2. 『先生』
「ごめんね。でも先生のためなんだ。」
視線の先で黒髪の少年が生きているか死んでいるかわからない人間に対して一方的に話かけている。
遠くからなので詳しくはわからないが恐らく中学生か高校生くらいの子供だろう。
はぁ、子供相手か…。
しかし、魔術の才能に年齢は関係なく、犯罪者は犯罪者だ。
怪我人のためにもさっさと終わらそう。
ナイフを取り出してから地面を強く蹴り上げ、少年までの距離を詰める。
相手がこちらへ反応するより先に心臓に一刺しで終わりだ。
しかし、そう思惑通りには行かなかった。
少年まで後数mといった地点まで踏み込んだ瞬間、足元の床が崩壊する。
いや、正確には崩壊したのではなく少年が崩壊させたのであろう。
足場が崩れたことで止まったその一瞬をついて、周囲360度全方向から建物の床を構成していた建材がまるで磁石に吸い付く砂鉄の如く飛来してくる。
その光景を見て身構えるもどうも様子がおかしい。
飛来してきた建材は体に衝突するのではなく周囲に壁を作り始めた。
目的がこちらへの攻撃ではなく拘束にあったことを理解した時には視界は既に闇に閉ざされていた。
「先生に言われてるんだ。協会の人間を連れてこいって。」
周囲から隔離された無音の闇の中で少年の声が聞こえてきた。
「先生が言ってたけど人は空気がないと死んじゃうんだってね。先生の所まで息ができるようにはしてあるから我慢してね。」
なるほど、誰が黒幕かはわからないがすぐに殺す気はないようだ。
そして、このレベルで連れていけると思われているらしい。
見くびられたものだ。
少年は前方にある人間大の球体から視線を外し、『先生』に言われた通り、使い捨ての転移用術具を起動させる。
教わった通りに起動させてから魔術が発動するまでの間、大人しく待ちながら少年は昔のことを思い出していた。
「うちはいらんぞ。馬鹿息子だけで手一杯なんだ。」
「私のところもちょっと…。ほら、娘が思春期だから色々難しいのよ。」
葬式で好き勝手言い合う親族の会話が聞こえているのかそれとも全く耳に入っていないのか。
少年はただ生気のない顔で父と母の位牌をぼんやりと眺め続けていた。
悲惨な事故により父と母を失い、親戚からも引取りを拒否された結果、児童養護施設に預けられた彼は現実感のない生活を送っていた。
施設の大人は優しい、食事は食べられる、学校に通える。
しかし、その生活は今までとは違うものであり、そこに父と母はいなかった。
やがて現実であると悟り、彼の心の中に世界への怒りが芽生え始めた頃、黒神と名乗る男に出逢った。
学校からの帰り道に少し寄り道をして海をただ眺めていた少年は後ろから声を掛けられたことに気付く。
「やぁ。楽しそうだね。横いいかな?」
「…僕もう帰るので。」
「おっと邪魔しちゃったか。ごめんね。私は黒神というんだ。とある目的で日本中をふらふらしている。よければ君の名前を聞いても?」
「…緑口。」
「下の名前は?」
「和也。」
「そうか、和也君か。いい名前だ。この辺りに住んでるのかい?」
「あの、もう帰らなくちゃいけないので。」
「警戒させてしまったかな。じゃあ今日はこのあたりにしておこう。しばらくこの時間はここにいるからよければまた来てくれ。」
「…。」
和也は黙って走り出す。
その背に向かって黒神が声を掛ける。
「時間は最良の薬だ。君もいつかそのことが分かる日が来る。」
次の日、和也は黒神の言葉に苛立っていた。
何が薬だ、わかったような口を。
父と母が奪われたこの怒りが無くなるはずがない。
きっと同じ経験をしたことがないからそんなことが言えるのだ。
そんなことを考えていると気づいたら昨日と同じ海岸に来てしまっていた。
「また会えたね。」
逃げる間もなく、黒神に見つけられた和也は諦めて言葉を返す。
「…来たくて来たわけじゃないので。」
「おや、そうかい。まあどちらでもいいよ。君に会えたからね。」
「なんで僕に会いたかったんです?」
「君には才能があるからさ。」
「何の?」
「魔術のさ。」
「…そんなの言われたことない。」
「当然さ。12歳にならないと魔力の検査は行われないからね。だが私には検査などせずともわかるんだ。」
「そう。」
「胡散臭そうな顔だね。別に私だけじゃない。相応の魔力がある魔術師ならよっぽど鈍くなければわかるのさ。」
「僕をどこかに連れて行くの?」
「いや、無理強いはしない。ただ、私に付いてくるなら君にいいことを教えよう。」
「何?」
「復讐のやり方さ。君のことは調べさせてもらった。父と母を奪った連中に復讐したくないかい?私なら復讐相手の情報と手段を君に与えることができる。」
「…信用できない。」
「そうだろうね。だからサービスだ。」
黒神は和也にスマホを差し出す。
そこには1枚の画像が表示されており、その画像には1人の若い男が映っていた。
「標的の1人だ。」
「!!」
嫌でも忘れない。
男は和也の眼の前で母を轢き殺した車の運転席にいた男であった。
「執行猶予付きの過失運転致死罪、まあ細かい説明は省くけど彼は刑務所にも行かずに普通に暮らしている。実家は資産家だからこれからも生活に困ることもないだろうね。」
黒神は和也の表情を見ながら言葉を続ける。
「私はこいつの住んでいる場所がわかる。そして、君のお父さんだが表向きは会社の事故で死亡ということになっている。しかし、私が昨日調べた限りではどうも裏がありそうだ。もし君が付いてくるなら全てを教えてあげよう。」
「…。」
「あとは手段か。さて、何がいいかな。」
黒神は周囲を見回して誰もいないことを確認してから、意味ありげに頷いた。
「うん。じゃあ折角海にいるしあれでいこう。見ててごらん。」
黒神が空中に手を掲げると空に光が集まりだした。
徐々にその光は強さを増していき、魔術のことがわからない和也でさえ、膨大な何かがそこに集まっていることがわかった。
ついには直視していられない程になった頃、黒神が口を開く。
「眩しくてすまないね。さぁ、これが17年前に世界を変えた力だ。」
空で圧縮されていた光が解放される。
指向性を持って放たれたそれは前方にあるもの全てを焼き尽くす。
眼の前に存在していた何物をも飲み込む広大な海では、光の軌道に沿って海水が蒸発したことで、海底の岩肌が姿を現していた。
時が止まったような数秒間だけの絶景はこの場にいた2人だけのものであった。
黒神が作り出した光景は、長く保つものではない。
時間はすぐに過ぎ去り、海水が空間へと流れ込み、海の道を埋めてゆく。
両側から強力な力で流れ込んだ海水はぶつかり合い複雑な流れを生み出して海を荒らす。
「昔の人は海を割って沢山の人が渡れるようにしたらしい。凄いよねぇ。」
惚けたような和也に向かって黒神は荒れた海を見ながら語りかける。
「ちょっとやり過ぎたかもしれないから今日はここまでにしておこう。周りに人はいないようだが君もさっさと帰ったほうがいい。」
「う、うん。わかった。」
「付いてくるかどうかはすぐに決めなくていい。1週間後、もし付いてくる気があるならここに来てくれ。別に来なくても責めるつもりはない。ただ縁がなかっただけだからね。じゃあまた!」
言いたいことを一通り喋った黒神は、足早に去っていった。
和也も面倒事に巻き込まれぬように急いで家に帰った。
余談だが、その後地元のニュースでは『海で謎の爆発か!?』と報道されていた。
そして、1週間後の約束の日、再び海岸に来ると黒神は砂浜に座って海を眺めていた。
「やぁ。来てくれて嬉しいよ。」
「…教えて下さい。復讐を終えた後、僕はどうなりますか?」
「別にどうもしないさ。ゆっくりその後どうしたいかを考えればいい。私がやりたいことを手伝ってくれると一番嬉しいけどね。」
「何をしたいんですか?」
「つまらない世界を面白くしたいのさ。17年前のようにね。」
「…よくわからないです。」
「そのうち詳しく教えて上げよう。さて、じゃあ行こうか?」
「はい、よろしくお願いします。先生。」
「ふふ。よろしく。じゃあまず家に帰ろうか。」
児童養護施設から緑口という少年が失踪した半年後、とある会社で本社ビルの崩落が発生し、上層部を含む大量の従業員が死亡したというニュースが流れた。
更にとある資産家の自宅でも家屋の崩落により1人息子が死亡した事件も発生したが、次から次へと流れてくる新しい事件や芸能人のスキャンダルによりすぐに世間からは忘れ去られた。