アニス、暴露する
俺が思わず遠い目をして、アニスがもっと小さかった頃のあれやこれやに思いをはせていると、当のアニスがなぜか得意顔で口を挟んだ。
「私が赤ちゃんのとき、ダリオンが毎日ずっと抱っこしてたんだって」
「あれは仕方なくだよ。だってお前、ベッドに寝かそうとするとギャン泣きするんだもん。だいたい、ちょっとでも目を離すと、何をしでかすかわからないしさあ。自分が寝るとき以外、ずっと抱えて歩くのが一番楽で安全だった」
俺の説明に、クレメントは驚いた顔を見せた。
「乳母はいなかったのですか」
「乳母? 乳母ってなに?」
俺が聞き返すとますます驚いた様子で、乳母が何かを説明してくれた。赤ん坊や子どもの育成を専門とする職業があるのだそうだ。赤の他人に子育てを丸投げしちゃうのか、と今度は俺のほうがびっくりした。でもどうやら、そこは子どもの成長速度の違いに起因しているようだ。
魔族の間で、子どもの存在は珍しい。だから人生の中でそう何度も得られるものではない希少な機会を、他人まかせにする親などいないのだ。だから乳母という職には、需要がない。需要がないから、職として成り立たない。
ところが人間はそうはいかない。成長が遅いから、数年おきに何人も子どもがいたら、親はとても十分には面倒を見切れないだろう。それで子育て専門の「乳母」という職が成り立つ、ということらしい。ただし乳母を雇えるのは、ある程度以上の富裕層に限られるらしいが。
成長が遅くとも、俺にはアニスひとりきりだった。それに周りが何くれとなく手助けしてくれた。おかげで、何とかやって来られたのだ。
アニスは謎の得意顔で、さらに続ける。
「私の名前はニコルが付けてくれたんだって」
「そうよ。アニスの実は甘い香りがして、お料理や薬の材料にもなるの。アニスの実みたいに、誰からも大事にされる子になりますようにって付けたのよ」
ニコルの解説を聞いて、俺は目をまたたいた。え、そんなちゃんとした由来があったの? たまたまおくるみにくっ付いていたのが目に留まっただけなのだとばかり思ってた。なんか、すまん。
「だからニコルがお母さんだと、ずっと思ってた」
「あら、ありがとう」
あまり表情豊かなほうではないニコルが、含み笑いのようにして少しだけ口もとをほころばせて礼を言った。ああ、こんな顔もきれいだ。つい俺が見とれていると、ここで突如としてアニスがとんでもない質問をぶっこんできやがった。
「ダリオンはどうしてニコルと結婚してないの?」
え?
あまりのことに、俺は目を点にして固まる。どうして俺、こんな公開処刑みたいなことされてるんだろう。それも人間までいるところで。
アニス、お前は少しデリカシーというものを学んだほうがいい。そういう無神経な質問をしても笑って許されるのは、もっと小さな子どもの頃までだぞ。
だが、すでに質問は発せられてしまった。
答えてもごまかしても、いずれにせよ気まずい。やけくそになった俺は、死んだ魚のような目をして正直に答えた。
「フラれたからですけど」
「え?」
驚いたような声を出したのは、どうしたわけかアニスではなくニコルだ。いや、なんでそこで驚くのよ? 俺、フラれたよな。はっきり、きっぱり、にべもなく。
軍に入って見習いを卒業し、満を持してプロポーズしたとき、こう言われたのだ。
『ありがとう、気持ちはうれしいわ。でも、ごめんなさい。ダリオンじゃ、私とは全然つり合わない』
がっくりしたけど、同時にどこか納得もした。自分でもつり合ってない自覚は薄々あったのだ。ただでも年下で、頼りなく見えただろう。なのにその上、見習いから一般に上がったばかりのぺいぺいだ。だいたい軍に入ったのだって、下心満載。ニコルがいるからという、ただそれだけの理由からだった。
だから俺は、それから頑張ったのだ。つり合うと言ってもらうために。
まずは体を鍛えた。でも種族特性による限界があるから、どうしたってニコルの兄たちのような立派な体躯にはなりようがない。そこで限界以上の筋肉をつけようと無駄な努力をするのはやめて、風魔法を極める方向に舵を切った。
頼りになると思われたくて、本当はやりたくもないのに、軍の取りまとめ役も積極的に買って出た。そうこうするうちにシェムと親しくなり、どんどん頼まれごとが増えていく。気がついたら、周りから将軍と呼ばれるようになっていた。
その間、俺はニコルをつなぎ止めるのに必死だった。最初のプロポーズこそ玉砕したものの、嫌われた訳ではなさそうだ。だから頑張りさえすれば、まだチャンスがあると思っていたのだ。
仕事の終わりにニコルを食事に誘ったり、互いの家にも行ったり来たり。誘えば付き合ってくれるから、俺はちゃんとデートを重ねたつもりでいた。
そして俺は、二度目のプロポーズをした。まがりなりにも軍のトップと呼ばれるようになり、その資格を手にできたと思ったから。なのに、ニコルの返事はつれなかった。俺がプロポーズの言葉を口にした瞬間、彼女はキュッと眉間にしわをよせて表情をこわばらせた。そして反論を許さない口調で、ピシャリと斬って捨てた。
『そういう、たちの悪い冗談はやめてちょうだい』
さすがに、ここまで言われれば俺も理解する。つり合わないどころの話じゃない。はなから対象外だった。これ以上しつこくしたら、迷惑極まりない付きまといになってしまう。それだけは、なりたくない。
俺、頑張ったんだけどなあ。
もう軍も辞めて、心機一転、どこかでやり直そうか──とも考えた。が、それを実行しようにも、責任ある立場が邪魔をした。やさぐれた気持ちで後任を探すも、後任なんて、そう簡単に見つかるものじゃない。誰だって、こんな面倒くさい立場は嫌がるものだ。
アニスを拾ったのは、そんな中でのことだった。おかげで、ますます軍から離れられなくなってしまった。
だけどアニスに振り回される日々のおかげで、傷心に浸ってる暇などどこにもなくなった。暇というか、余裕というか、とにかくそんなものには縁のない、必死な日々だったのだ。だってほんと、ちょっとでも目を離すとこいつ、危険に向かってまっしぐらなんだもん。
──それにしてもさあ。どうして俺、こんな人生最大の黒歴史を赤裸々に語らされてんの。シェムが絶妙に相づちを打つものだから、途中でやめるにやめられず、最後まで吐かされてしまった。
聞き終わったアニスは、泣きそうな顔でつぶやく。
「ダリオン、かわいそう……」
「うちの妹が、純朴な若者を手玉に取る悪女みたいなことしてる……」
ジョーダンまで悲痛な面持ちでぽつりとこぼすし、さらにはそれ以外の魔族はもちろん、人間たちまで同情の眼差しを向けてくる始末。いたたまれないこと、この上もない。
「残酷な描写あり」にチェックすべきか、ほんの少しだけ迷いました。




