アニス、見せつける
たまらず俺は「アニス!」と叱りつける。ところが当の本人は、きょとんとしていた。叱られるようなことをした覚えなどまったくないという顔だ。思わずため息がこぼれる。
「アニス、謝りなさい。今、この人間たちは、全員死んでてもおかしくなかったんだぞ」
「え、なんで? ちゃんとシールド張ってねって言ったじゃない」
アニスは不満顔だ。ここまで説明しても、まだわからないらしい。
「人間にシールドなんか張れるわけがないだろう」
「でも国境を侵入してきたなら、魔力持ちってことでしょ。だったらシールドくらい張れるんじゃないの?」
「シールドを張れる魔力量かどうか、よく見てみなさい」
「少ないのはわかるけど、そこまで少なかった……?」
本気でわかっていなかったらしい。これには、俺のほうも愕然とした。アニスの魔力感知がここまで大雑把だったとは。ちょっと甘やかしすぎたかもしれない。ゴブリンの平均的な魔力量の一割以下だと教えてやると、目をむいていた。
ここに至って、ようやくアニスは自分が何をしでかしたのか理解した。本当に全員殺してしまうところだったと頭に染み渡ると、アニスの顔から血の気が引いた。今にも泣きそうな情けない顔で、クレメントに向かって頭を下げる。
「ごめんなさい。ただダリオンに手出ししないでって言いたかっただけなの。本当にごめんなさい」
「いえ……」
クレメントは口の端を引きつらせつつも、アニスの謝罪を受け入れた。立場上、受け入れないわけにはいかないだろうしな。人間たちは全員、顔色が悪い。子どもの「うっかり」で殺されかけたんだから、無理もない。
まあ、五年前にそっちが俺に矢を射かけて殺そうとしたことは水に流すからさ、それとこれとでチャラにしてほしい。もっとも俺に射かけたのは水に流せても、アニスまで狙ったところは何があっても許さんが。
「アニス。気持ちはうれしいが、俺はお前に守ってもらわなきゃならないほど弱くないぞ」
「知ってる。魔族の中で一番強いもんね!」
「一番かどうかは知らん。でも、ただの人間相手になら負けたりしない。たとえ千人いようと、一万人いようと、壊滅させていいなら簡単だ。あのときはお前を人質に取られてたから、手出しができなかっただけなんだよ」
俺がアニスに言い聞かせていると、どうしたわけかクレメントのほうから「えっ」という声が聞こえた。怪訝に思って振り返ると、クレメントの顔色が悪い。さきほどから悪かったが、それよりさらに悪くなっている。
もしかして、脅かしすぎてしまっただろうか。
「そちらから手出ししてこない限り、こちらから攻撃することはないから安心してくれ」
「あ、はい。でも、あの、『壊滅させていいなら簡単』とはどういう意味でしょうか」
「ああ。死なせないようにしながら撤退させるのは、俺の手には余るって意味」
シールドも結界も身体強化魔法も持たない人間たちは、割と簡単に死ぬ。竜巻で空中高く吹き飛ばされれば落下しただけで死ぬし、片手でつかめないくらいの大きさの雹を降らせても、打撲傷で死ぬだろう。
だから人質を取られているわけでなく、死なせないよう気を遣う必要もないのであれば、俺ひとりでも壊滅させるのは別に難しいことじゃないのだ。逆に死なせないよう気を配るのは骨が折れるが。──そう説明してやれば、クレメントだけでなく後ろにいる人間たちまで蒼白になった。
クレメントは恐る恐るといった様子で、尋ねてくる。
「竜巻なんて、起こせるのですか」
「ダリオン、やってみせてあげたら?」
わくわくした顔で簡単に提案してくれるアニスに、俺は苦笑して首を横に振った。
「しないよ。あれは遊び半分に使っていい魔法じゃない。環境破壊が大きすぎる」
しかも今は、鳥たちの繁殖シーズン真っ盛り。竜巻なんか起こしたら、この付近のあらゆる鳥の巣が、ひなもろとも全滅してしまう。雹だって同じことだ。
俺の説明を聞いても、アニスは諦めない。しばらく首をひねってから「そうだ!」と目を輝かす。現金なものだ。さっきまで泣きそうだったくせに。まったく子どもはこれだから。お前、本当にちゃんと反省しろよ?
「雷ならどう? あれなら環境破壊するほどじゃないでしょ?」
「うーん。そうだなあ……。雷一発くらいなら、まあいいか」
人間たちの安全のために、タイミングを見て結界を張るようレイフに頼んでから、俺は風魔法で上昇気流を作った。
雷だけ落とすには、この気流の作り方にちょっとしたコツがある。気流の上昇スピードが遅いと、雨が降ってしまうのだ。だから上昇気流は、雨粒が落ちないくらいに速度を上げてやる必要がある。こればかりは、経験と勘に頼るしかない部分だ。口では何とも説明しがたい。
積乱雲ができ、みるみるうちに俺たちの周辺だけ薄暗くなっていく。最低限の大きさで作ったから、俺たちの頭上以外は青空だ。暗くなるにつれて、上空でバリバリと雷の音がし始めた。
やがてシュッという音と同時に、少し離れた場所にある木が燃え上がるようにオレンジ色に光った。落雷地点が近すぎるので、雷鳴がとどろくことはない。あれはある程度以上、落雷地点から離れていないと音にならないものだから。その代わりに、音になる前の衝撃波が体を通り抜けていき、ビリビリと地面が揺れた。
一発落とせば、もう積乱雲に用はない。雨を降らす前に、適当に散らしておく。落雷した木は、上から四分の一ほどのところでポッキリ折れていた。これだから、面白半分に使っていい魔法じゃないのだ。
放心している人間たちをよそに、なぜかアニスが得意満面だ。
「ダリオンは天候も繰れるんだから!」
「いや、俺が繰ってるのは風だけだよ。俺、軍を辞めたら農園でも経営しようかなあ。魔法で水やりできたら、便利そうじゃない?」
俺のささやかな夢に、シェムが笑いながら「後任がいないから、まず引退が無理だと思うよ」と水を差す。身も蓋もない。身も蓋もないが、自分でもそんな気がちょっとする。
クレメントは青い顔のまま、俺に尋ねた。
「これだけの魔法が使えるにもかかわらず、なぜ五年前にあの者たちを見逃してくださったのですか」
「この子が無事なら、それでよかったからだよ」
嘘ではないが、あまり正直とも言えない答えを返した。実のところ手出しをしなかったのは、あちら側に勇者がいたからにすぎない。イレギュラーすぎるケースなので、うかつに手を出せなかっただけだ。でもそこはわざわざ人間に教えてやるべきことでもないので、敢えて触れるようなことはしなかった。