勇者来襲
アニスの誘拐事件から五年が経った。
アニスは十六歳。だいぶ大きくなった。身体的にはかなり成人に近づいたと思う。精神的にもまあまあ成熟してきた。前は食い過ぎたり腹を冷やしたりして腹痛になるたびに「お腹いたい」と泣きべそをかいて俺のベッドにもぐり込んできたものだが、もうそれはない。頭から危険に突っ込んで行くような無鉄砲さも鳴りを潜めた。
お転婆なのは相変わらずだが。
あの誘拐事件の後、俺とニコルは手分けしてアニスに自衛手段を教えることにした。俺が魔法を、ニコルが護身術を。本人に意欲があったのはもちろん、十分な適性もあったのか、めきめきと頭角を現した。主に肉弾戦の分野で。──いや、なんで?
聖女って本来、魔法特化型のはずなんだけど。
ニコルが拳や脚に魔力をまとわせる方法を教えたら、その魔力の密度を上げる方向で魔法練度をぐんぐんと伸ばしていった。そうして、ぱっと見には光エルフ、しかし戦闘スタイルはオーク娘という、いっぱしの闘士が出来上がってしまったのだった。
ぶっちゃけ、今じゃ俺よりよほどパワーがある。その代わり、魔法の細かい操作は苦手そうだ。いくら丁寧に教えても、魔法はあまり身につかない。魔法特化だったはずなのに……。
もしまたあのときの人間たちに誘拐されそうになったとしても、今なら自力で制圧可能だろう。「攻撃こそ最大の防御なのよ」と真顔で教えるニコルから素直に学んだ結果がこれである。たぶん、あの二人はこれが護身術だと本気で信じている。
アニスの誘拐事件の後、国境警備隊には事件の経緯とともに、勇者については容姿の特徴が伝えられた。ただ単に攻め入ってくるだけとは限らないことが、今回の件でわかってしまったからだ。
アニスから奪った髪飾りを使ってダークエルフの振りをすることだって、可能性としては考えておかないといけない。相手の出方がわからない以上、伝統的な勇者対策メソッドが通用する保証がなかった。
有効な防衛戦略を見いだせないまま日々を送る中、その知らせはもたらされた。
「将軍、大変です!」
「どうした?」
「勇者がいっぱい攻め込んできました!」
俺は眉間にしわを寄せた。いっぱい攻め込んできたって、どういう意味だ。攻め込むのに、ちょっともいっぱいもないだろう。
「いっぱいってどんだけだよ」
「わかりません!」
あまりにも要領を得ないこの報告に、俺はめまいがしそうになった。とりあえず、何か非常にまずいことが起きているらしいことだけはわかる。だがこんな報告では、具体的に何がどうやばいのか、さっぱりわからん。
思わずため息をこぼすと、別の隊員が補足した。
「一気にいっぱい来たので、正確な数はわかりません! とにかくいっぱいです!」
「え?」
あわてて質問を重ね、詳しく聞き出す。
すると確かに、勇者がいっぱい攻め込んできているとしか言いようがないとわかった。どういうことかと言うと、勇者が群れをなして攻め込んできたのだ。これまでずっと、勇者と聖女というのはそれぞれ唯一無二の存在であると信じられてきたのに。つまりこれは防衛戦略の前提を覆す、とんでもない状況なのだった。
俺は即座にシェムに報告を上げた。
「国境警備から勇者侵攻の報告があった。ただし、勇者が複数いる。それも目視で人数を把握できない程度に大人数らしい」
「なにそれ」
シェムはあっけにとられている。俺もまったく同じ気持ちだ。
「警備隊は引き上げさせた。俺、ちょっと偵察してくるわ」
「わかった、頼むよ。でも気をつけて」
転移陣で、国境の少し手前まで飛ぶ。そこから樹上を移動して、勇者の群れを探した。
勇者の群れは、国境警備隊から報告のあった場所からさほど離れていない場所で、野営の準備をしているところだった。見たところ、ざっと四十から五十名。これが全部勇者かと思うとびっくりする人数だが、人間が攻め入ってきたにしては少数だ。
ただ、この勇者たちには、ちょっとした違和感を覚えた。あまりにも魔力が低すぎるのだ。
アニス誘拐事件のとき、勇者の少年はアニスにこそ及ばないものの、そこそこの魔力を持っていた。なのに、ここにいる人間たちからは、ゴブリンほどの魔力も感じられない。これじゃ、魔獣と変わらない気がする。魔獣にしたって低いくらいだ。
だが、今はそれは重要じゃない。違和感はとりあえず、棚上げしておこう。
野営のために張られたテントの中で、ひとつだけ形と大きさの違うものがあった。そのテント前には、組み立て式の椅子に座った男と、その後ろに控えるようにして立つ二名の姿がある。座っているのがリーダーだろうか。
俺は風を繰り、そのテント周辺の音を拾った。
『閣下、チーム分けを完了しました』
『そうか、ご苦労。明日からは、予定どおり手分けして捜索を開始しよう』
え? 手分け? つまり、こいつら分散するってこと? 勘弁してくれ。ただでもこちとら、手が足りてないってのに。
『本当に姫は、こんな山奥にいらっしゃるんですかね』
『五年前の報告を信じるなら、いるだろうよ。そして私は、信じている』
『だけど仮においでだったとして、魔族が素直に渡すと思います? おそろしく凶悪な連中だって聞いてますよ。五年前だって、護衛していた騎士たちを襲撃して、姫を連れ去ったって話じゃありませんか』
いったい何を言ってるんだ。姫というのがアニスのことらしいのは、予想がつく。だが連れ去ろうとしたのは、お前たちのほうだ。
だいたい、護衛の騎士だと? 子どもの宝物を取り上げてニヤニヤするやつが、騎士だと言うのか。嫌がる子どもの腕をつかんで、無理矢理引きずることを、お前たちは護衛と呼ぶのか。
頭の中で苦々しく当時の出来事を思い返していると、リーダーの男は困ったように苦笑した。
『それについても、私は少し思うところがあるんだよねえ』
『どういうことですか?』
『つまり、まずは相手の話を聞いてみないといけないってことだよ』
リーダーのこの言葉を、俺は意外に思った。人間の中にも、まともな頭のついているやつがいるのか。
何はともあれ、一度引き返して仲間と相談しなくては。あちこち散らばられてからでは、手の打ちようがなくなりかねない。俺は森の中を吹き抜けていく風を起こし、ザーッと風が木の枝を揺する音にまぎれてその場から離れた。