アニス、一歳
アニスを拾ってから、一年が経った。
拾った日を誕生日と決めたので、今日が一歳の誕生日だ。拾ったときの年齢はわからないが、生まれて間もなくだったはずだ。そうでなきゃ、あんなふうにスライム状でぐにゃぐにゃのはずがない。
人間はどうか知らないが、魔族は子どもの誕生日は必ず祝う。寿命が短い上に成長の遅い人間なら、きっと子どもなんてどこにでもいる存在だろう。だが魔族にとって子どもという存在は珍しく、特別なものだ。だから成人するまでの間、誕生日は欠かすことなく必ず祝う。
アニスの一歳の誕生日を祝うため、ニコルがいろいろと準備してくれた。一歳と言っても、まだ余裕で赤ん坊。魔族の一歳と比べてはいけない。それでも、こいつはこいつなりに地道に成長している。拾って三か月くらいしたら、スライムからイモムシに進化した。
その後さらにイモムシからシャクトリムシに進化し、少し前には二足歩行ができるようになった。ただし、非常にあぶなっかしい。筋力がないくせに頭がでかいから安定が悪く、転ぶと頭をぶつけがちだ。だからコケてもけがをしない場所でしか、歩かせたくない。
石畳の上なんかは論外。でも一応、コケたら自分で手をつくことができるようになってきたから、頭をぶつける心配は多少減ってきた。とはいえ、万が一があるからな。危険のある場所では絶対に歩かせないし、歩かせるときには必ずすぐそばに付き添う。
アニスの進化は、身体的なものだけじゃない。この頃は言葉らしきものも発するようになってきた。
「あぶう」
「いま作ってるところだから、ちょっと待ちなさい」
「あぶう!」
「はいはい。いま作ってるからな」
ミルクは半年ほど前に卒業し、現在の食事は離乳食だ。作る間は、ダイニングテーブルの前に座らせておく。もちろん普通の椅子じゃない。アニス専用の椅子だ。座っていられるようになった頃に、ドワーフに特注して作ってもらった。
ところが背中を向けて食事を作り始めると、必ずこいつは騒ぎ出す。仕方ないので、できるだけ目の前で作業するようにしている。作業中なのを目にしていれば、それなりにおとなしくなるから。何が面白いのか、毎回じっと手もとを見つめている。
「ぺぽぽ?」
「そうだよ。お前、本当にこれ好きだよなあ」
「ぺぽぽ、あぶう!」
「だから、待ってなさいって言ってるだろ」
俺とアニスのやりとりを、ニコルは目をまたたかせて見ていた。
「まるで会話してるみたいに聞こえるわ」
「うん。会話してる」
俺の答えに、ニコルは目を丸くした。
「あの子が何を言ってるか、わかるの?」
「うん、まあ、だいたいは」
「えええ! 今のは何て言ってたの?」
しゃべりはするが、まだ全然まともに発音できない。だから「食べる」が言えずに「あぶう」だし、「ポテト」も言えなくて「ぺぽぽ」なのだ。子音も母音もめちゃめちゃだが、イントネーションだけはそこそこ合ってるから、毎日聞いてりゃだいたい見当がつく。
そしてアニスは、ポテトペーストが好物だ。これが離乳食の中で一番、食いつきがいい。とりあえずふかしたポテトをミルクでのばしたものをベースにしとけば、ちょいちょい別のものを混ぜても食うんだよな。
他に何か混ぜ込んであっても「ポテトだ」と請け合ってやりさえすれば、ときどき首をかしげることはあっても、素直に食う。実にちょろい。なお、ポテトをペーストにする作業は目の前でするが、何か混ぜるときには見てないところで手早くやる。
「あなたが将軍って呼ばれる理由が、初めて実感できたわ……」
「いや、それ全然関係ないだろ」
ニコルが放心したようにおかしなことを言い出すものだから、思わず吹き出す。せっかく感心してくれるなら、もっと違うところにしてほしかった。
離乳食の準備ができ、木製のさじをアニスに持たせたところへ、「やあ!」と声がして玄関のドアが開いた。魔王のシェムだ。
シェムの姿が見えたとたん、アニスは目を輝かせた。
「しぇん! しぇん! あおー!」
「こら。スプーンを振り回すのは、やめなさい」
シェムはちょくちょくアニスの様子を見に来るので、顔なじみなのだ。しかも毎回、何かしらちょっとした手土産を渡すものだから、すっかり懐いてしまっている。
ちなみに「しぇん」はシェムと呼んでいるつもりで、「あおー」は「おはよう」のつもりらしい。挨拶は「おはよう」ひとつですべて済ます。ニコルは気づいていないようだが、アニスは彼女の名前も覚えている。「にぽぽ」と言ったら彼女のことだ。
さらに言うと、アニスが「ぶぶー」と呼んだらゴブリンたちのこと。どうやら俺がやつらのことをしょっちゅうビビリと呼んでいたのを、そのまま覚えちまったみたいなんだよなあ。
どう聞いても「ぶぶー」のイントネーションは「ゴブリン」じゃなくて「ビビリ」なのだ。さすがにこれには、俺も少々反省した。
アニスに覚えてほしくないような言葉は、アニスの前で使うべきじゃない。
このとき以降、俺は言葉遣いに気をつけるようになった。特別に上品な言葉遣いをするわけでもないが、真似されて困るような言葉は使わない。少なくともアニスの前では。もっとも、目が離せなくてどこへ行くにも連れ歩いてしまっているから、つまり常時使わなくなったということだった。
ゴブリンたちは、アニスがただの赤ん坊にすぎないとやっとわかってきて、この頃はもう遠巻きにすることもない。だからアニスはゴブリンたちを見ると「ぶぶー!」と喜んで手を振っちゃうのだ。
連中には、まだ「ゴブリン」が発音できずに「ぶぶー」になっていると説明してある。「そうなのかー」と納得していた。こいつらのちょろさも大概だ。
そればかりか、アニスが「ぶぶー! あおー!」と声をかけると、「よく言えたなー。そうだぞ、『ぶぶー』だぞー」と機嫌よく褒める始末。それを聞くたびに俺はチクチクと良心を苛まれるので、早く「ぶぶー」から卒業してほしい。
シェムはアニスの誕生日祝いに、南方産のメロンを持ってきた。なかなか手に入らない、希少な高級品だ。この辺りで採れるメロンとは果肉の色が違い、乳白色をしている。
魔族は一歳の誕生日に、白く丸い菓子を焼く伝統がある。だがアニスには、あの菓子はまだ早い。やっと前歯が生え始めたばかりなのに、焼き菓子なんて硬くて食べられないだろう。それで代用品とすべく、白い果肉のフルーツを探してくれたらしい。果肉を丸くくり抜いて、菓子の代わりにした。
「ほら、これがシェムからの誕生日祝いだぞ」
「おー」
どこまで理解してるのか、目を丸くしてみせるのが笑える。お前、誕生日が何だか絶対わかってないよな。