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番犬と狐  作者: 汐越陽
2/19

2.

 池袋第一異能省保安局三課(組織犯罪対策課)のオフィスでは、朝から怒号が響いていた。

「大量の犠牲とターゲットの確保失敗で現場が混乱するのを知りながらいきなり失踪、おまけに連絡もつかなくなる。前代未聞だぞ?」

 オフィスの片隅に位置するガラス張りの会議室で、課長・野崎昇が長机に拳を振り下ろした。

「結局、職質で引っ掛けた白髭男の裏付けはできずに終わってしまった。せっかくの機会を台無しにしやがって。奴は今まで以上に慎重になるぞ、もし奇臓が捨てられてしまえばもう終わりだ」

一八〇センチを優に超える身長と、スーツの上からでもわかる筋肉質な身躯。その肉体から発される叱責は、会議室の外にも漏れ出ていた。話の内容までしっかり聞こえているらしく、ガラス越しに冷たい視線の数々が突き刺さる。

「申し訳ありません」

碓氷が萎れた声で謝罪し、頭を下げる。

「お前がこっちに来ると決まったとき、渋谷(しぶや)異保局一課長からは稀に見る逸材と紹介された。それが、蓋を開けてみりゃ戦闘力が高いだけの疫病神だ。あれから一年、何も変わっちゃいない。推薦状は脅迫して書かせたのか?」

「申し訳ありません」

「もう謝らなくて結構」

野崎が手で払うような仕草を見せる。碓氷が頭を上げたところで、咳払いをしてこう告げた。

「来月からお前の勤務先は異能(いのう)(けん)の被験者収容所だ」

「待ってください」

「監視員、ひとりでできる仕事だ。これ以上ないぐらいお前にふさわしいだろう」

「待ってください」

「今日の任務はデスクの荷物まとめだ、終わり次第帰っていいぞ」

「課長!」

早々に会議室を出ようとする野崎の前に、碓氷が割り入った。野崎は邪魔だと言わんばかりに睨みつける。碓氷も臆することなく、野崎の目を見返した。

 先に折れたのは野崎のほうだった。

「早めに済ませてくれ。ただし『申し訳ありません』以外でな」

野崎はドアノブに伸ばしていた腕を引っ込め、胸の前で組み始めた。爪先は急かすようにトントンと床を叩く。

「昨晩の失敗は必ず挽回します、ですから左遷は見送ってください」

「必ずっていつだ? 十年後か?」

嫌味混じりの質問が返ってきた。碓氷は返答に悩みながら、目玉を左右に動かす。

 壁のカレンダーが目についた。今日の日付の四月二五日を見つけ、そのまま視線を右に移す。最初の赤い日付である二九日を捉えたところで止まった。

「もうすぐゴールデンウイークだったな」

野崎も同じものを見ていたらしい。程なく、鋭い三白眼が碓氷を見下ろした。

「連休前までに香川の尻尾を掴むことができたら、考えてやる」

「連休前まで、ですか?」

碓氷は目を凝らしてカレンダーを見直す。何度数えても、四日しか残されていない。

「文句があるなら荷物まとめに入れ」

どうやら譲歩するつもりはないようだ。異保から飛ばされたくないなら、条件を飲むしかない。

「わかりました」

まさか了承されるとは思っていなかったのか、野崎は目を見張った。しかし、すぐに仏頂面に戻ると、意地の悪い微笑を浮かべてこう言い残した。

「期待してるぞ、番犬さん」

 会議室を出て、軽い足取りで席に向かう上司の背中がガラス越しに映る。碓氷は恨めしそうに睨むと、会議室から飛び出した。

 三課オフィスを足早に去り、ロッカー室に荷物を取りに行く。補填の能力抑止剤を鷲掴みし、ポーチの中に詰め込んだ。勢いよくチャックを閉め、腰に装着する。わずか三十秒足らずで準備が終わり、ロッカー室を出ようとした。

 すれ違うように別の人物が入ってきた。

「おはようございます、班長」

可愛らしい声で挨拶するのは、今年三課に配属された新人、狭山(さやま)(きょう)()だった。後ろで短く束ねられたダークブラウンの髪と、小動物を連想させる童顔。一方で身長は一六五センチとやや高めだ。当然、強面揃いの三課では異色の存在だった。同時に、異保官訓練学校を出て最初の配属先が『池一』の三課という経歴もまた異色であった。噂によれば、上層部にいる父親の権力だろうという話だが、狭山本人への不満や陰口はいっさい耳にしたことがない。彼女の愛嬌故か、あるいは父親を恐れてか。碓氷はそのどちらでもないと思っている。

「お出かけですか?」

狭山が、補填用能力抑止剤の残数を数えながら訊ねた。

「聞き込みに」

「お気をつけて!」

新人らしい眩しい声だった。急いでいるにも関わらず、碓氷の足は自然と止まる。

 振り向くと、狭山が屈託のない笑顔を向けていた。目が合うと、さらに目を細める。

「備品管理、ありがとう」

碓氷はそう言うと、狭山が頭を下げるのを見る前にロッカー室を出た。早足で歩きながら通信機を立ち上げ、事件概要を開く――。

 一週間前。人気男性アイドル歌手が突然失踪した。

 宇都宮(うつのみや)(りく)(まさ)、三十三歳。十八歳のときにデビューし、爽やかで好青年らしいルックスとアイドルとは思えない歌唱力で瞬く間に有名となった。

 宇都宮は半年前に結婚したばかりだった。発表があってから夫婦間トラブルの話はまったくなく、むしろ各所で仲睦まじい姿が見られていた。幸せな新婚生活を送っていたはずの彼に、何があったのか。

 実は結婚と同時期に、所属事務所を脱退していた。独立して新たに事務所を立ち上げたのだが、その頃から暴力団・安地組の組員から脅迫を受けていたことが関係者への調査でわかった。

 異保は安地組を中心に取り調べを行ったが、手掛かりとなる情報はいっさい落ちなかった。

 それが昨日、偶然職質を掛けた白髭の男が、安地組系列の反社会的組織・漸義会から奇臓を買い取る約束をしていると白状したのだ。

 奇臓は、能力者のみに備わる、能力行使に関係するとされている物質・アンノウンを生成・複製することができる臓器だ。生来奇臓が生成できるアンノウンの型は一種類だけであり、その型によって能力者の属性(アビリティ)――例えば「炎」や「水」、「金属」といったもの――が決定される。

 裏社会で奇臓が売買される理由は、複属性持ち(マルチアビリティ)になれるからだ。具体的には、生来のものと型違いのアンノウンでも、体内に一度取り込んで奇臓に十分量複製させることで量産を定着させることが可能になる。すなわち複属性化するのに必要なのはアンノウンのほうだが、アンノウン単体での保管は現状不可能なため、奇臓ごと取り扱われるのが一般的だ。

 能力者における各属性の人数比は、苗字と一緒で偏りがある。炎や水、植物アビリティは能力者人口が多いが、たとえば時間アビリティは国内でも数十名しかいない。そのわずか数十名の中に、宇都宮が含まれていた。そして、異保が職質を掛けた白髭の男が漸義会から買い取るはずだった奇臓は、時間アビリティだったのだ。香川から聞いたという摘出日時も、ちょうど宇都宮が姿を消した一週間前だった。

 奇臓の処置は医療従事者の間でも特に困難とされていた。故に、素人の手で摘出などしようものなら、持ち主の命はまず助からない。つまり、香川が宇都宮の奇臓を所持していると立証できれば、香川こそが宇都宮を殺した犯人だと示すことができたわけだ。それが昨晩の失敗により、厳しい状態となってしまった。

 碓氷は事件概要を閉じ、池袋の街へと出る。落ち込んでいる暇はない。

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