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第十一話『麗奈の秘密』

 九条という、圧倒的な「力」の奔流が、響泉ホールの悲劇を、その根本から、地上から、消し去ってから、一週間が過ぎていた。

 空を、分厚く、重々しく覆っていた、梅雨の雲は、いつの間にか、その姿を消し、世界は、本格的な、夏の到来を告げる、強く、そして、容赦のない、陽射しに、満たされていた。

 オカルト研究会の部室にも、その、じりじりと、肌を焼くような、夏の光が、大きな窓から、たっぷりと、差し込んでいる。しかし、その明るさとは裏腹に、部室の中には、どこか、静かで、そして、穏やかな、落ち着いた空気が、流れていた。

 それは、以前の、和人が、心を病んでいた時の、息が詰まるような、重苦しい、沈黙とは、明らかに、質の違うものだった。

 嵐が、過ぎ去った後の、朝のような、静けさ。

 一つの、大きな、敗北と、絶望を、共に、乗り越えた者たちの間にだけ、生まれる、特別な、静寂だった。彼らは、あの夜、自分たちの、無力さを、痛感した。しかし、同時に、自分たちが、何をすべきで、何を、目指すべきなのか、その、進むべき、困難な、道のりを、確かに、見出したのだ。

 その、言葉にはならない、しかし、鋼のように、固い、共有された、決意が、五人の間に、これまでにない、深く、そして、強い、一体感を、生み出していた。

 猛は、もう、やみくもに、辞典を、持ち上げてはいなかった。彼は、亜里沙が、パソコンの画面に表示する、日本全国の、古い、神社の、結界や、護符の、複雑な、文様の、画像を、食い入るように見つめ、「なあ、亜里沙! この、ぐにゃぐにゃした線は、一体、どういう、エネルギーの流れを、示してんだ?」と、真剣に、質問を、繰り返している。彼は、もう、ただの、筋肉馬鹿ではない。自分に、できる、やり方で、この、不可思議な、世界の、理を、学ぼうとしていた。

 蓮は、部室に、小さな、ガラス製の、アロマディフューザーを、持ち込んでいた。ラベンダーと、白檀の、心を、鎮静させる、清涼な香りが、埃っぽい、部室の空気を、優しく、満たしている。「傷ついた、魂の、波長を、整えるには、まず、その、魂が、存在する、環境から、だからね」と、彼は、静かに、微笑んだ。その、美しく、整った、横顔には、以前の、浮世離れした、ナルシシズムではなく、仲間を、思いやる、深い、優しさが、滲んでいた。

 亜里沙は、これまでの、事件の、記録を、ただ、事実として、データベースに、打ち込むだけではなく、それぞれの、霊が、抱えていた、感情の、種類…『悲しみ』『執着』『憎悪』『絶望』…などを、心理学の、専門書を、参照しながら、細かく、タグ付けし、分類するという、新しい、試みを、始めていた。それは、彼女なりの、二度と、同じ、過ちを、繰り返さないための、知性による、魂への、寄り添い方だった。

 そして、相田和人。

 彼の心に、深く、そして、冷たく、突き刺さっていた、絶望の、氷の、破片は、この、仲間たちの、不器用で、しかし、絶え間ない、温もりによって、少しずつ、少しずつ、その、鋭い、角を、丸くし、溶け始めていた。彼は、ソファに座り、静かに、文庫本を、読んでいたが、その視線は、時折、本の世界から、抜け出して、仲間たちの、その、健気で、真摯な姿を、温かい、そして、愛おしさに、満ちた、眼差しで、見守っていた。

 あの日、砕かれた彼の心は、この、仲間たちの、優しさという、接着剤によって、一つ、一つ、丁寧に、拾い集められ、ゆっくりと、しかし、確実に、その、元の、形を、取り戻そうとしていた。

 その日の、放課後。

 猛が、屈託のない、笑顔で、口を開いた。

「そういや、俺、妹が、いるんスけど、そいつが、最近、姉ちゃんの影響で、オカルトに、ハマっちまってよー。今度、この部に、見学に来てえ、とか、言ってんスよ。連れてきても、いいスか?」

 その、何気ない、一言。

 誰もが、微笑ましく、聞き流すはずの、その、言葉。

 しかし、その瞬間、和人は、見てしまった。

 向かいの、椅子に座っていた、麗奈の、顔から、ふっと、血の気が、引くのを。彼女の、いつも、自信に満ちて、輝いている、瞳が、一瞬だけ、深い、深い、井戸の底のような、暗い、色に、沈んだのを。

 それは、ほんの、一瞬の、変化だった。他の、誰も、気づいてはいない。

 しかし、他者の、魂の、微細な、揺らぎに、以前よりも、ずっと、敏感になっていた、和人だけが、その、彼女の、心の、悲鳴を、確かに、感じ取っていた。

「…ごめん、みんな」

 麗奈が、不意に、立ち上がった。そして、いつになく、神妙な、面持ちで、口を開いた。

「少しだけ、いいかな。みんなに、聞いてほしい、話があるの」

 その、ただならぬ、雰囲気に、部室の、賑やかな、空気は、水を打ったように、静まり返った。猛も、蓮も、亜里沙も、それぞれの、作業を、ぴたり、とやめ、固唾をのんで、彼女の方を、向いた。

 和人も、読んでいた本を、静かに、閉じ、その、成り行きを、見守った。

 麗奈は、部室の中央に、一つの、パイプ椅子を、置くと、そこに、まるで、被告席に、つくかのように、深く、そして、覚悟を、決めたように、腰掛けた。そして、一度、ぎゅっと、目を閉じ、この、数年間、いや、十数年間、ずっと、心の、奥底に、封じ込めてきた、重い、重い、記憶の、蓋を、開けるかのように、深く、息を、吸い込んだ。

「…私が、どうして、この、オカルト研究会を、作ったのか。どうして、こんなにも、怪異や、霊のことに、拘り続けるのか。その、本当の、理由を、みんなに、話しておかなければならない、と、思ったの」

 彼女の声は、か細く、そして、少しだけ、震えていた。

 いつも、完璧な、リーダーとして、彼らの、先頭に、立っていた、彼女からは、想像もつかない、か弱く、そして、脆い、響きだった。

 部室の、空気が、変わる。

 誰も、何も、言わない。ただ、固唾をのんで、彼女の、次の、言葉を、待っていた。

「私には…」

 麗奈は、俯き、自分の、制服の、スカートの、襞を、意味もなく、白い、指先で、何度も、何度も、弄びながら、言った。

「私には、双子の、妹が、いたの」

 その、あまりにも、意外な、告白に、誰もが、息をのんだ。

「名前は、理奈りな。私と、一文字違いの。でも、理奈は、生まれて、すぐに、死んじゃった。身体が、弱くて…。だから、戸籍の上では、私は、ずっと、一人っ子。両親も、理奈のことは、まるで、最初から、いなかったみたいに、話題に、しなかった」

 彼女は、そこで、一度、言葉を切り、そして、ゆっくりと、顔を上げた。その、美しい、瞳は、涙で、潤んでいたが、その奥には、遠い、遠い、過去を、見つめる、強い、光が、宿っていた。

「でも、理奈は、いなくならなかった。ずっと、ずっと、私の、すぐ、そばに、いてくれたの。私にしか、見えない、私にしか、聞こえない、たった一人の、かけがえのない、大切な、妹として」

 そこから、麗奈が、ぽつり、ぽつりと、語り始めたのは、彼女だけが知る、秘密の、そして、光に満ちた、子供時代の、物語だった。

 それは、聴いている、こちらまで、胸が、温かくなるような、そして、同時に、あまりにも、切ない、二人だけの、完璧な、世界の、光景だった。

 二人は、いつも、一緒だった。

 物心ついた時から、麗奈の世界には、常に、当たり前のように、理奈がいた。

 新しい、キラキラした、表紙の、絵本を、買ってもらうと、麗奈は、ベッドの上で、理奈が、見やすいように、そのページを、ゆっくりと、めくりながら、物語を、読んで聞かせた。麗奈が、文字を、読む。すると、理奈は、その隣で、声にはならない、しかし、確かな、感情の、色を、まるで、オーロラのように、空中に、広げるのだ。楽しい場面では、黄色い、弾けるような光が、部屋に、満ちた。悲しい場面では、淡い、青色の、霧が、麗奈の、心を、優しく、包んだ。

 かくれんぼを、すれば、麗奈は、物理的に、大きな、カーテンの、後ろに、隠れた。すると、理奈は、霊体として、壁の中に、すうっと、まるで、水に、インクが、溶けるように、その身を、隠した。それは、二人だけの、特別な、そして、誰にも、真似のできない、秘密の、ルールだった。

 理奈の存在は、麗奈にとって、空気や、水のように、当たり前で、かけがえのない、ものだった。

 その気配は、まるで、真夏の、うだるような、暑い日に、不意に、肌を撫でる、心地よい、高原の、涼風のようだった。

 その香りは、いつも、赤ちゃんが使う、ベビーパウダーのような、どこか、懐かしくて、優しくて、甘い、匂いがした。

 その声は、他の、誰にも、聞こえない、しかし、麗奈の、頭の中にだけ、直接、響く、銀の鈴の音のような、美しい、囁きだった。

 二人は、一つの、魂を、生まれた時に、分かち合った、完璧な、そして、唯一無二の、半身だったのだ。

 しかし、その、二人だけの、完璧な世界は、大人たちには、到底、理解できなかった。

「麗奈、一体、誰と、お話ししているの?」

 両親は、日に日に、心配そうな、そして、どこか、怯えたような、顔で、そう、尋ねるようになった。

 麗奈が、「理奈とだよ」と、無邪気に、満面の笑みで、答えると、彼らは、決まって、どうしようもなく、悲しそうな、顔をした。

 やがて、彼女は、いくつもの、清潔で、そして、無機質な、病院へ、連れて行かれるようになった。優しい、白衣を、着た、先生たちは、彼女に、色々な、質問をした。

「その、『りなちゃん』は、どんな子かな?」

「君にしか、見えないんだね?」

 彼らは、理奈のことを、「イマジナリー・フレンド(空想の友達)」という、麗奈には、意味のわからない、名前で、呼んだ。

 違う、と、麗奈は、心の中で、何度も、何度も、叫んだ。理奈は、空想なんかじゃない。幻なんかじゃない。ちゃんと、ここに、いる。私と、一緒に、笑って、泣いて、そして、生きている。

 しかし、その、幼い、魂の、叫びは、大人たちの、常識と、心配と、そして、愛情という、分厚い、分厚い、壁に、届くことは、決して、なかった。

 そして、彼女が、七歳の、夏の、終わりの日。

 あの、悪夢のような、悲劇は、起きた。

 両親が、藁にも、すがる思いで、家に、呼び寄せたのは、当時、高名な、祓い屋として、その世界では、知らぬ者はいない、とまで、言われていた、一人の、威厳のある、初老の、男だった。後に、九条の、師となる、男だった。

 その男は、家に、足を踏み入れるなり、その、鋭い、鷹のような、目で、部屋の中を、一瞥し、そして、麗奈の、すぐ隣に、寄り添うように、浮かんでいた、理奈の、存在を、正確に、感じ取り、忌々しげに、そして、深く、顔を、顰めた。

 彼は、麗奈の両親に、宣告するように、冷たく、告げたのだ。

「これは、お嬢様が、作り出した、可愛らしい、幻などでは、断じて、ありません。これは、まごうことなき、悪しき、霊体です」

「本来、死して、還るべき、場所に、還らず、ただ、執着によって、この世に、留まり、生者である、お嬢様の、生命エネルギー…いわば、魂の、養分を、啜って、生き長らえている、一種の、精神的な、寄生虫パラサイトです。このまま、放置すれば、お嬢様の、心身の、健やかなる、成長を、著しく、阻害することに、なるでしょう」

 その、あまりにも、断定的で、あまりにも、残酷な、言葉は、絶望の、淵にいた、両親にとって、一つの、明確な、そして、抗いようのない、答えとなってしまった。

 儀式は、麗奈の、大好きだった、ピンク色の、壁紙が貼られた、子供部屋で、行われた。

 男は、部屋中に、麗奈の知らない、薬草と、硫黄が、混じったような、奇妙な、匂いの、香を、焚き、壁や、窓に、おびただしい数の、見たこともない、梵字が、書かれた、呪符を、まるで、牢獄でも、作るかのように、次々と、貼り付けていく。その、禍々しい、赤い、文字は、まるで、乾いた、血のように、見えた。

 そして、彼は、低く、しかし、腹の底に、響き渡るような、声で、意味のわからない、しかし、力に満ちた、祝詞を、朗々と、唱え始めた。

「やめて…! 理奈に、何するの…! やめてよ!」

 幼い麗奈は、泣き叫んだ。しかし、彼女の、小さな、非力な、身体は、涙を流す、母親によって、後ろから、強く、強く、押さえつけられていた。「あなたのためなの、麗奈…」と、母親は、呪文のように、繰り返していた。

『レイナ…コワイヨ…イタイヨ…タスケテ…』

 理奈の、震える、恐怖に満ちた、声が、麗奈の、頭の中に、直接、響く。

 儀式が、進むにつれて、理奈の、半透明の、霊体は、まるで、熱湯を、浴びせられたかのように、苦しげに、のたうち回り始めた。彼女の、いつもは、麗奈を、癒してくれた、心地よい、冷たい気配が、まるで、高熱に、浮かされたかのように、熱く、そして、苦しく、なっていた。

「お願い、やめて! 理奈は、悪い子じゃないの! 私の、たった一人の、大切な、妹なの!」

 麗奈は、喉が、張り裂けるほど、絶叫した。

「黙りなさい、小娘!」

 祓い屋の男が、ぎろり、と、血走った、目で、彼女を、睨みつけた。

「これは、お前の、妹などではない! お前の、弱さに、取り憑き、お前を、不幸の、道へと、引きずり込む、悪霊だ! 今、この、姉妹を、装った、歪で、不健全な、情念の、鎖を、私が、完全に、断ち切ってやる!」

 男が、最後の、複雑な、印を結び、そして、叫んだ。

「――破ァァァァッ!!」

 その瞬間、部屋が、真っ白な、しかし、一切の、温かみのない、全てを、消し去る、冷酷で、無慈悲な、光に、包まれた。

『―――イヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!』

 理奈の、最後の、魂が、引き裂かれるような、悲痛な、絶叫が、麗奈の、魂に、直接、焼き付けられた。

 彼女は、必死に、押さえつける、母親の腕を、振りほどき、手を、伸ばした。しかし、その、小さな、指先は、虚しく、空を、切るだけだった。

 光が、収まった時。

 部屋には、もう、何も、なかった。

 あれほど、確かに、生まれた時から、ずっと、感じていた、理奈の、気配も、匂いも、声も、温もりも、全てが、綺麗に、完全に、消え失せていた。

 まるで、最初から、この世界に、何も、なかったかのように。

 麗奈の、半身だった、光に満ちた、世界は、その日、その瞬間、完全に、そして、永遠に、死んだのだ。

 彼女の、七歳の、幼い、魂に、ぽっかりと、空いた、巨大な、巨大な、穴。そこには、ただ、絶対的な、静寂と、虚無だけが、冷たい、風となって、吹き荒れていた。

 麗奈は、物語を、語り終えた。

 部室は、墓地のような、静寂に、支配されていた。誰も、何も、言えない。ただ、彼女の、あまりにも、壮絶で、あまりにも、理不尽な、痛みが、まるで、自分の、ことのように、伝わってきて、息が、詰まりそうだった。

「…あの日から、私は、全てを、捨てたの」

 麗奈は、静かに、続けた。

「感情を、捨てた。悲しいとか、苦しいとか、寂しいとか、感じていたら、生きていけなかったから。心に、分厚い、何重もの、鋼鉄の、鎧を、着せた。そして、私は、狂ったように、勉強を始めた。科学を、論理を、歴史を、民俗学を。あの、祓い屋が、言っていた、世界の、理不尽な、ルールの、全てを、理解し、支配し、そして、いつか、超克するために。二度と、あんな風に、無知で、無力なまま、大切なものを、目の前で、奪われたりしないように」

「私が、この、オカルト研究会を、作ったのは、ただの、知的好奇心なんかじゃない。私は、証明したかったの。あの男が、そして、九条のような、連中が、振りかざす、『力』が、唯一の、正しい、答えなんかじゃないって。力で、捻じ伏せ、存在を、消し去ることだけが、解決じゃないって、絶対に」

「私は、ずっと、ずっと、探していた。私とは、全く、違うやり方で、魂に、寄り添える、誰かを。理奈のような、声なき、存在の、本当の、心を、聞いてあげられる、誰かを」

 彼女は、そこで、初めて、和人の、目を、まっすぐに、見つめた。その、濡れた瞳は、まるで、迷子の子供のようだった。

「だから、和人君。響泉ホールで、あなたが、あの、砕け散った、小夜子さんの、魂に、それでも、手を、伸ばそうとしているのを、見た時、私は、本当に、嬉しかった。やっと、見つけた、って。あなたなら、私と、理奈が、果たせなかった、本当の意味での、救いを、実現してくれるかもしれない、って、本気で、そう、思ったの」

 麗奈の、美しい、頬を、一筋の、涙が、静かに、伝い落ちた。

 それは、十年以上もの間、彼女が、たった一人で、心の、最も、深い、暗い、場所に、固く、固く、封じ込めてきた、悲しみの、結晶だった。

 長い、長い、沈黙。

 その、張り詰めた、沈黙を、破ったのは、猛だった。

 彼は、固く、握りしめていた、拳を、ゆっくりと、解くと、その、大きな、ゴツゴツした手で、わしわしと、自分の、涙で、ぐしょぐしょになった、顔を、乱暴に、拭った。

「…そっか…。部長、ずっと、たった、一人で、戦ってきたんスね…。気付かなくて、すいやせんでした…」

 その、不器用な、しかし、心からの、言葉。

 それが、合図だった。

 亜里沙が、静かに、立ち上がり、何も言わずに、麗奈の、隣に、そっと、座った。そして、まるで、壊れ物に、触れるかのように、優しく、自分の、ハンカチを、差し出した。

 蓮は、静かに、あの、アンティークの、オルゴールを、開いた。優しく、そして、少し、物悲しい、しかし、どこまでも、澄みきった、メロディが、傷ついた、魂を、癒すかのように、部屋に、流れ始める。

 そして、和人。

 彼は、ソファから、立ち上がると、麗奈の、前に、立った。

 彼は、気の利いた、慰めの言葉など、何一つ、知らなかった。

 だから、ただ、心の、底から、思ったままを、言った。

「…あんたは、一人じゃなかったよ、麗奈。昔も、そして、今も」

 その、短い、しかし、真実の、言葉。

 その言葉は、どんな、長々とした、慰めの言葉よりも、深く、鋭く、麗奈の、鋼鉄の、鎧を、貫き、その、奥にある、柔らかで、傷ついた、本当の、心にまで、確かに、届いた。

「…うん…」

 麗奈は、頷いた。そして、ついに、堪えきれずに、その場に、蹲ると、子供のように、声を、上げて、泣き出した。

 十年分の、悲しみを、十年分の、孤独を、十年分の、怒りを、全て、全て、吐き出すように。

 仲間たちは、何も言わずに、ただ、そこにいた。

 彼女の、周りに、集まり、彼女が、心ゆくまで、泣き尽くすまで、静かに、そして、優しく、その、小さく、震える、背中を、見守っていた。

 彼らは、もう、ただの、寄せ集めの、集団ではなかった。

 一つの、大きな、そして、深い、痛みを、分かち合い、互いの、傷を、そっと、庇い合い、寄り添う、一つの、本物の、家族になっていた。

 彼らの、本当の、戦いの、意味が、今、この瞬間、ここに、確かに、定まった。

 それは、ただ、怪異を、解決することではない。

 それは、かつて、麗奈と、理奈が、引き裂かれた、あの、理不尽で、残酷な、悲劇を、この世界の、どこかで、今も、繰り返している、声なき、魂たちを、救うための、戦い。

 力ではなく、対話で。

 排除ではなく、共感で。

 魂を、救うための、彼らだけの、優しく、そして、どこまでも、困難な、道のりを、歩むための、戦いだった。

 窓の外では、いつの間にか、雨が、上がっていた。

 分厚い、雲の切れ間から、差し込んだ、力強い、西日が、部室の中の、五人を、まるで、祝福するかのように、優しく、そして、力強く、照らし出していた。


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