悪ふざけ
ダリオンは五歳になると、国境警備の見習い研修に一般市民枠で参加するようになった。ニコルの身長を抜いたのは、この頃だ。さらにダリオンは六歳で、魔国軍に見習いとして就職する。
どうして軍に就職したのだろう、とニコルは不思議に思った。でも、本人には尋ねなかった。その代わり、ヘザーの前で疑問を口にしてみる。
「どうして軍なのかな」
「いやあ……。そりゃ、ね」
あまりにも煮え切らないこの答えに、ニコルは目をパチクリさせた。
歯切れが悪い上に、何やら意味ありげである。言いたいことがあるなら、はっきり言ってほしい。そうでないと、あまり人の気持ちの機微に聡くないニコルには、よくわからない。
首をかしげるニコルに、ヘザーはくすくすと笑った。
「わからないなら、わからなくていいよ。そのうち嫌でもきっとわかるし」
「ふーん……?」
「ニコは、かわいいね」
思わずニコルは眉間にしわを寄せる。だが、ヘザーにからかっている様子はない。本当にただかわいいと思っているだけのようだ。わけがわからない。もう一度首をかしげるとヘザーは声を上げて笑い、「本当にニコは、かわいいね」と言った。
もっともヘザーは、ニコルより三十歳以上も年上だ。彼女の目には、ニコルはダリオンと大差のない年齢に映るのかもしれない。
──その四年後、ニコルはヘザーの言ったとおり「嫌でもわかる」ことになる。
ものすごい勢いで研修の単位を取得していったダリオンは、なんと十歳で一般昇格試験に合格した。十四歳で一般に上がったニコルよりも、さらに四年も早い。それまで十三歳だった一般昇格の最年少記録を、大きく塗り替えることになった。
合格発表のあった日、ニコルはダリオンに食事に誘われた。もちろん快諾する。誘われるまでもなく、自分から合格祝いに誘うつもりだったから。
その席で、彼女は彼から思ってもみないことを言われた。
「やっと一人前になったから。結婚してくれる?」
うれしかった。彼女がいるから軍に入ったのだとまで言われたら、うれしくないわけがない。思わずちょっとにやけちゃうくらいには、うれしかった。
だけどいくらうれしくても、まさかうなずくわけにはいかない。だって、相手はまだ十歳なのだ。さすがにない。ないったら、ない。中型種はもちろんのこと、小型種だったとしても早すぎる。
中型種の平均的な結婚年齢は、五十歳から百歳くらいだと言われている。なのに十歳はありえない。犯罪臭さえする。二十歳でも、ちょっとぎりぎりアウト気味のような気がするのに。
十歳で結婚したとしても、別に法に触れるわけではない。何歳から結婚してよいかなんて、法律で決めるようなことではないのだから。だが法律で規制されずとも、わざわざ法律にするまでもない社会常識というものが世の中にはあるのだ。
だからニコルはお姉さんとして、なるべく言葉を選んで優しく諭して聞かせた。しょんぼりと気落ちしたダリオンを見ると心が痛んだけれども、流されるわけにはいかないのだ。彼だって子どもの頃の気の迷いなんて忘れて、いつかもっと相応しい人と大人の恋をするだろう。
最後には、ダリオンも気を取り直したような顔をしていた。彼女の言葉を理解してくれたようだ。翌日からも気まずくなることなく、今までと彼の態度が変わらなかったことにニコルはホッとした。
だからこそ数年後の出来事には、手ひどく裏切られた気持ちがしたのだ。
あれから数年後の収穫祭の日、ニコルは夜祭り警備の連絡係として拠点に控えていた。人気のない役目だが、今年は自分から志願した。友人のヘザーが半年ほど前に退職してしまい、一緒に遊びに行く相手がいなかったからだ。
ヘザーはナーガ族のダンサーと結婚した。そして地方公演中に離れて暮らすのが嫌だからと、あっさり仕事を辞めてしまった。今は夫モーガンと一緒の舞踏団に所属して、ダンサーとなっている。
まだ日暮れ前なので、事前に少し調べ物をすべく、ニコルは資料室に向かった。ここ数年のトラブル事例と対処法を、今のうちに頭に入れておこうと思ったのだ。入り口近くの資料棚から、去年のファイルを取り出して開く。
するとこのとき、突き当たりの会議室から大きな声が聞こえてきた。こんな時間から、すでに酒が回っているらしい。
(まさか勤務中に飲んだの?)
ニコルはうんざりして、鼻の上にしわを寄せる。
「今年の賭けはどうするー?」
「肝試しでいこうぜ!」
「百獣の女王に求婚するとか、どうよ? 成功したやつが勝ちー!」
「その前に生きて戻れるか、わかんねーぞそれ」
「だから肝試しなんだろ」
「よし、それでいこう!」
ギャハハと品のない笑い声とともに、男たちが会議室からぞろぞろと出てくる足音がする。それをドア越しに聞きながら、ニコルはため息をついた。「百獣の女王」なんて聞いたこともない言葉だが、それでも想像はつく。
小さくドアを開き、大声で話しながら去っていく男たちの背中を確認していると、カタンと小さな音がした。会議室のドアノブが回るのが見える。まだ誰か残っていたらしい。あわててニコルは顔を引っ込めた。
薄く開いたドアの隙間からのぞいてみれば、会議室から出てきたのは、なんとダリオンではないか。うかがうように辺りを見回した後、スタスタと早足に歩み去る。ニコルは愕然とした。
(うそ……。声は聞こえなかったのに。あそこにいたの?)
会議室は突き当たりで、資料室の前を通らずに行くことはできない。つまり、今あの会議室から出てきたなら、あの酔っぱらいたちと一緒にいたのは間違いないということだ。
だが、まだ失望するのは早い。あのとき、ダリオンの声は聞こえなかったのだから。ただ一緒の部屋にいただけであって、賭けに乗ったわけではないのかもしれない。
とにかくこうして事前に知っていたおかげで、男たちが順番にプロポーズにやって来ても、少しも驚きはなかった。ただ、うんざりしただけ。もちろん全員、絶対零度の視線で撃退した。
そして、最後にやって来たのがダリオンだった。大きなバラの花束を手にして。花束なんて持ってきたのは、ダリオンだけだ。きれいなピンクのバラなのがまた、腹立たしい。そこまでして賭けに勝ちたいのか。
怒りにまかせてきつい言葉を投げかけると、ダリオンは目を見開いて固まった。悲しげに揺れる瞳は、うるんでいるように見えた。
(なんであなたが泣きそうな顔をしてるのよ!)
泣きたいのは、ニコルのほうだ。口を開けば、罵倒の言葉しか出てきそうもない。だからニコルはそれきり視線をそらして口をつぐむ。ダリオンは目を伏せ、とぼとぼと去って行った。
その日は幸い、この酔っ払いたちの賭け事騒動を除けば、ニコルが引っ張り出されるような大きなトラブルは何も起きなかった。夜祭りが終わり、深夜過ぎにようやく仕事から解放される。ニコルは家に帰り着くが早いか、ベッドに倒れ込んだ。そして、泣いた。




