幼い頃は純粋にセルシアナの事を慕っていたディートハルトは、成長するにつれて自然とその事実に気付き、同時に、理由がなければ他人に親切にしてくれる相手などまずいない、そう考える様になっていた。とはいえ、親切な人間など全くいないと思っている訳でもなく、マレッティ神父とシルバーアクセサリー店の店長ギードの二人の事は、数年の交流の末信頼するようになっていた。

 しかし、その二人と別れてこの地に来てしまった今、ディートハルトが信頼できる相手は誰もいない。

「じゃあ、帰ろう。立てるか?」

もちろん、このエトワスもだ。親切な事を言っているが、セルシアナの様に理由があって優しくしているだけかもしれない。お願いだから放っておいて欲しい。ディートハルトはそう思った。

「手を貸そうか?」

足が痛いディートハルトに、エトワスが手を差し出す。

「おれに触るな!」

ディートハルトは差し出された手を振り払った。不安だったからだ。先程の5人の様な露骨な敵意を向けられる方が、分かりやすくていい。優しい言葉の方が怖かった。思わず信じそうになってしまうからだ。裏切られた時の事を思うと、最初から信じない方がいいに決まっている。

「……」

手を振り払われたエトワスは、無言でディートハルトを見ていた。彼は怒ってはいないようだが、何を考えているのかは分からない。それが余計に腹が立った。

「どけよ!」

ディートハルトは痛みを堪えて立ち上がった。早くこの場を去らないと、エトワスがしつこく傍に居そうだと思ったからだ。

「足下がふらついてるぞ」

いちいち余計な事を言う。

『馬鹿にしてておちょくってるのか!?』

「!」

エトワスを殴るつもりだったが、簡単にガードされて受け流された。そもそも、相手の背が高いので、顔には届かないのが悔しい。

「おれに構うな!」

とにかく、訳が分からなくて気に入らない。

『でも、まあいい』

そのうち飽きるか本性が出て、優しい親切な態度から一転して攻撃的な態度に変わるか離れていくかするだろう。

『勝手にしろ』

おれは、絶対に惑わされも騙されもしないからな……!

何を考えているのか分からないダークブラウンの瞳を睨み付け、そう、ディートハルトは自分に強く言い聞かせていた。


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