アニス、七歳
アニスが七歳になった。
ニコルがアニスを見てくれている間、俺は自分の部屋で地図とにらめっこをしていた。すると、半開きのドアをノックする音がする。アニスだ。
「ダリオン、ちょっといい?」
「お、どうした?」
「準備できたって」
「わかった。すぐ行く」
この頃、アニスは妙にニコルに似てきた。
もちろん、顔立ちは全然似てない。アニスはニコルほど彫りが深くないし、ニコルに比べたら表情が豊かでころころ変わる。血縁関係なんてないから、当たり前だ。にもかかわらず、ときどきびっくりするくらい似ていることがあるのだ。
ドアをノックするリズムとか、俺が仕事中に声をかけるときには必ず「ダリオン、ちょっといい?」と前置きをするところとか。しかもその言い方が、何とも言えず似てるんだよなあ。
声だって全く違うのに、ついうっかり聞き間違えて、振り返らずに「すまん、もうちょっとだけアニス見てて」と返してしまったこともある。戸惑ったような「アニスだよ……?」という声で、やっと自分の勘違いに気づく始末だ。あれは気まずかった。なぜかアニスはうれしそうだったが。
今日は、アニスが七歳になった誕生日祝いだ。ただし、ここ三年ほど、チャーリーの家と合同で誕生日祝いをしている。というのも三年前、アニスの誕生日のすぐ後に、やつのところに子どもが生まれたから。ビリーという名の男の子だ。
生まれてすぐに祝いに行ったときには、初めて見る赤ん坊に、アニスは「かわいい!」と大興奮だった。新生児は魔族でもスライム状なのだと、俺はこのとき初めて知った。魔族は弟か妹でもいない限り、赤ん坊を見る機会なんてそうそうないんだよ。俺は末っ子なので、見たことがなかったのだ。
ビリーが一歳になるくらいまで、アニスはお姉さん風を吹かしまくっていた。ビリーをかまいたくて、しょっちゅうチャーリーの家に行きたがっていたほどだ。
ただ、チャーリーの家に遊びに行くとなると、サイズの問題により、俺が家に入るのは何かと支障がある。頭をぶつけないよう気をつければ、入れないこともない。だが俺は窮屈だし、あちらにしてみたら俺のサイズは邪魔くさいだろう。
それでどうしても、アニスを預ける形になりがちだ。子守りを押しつけるようで気が引けるのだが、チャーリーの嫁さんはいつでも歓迎してくれた。
「お手伝いしてくれるから、助かってるわー」
本当かあ? 手伝いはやりたがるし、実際に頼めばやるけども、助かるほどの戦力になるとは疑わしい。だいたい、あいつは目を離すと何をしでかすか、わかったもんじゃないんだよなあ。
ところがビリーと一緒にいるときには、アニスはあまり突拍子もないことをしでかさないと嫁さんは言う。アニスなりに「赤ちゃんの面倒を見なきゃ」という責任感を持つらしい。もっとも、ビリーが一歳になると追いつかれ、二歳で身体能力的に追い越され、三歳になったらついに身長も抜かれたわけなんだが。
一歳を過ぎると、ビリーがうちに遊びにくることが増えた。チャーリーの嫁さんが一緒に来ることもあるが、ただ預かるだけのことのほうが多い。そして嫁さんの言っていた「助かるわー」の意味が、何となくわかるようになった。ビリーが来てアニスと一緒に遊んでいてくれると、大人は楽だ。
それにビリーは、ビビリの息子だけあって慎重派なのもいい。冒険心にあふれすぎているアニスの、ちょうどいいストッパーになってくれた。成長具合が逆転してからは、ビリーのほうが面倒を見てくれている感がある。
そんなわけで、今日の合同誕生日祝いは、ビリーの成人祝いでもある。もっとも、成人してすっかり立派な大人に──とはならないのが、小型種だ。あいつら、成人してもどこかちょっと子どもっぽいんだよなあ。
よく言えば、無邪気で人懐こい。身も蓋もない言い方をすると、単純で付和雷同型。だからリーダーが生まれにくく、これまでに小型種の中から魔王が選ばれたことは一度もない。ただし、ドワーフ族は除く。
ドワーフだけは、小型種の中でもちょっと特殊だ。一応、小型種に分類されているものの、中型種の特性も併せ持っている。
身長、成長速度、魔力の低さは小型種そのものなのだが、寿命の長さは中型種と同じだ。体型も他の小型種とは一線を画している。オーク族並みに肉付きがよいので、戦闘能力は中型種に引けを取らない。
性格的にも、ゴブリンやコボルトたちに比べると落ち着いている。付和雷同どころか、むしろ頑固な者が多い。この気質のおかげで、職人や研究者を多く輩出している。
──脱線したが、ビリーはゴブリン族だ。ゴブリンたちは総じて、成人しても子ども心を失わない。そのおかげか、今でもアニスと仲がいい。
「ビリー、お誕生日おめでとう」
「アニスもおめでとう」
誕生日祝いの料理は、ビリーの年齢に合わせている。だから本来ならステーキのはずなのだが、今日は進化したステーキもどきが供されていた。アニスの三歳の誕生日に、シェムが城の料理長を呼んで作らせた、あのステーキもどきだ。
実はあのとき、あれがうまいと結構な評判になった。それに気をよくした料理長が改良を重ね、ついには似て非なる新たな料理が生み出されるに至った。ミンチステーキと呼ばれている。あのときのステーキもどきはミンチにした果肉だけで作られていたが、今では野菜やハーブのみじん切りも練り込まれて、見違えるほど贅沢な料理になった。
そして今回も、ミンチステーキ。七歳でも、まだちょっとアニスにステーキは早いという判断による。伝統料理じゃなくてビリーをがっかりさせたら悪いと思ったが、それは完全に杞憂だった。「城の料理長に、流行の先端を行く料理を作ってもらった!」と素直に喜んでいる。こういう無邪気さは、いかにもゴブリンらしい長所だ。
食事が始まると、アニスは隣にいるビリーに話しかけた。
「ねえねえ、やっぱりビリーも国境警備隊に入るの?」
「うん。最初は見習いからだけどね」
「いいなあ……」
アニスは大人の仲間入りを果たしたビリーがうらやましくて仕方ないらしい。もっとも成人したといっても、さすがに三歳では、小型種であろうともまだまだ一人前からはほど遠い。就職しても当面、半分以上は勉強のはずだ。
じっとりと羨望にまみれた眼差しのアニスに、ビリーは笑いながら現実的な提案をした。
「実務は無理だけど、研修ならアニスでも参加できるよ」
「え、ほんと⁉」
「来てみる?」
「行きたい!」
見習い向けの研修や講習会は、一般市民にも公開されている。受講資格なんてものは特にないから、希望者は誰でも受講可能だ。だから確かにアニスでも、参加しようと思えば参加できないことはなかった。中型種であれば、成人前から参加する者もそう珍しくはない。アニスほど幼くて参加する者は、滅多にいないだろうが。
アニスは期待に満ちた視線を俺に向けた。
「ねえ、ダリオン。行ってもいい?」
「ひとつ約束ができるなら、いいよ」
「どんな約束?」
「終わってもひとりで帰らずに、ちゃんと迎えが来るまで待つこと。約束できるか?」
「できる!」
「なら、行っておいで」
「やったー!」
さっそく翌朝から、アニスは見習い向けの研修に嬉々として出かけて行った。昼過ぎまでの予定だが、研修施設にはカフェテリアがあるので弁当を持たせる必要はない。気のいいビリーが送り迎えを買って出てくれたおかげで、俺は久々に時間に余裕を持てることになったのだった。




