3. 増魔環
そして、出逢いから3年後、緑口は黒神の頼みでここにいる。
「言われたことはちゃんとできた。これで先生に褒めてもらえる。」
未来を想像して少年は年相応の笑顔を見せた。
だが、残念ながらその笑顔はそう長く続かなかった。
バキッ
短く小さな破砕音が周囲に鳴り響いた。
少年は顔を上げると球体はまだ変わらず形を保ってそこに存在していた。
音の発生源を確認するため周囲を見渡そうとした瞬間、緑口はそれが何の音かを理解した。
バキン!
今度は強く大きな破砕音が鳴り響き、球体の前面部分が砕け散る。
捉えたはずの人間と目が合った時には、緑口の笑顔は消えていた。
「悪いが子供でもこれ程の事件を起こしたからには容赦はしない。大人しくするなら怪我は少なく済むぞ。」
ナイフを構えて少年に対して一声掛ける。
こちらの言葉を聞くやいなや、緑口は降参する…訳もなく後ろを向いて走り出した。
「ちっ。」
追いかけようと地面を蹴ると同時に進路を塞ぐかのように前方に複数の壁が出現する。
しかし先ほど自分を拘束していたものとは違って、それらは大した強度もないただの壁であり時間稼ぎにすらならない。
いくつかの壁を壊して前へ進むと緑口がモールの外壁に開けた穴から外に出ようとするのが目に入る。
「逃がすか!」
ナイフは心臓を狙う必要があり、互いに動いている戦闘中には使いづらい。
諦めて死なないことを祈りつつ、外に出ようとする少年の背中を俺の足が蹴り飛ばした。
蹴りの衝撃は魔力でガードしてもなお殺しきれない衝撃をもたらし、少年は鈍い衝撃音と共に駐車場のアスファルトを破壊して横たわった。
生きてるよな…?
上空には取材目的であろうヘリも飛んでおり、いくら相手が犯罪者とはいえ絵面が悪すぎる。
不安に思いつつ横たわる少年の場所へと向かう。
近づこうとすると幸いにも緑口は立ち上がり、こちらへと向き直った。
「…ゔゔ、痛い。でも…。」
「降参してくれないか?怪我してるなら治療はしてやるから。」
「うるさい!先生…僕はやれるんだ!」
ふと緑口の手を見ると、なんと南方がつけていたであろうものと同じ見た目の指輪をしていた。
緑口は指輪をつけた手を前に出し、魔晶石が光を放つ。
すると電気を帯びた魔力が空気中に大量に放出され、空に浮かび上がった。
それらは集まって1つの巨大な塊となり、プラズマによる光が空を照らす。
緑口は恍惚の表情を浮かべ、空を見上げる。
そして、限界まで高まった魔力は雷と化して轟音と共に地面へと落ちる。
それは2人の人間を巻き込み、アスファルトを溶かして駐車場にクレーターを刻んだ。
「終わりました。中に敵らしき魔力は1つだったのでもう入って大丈夫です。ええ、自分は大丈夫です。犯人も確保したので連行お願いします。」
雷から身を守る様子も見せず、惚けた様子の少年を見て体が咄嗟に動いた。
地面に無理矢理伏せさせてから魔力を固めて雷を防ぎ、無事に大きな怪我なく確保することができた。
緑口は既に先ほどの戦闘で魔力を使い果たしたのか、精気のない顔で俯いていた。
魔術師なので警戒は必要だが襲ってくるような気力は既になさそうだ。
念のため、手持ちの魔術師用の手錠で拘束だけしてから呼んだ応援の警察官に身柄を預けた。
その後は瓦礫を除去して救助を手伝い、怪我人が一通り搬送されていったあたりでその日は解放された。
後日。
今日は保安部の部長である久保田さんに呼び出されて本部にやって来た。
ビルの入り口で青石と合流して、部長の部屋まで共に歩く。
「先輩、この前テレビ映ってましたね。」
「?」
「モールの件ですよ。」
「ああ、そういや撮られてたな。」
「なんで私呼ばなかったんです?」
「いや、休みだったろあの日。俺も人が足りなくて急に呼ばれただけだからな。急ぎだったし、何箇所も迎えに行く余裕もなかったんだろ。」
「確かにそれはそうかもしれませんが・・・。必要だったらちゃんと呼んでくださいね。」
「わかったけど基本的には部内の即応部隊だけで対応するから早々ないと思うぞ。」
「この前は呼ばれたじゃないですか。」
「まあそれはそうだ。お、着いたぞ。」
ドアをノックすると中から声がする。
「開いてるから入ってくれ。」
「「失礼します。」」
中に入ると久保田さんは書類のチェックをしていたが手を止めてこちらを向いて声を掛けてきた。
「天沢と青石か。悪いな呼び出して。」
久保田さんは元警察で協会設立時に出向して来て、そのまま警察を辞めて協会の幹部として働いている人だ。
魔術も使えて戦闘もできるらしいが今は保安部のトップとして本部で書類仕事に追われているらしい。
「いえ、お気になさらず。相変わらずお忙しそうで。」
「最近色々と事件が多くてな。天沢、この前の件は助かった。あの日はよそでも事件があって人が足りなくてな。」
「お役に立てて何よりです。」
「青石も南方の件ではよくやってくれた。この調子で頼むぞ。」
「ありがとうございます。ただ、私はほとんど先輩について行ってただけですので。」
「謙遜しなくていい。よくやってくれていたと報告は聞いている。」
「恐縮です。」
「で、本題だが、南方が指輪状の術具を使っていたと報告を上げていたな?」
「ええ、何故かはわかりませんが自分がこの前行ったモールでも犯人が同じ物を使ってました。」
「それだ。表沙汰にはなってないが、どうやら同じ物が全国で出回っているらしい。ああ、正確には全国の魔術を使う犯罪者の間で、だな。」
わざわざ呼び出されるくらいだから覚悟はしてたが思ったよりやばい話が来たな・・・。
「協会は無関係なので?」
「内部調査中だが協会の人間が関与した証拠は見つかっていない。現状では君達が捕まえた南方が自ら開発して作製方法を外部に流したものと見ている。」
柴田さんも大変だな。怪しい術具が出回っているとなればまず疑われるのは開発部だろう。
そんなことを思っていると青石が口を開く。
「南方は何か喋りましたか?」
「いや、取調べは続けているがだんまりを決め込んでいるようだ。」
「そうですか。私から見てもかなりこちらへの敵意は強かったですから情報を得るのは難しそうですね。」
たしかにあの感じだと協会への協力なんぞしないだろうな。理由に興味はないが最初から最後まで敵意しか感じなかった。
「問題は増魔環という名前がつけられていた術具だ。」
「名前あったんですね、あれ。」
「南方の研究資料で増魔環と名前がつけられていたので協会でもその呼称を利用することになった。開発部の解析でわかったが、術具の機能としては、自他を問わない魔晶石の魔力を利用した魔術の使用、そして魔術の増強だ。」
「名前が安直…。」
「変に拗らせた名前をつけられるよりいいだろう。真面目な会議で報告する身にもなってくれ。」
「まあそれはたしかに。術具の名前は置いておくとして、南方も野良の魔術師にしてはかなり強かったですね。」
「南方の魔力量は2級の下位クラスだった。」
「それであれですか。」
魔術師は戦闘能力に応じて1~3級で区別されていて、同じ級でも戦闘能力の幅は大きいが基本的には魔力量が戦闘能力に比例する。
協会で戦闘が発生しうる職に就く場合の目安は2級になっている。2級の下位なんて本当に戦闘員としてはギリギリのラインだ。
その下に位置する3級は数回魔術を使えば魔力が切れるか、そもそも術具の補助がないと魔術が使えないなど正一般人とそう大差ないレベルという立ち位置にある。
「本来2級の下位なら魔術の規模も小さくほとんど周囲にも被害は出ないだろう。」
「実際には消防車が何台も出動する騒ぎになりましたね。」
「他者の魔力を利用できるのも犯罪捜査という観点から問題ではあるが、最も不味いのは魔術を使う犯罪者が大幅に強化されている点だ。市街への被害も大きくなるし、戦闘員の危険も増える。君等のような1級はまだいい。だが2級の人間にとっては非常に危険だ。」
「メディアが騒ぎ出す恐れもありますね。」
「そうだ。よって、会長からもこの件は最優先で対処するよう指示を受けている。」
「それで俺達は何をすれば?」
「この前のモールを襲った少年は緑口という名前らしい。そして、オペレーターの捜査により少年をモールの近くまで連れてきた音堀という男が見つかった。」
「なるほど。その音堀が増魔環の製作にも関与していると?」
「音堀はとある会社の従業員だが、その会社が存在する周囲の地域でも増魔環を使った犯罪者が複数確認されている。」
「会社ぐるみで関与しているということでしょうか?」
「1人で製造から販売まで全てやっているとは考えにくい。会社も黒と見ているが、証拠はまだない。」
「音堀は捕まえていいので?。」
「令状は取ってある。ただし、音堀は恐らく下っ端だろう。できれば黒幕まで見つけたい。」
「つまり音堀を確保するためなら、会社に踏み込めるということですね。」
「そういうことだ。下手に大勢動かすとばれる恐れがある上に、そもそも増魔環が流通してしまっている影響で部隊に余裕がない。音堀は君達に任せた。要請してくれればすぐ支援を送る。悪いが頼むぞ。」
「「承知しました。」」
音堀の資料をもらってから久保田さんの部屋を退出する。
今回の目的である男の名前は音堀 祐丞。24歳の男で髪型は短い金髪。耳にはピアスを開けており、いかつい顔をしている。
過去に恐喝・暴行で逮捕歴があり、現在の職業は会社員。1人暮らしで配偶者は無し。
住所は判明しており、まずは自宅付近で様子を伺うところからだろう。
協会本部ビルを出た後、そのまま駅から電車に乗り込みそのまま現地へ向かう。
来る前に準備はするよう言われてたので直行だ。
電車の中で手持ち無沙汰になるが、幸い1~2時間で到着する距離であったため、携帯をいじったり、外の風景を眺めたりと時間をつぶしているうちに現地の駅へとたどり着いた。