国境付近の不審物
「ダリオン将軍閣下! 大変です!」
「国境外からの侵入がありました!」
「怪しい魔力が観測されてます!」
部下のゴブリンが三名、何やらあわてふためいて飛び込んできた。もっとも、こいつらが飛び込んでくるときは、だいたい無駄にあわてている。
そもそも、俺は別に将軍でも閣下でもない。
ただ単に魔王の友人であり、その縁で軍の取りまとめ役を押しつけられただけの、不運な若造にすぎないのである。にもかかわらず、なぜかやつらはこう呼ぶ。
おおかた「将軍」とか「閣下」って言いたいだけじゃないかと思っている。きっと「将軍閣下」なら「将軍」と「閣下」でかっこよさが二倍だとか、そういうくだらない理由と見てまず間違いない。
だが今は、まず状況確認だ。
「怪しい魔力って何だよ?」
「わかりません!」
「おい」
確認くらいしてこいや! ──とは思うものの、どうせ言うだけ無駄だ。こいつらがビビリなことは、よくわかっている。どれくらいのビビリかって、国境警備を志願しちゃうくらいのビビリ。
なんてったって国境警備というのは、とんでもない閑職なのだ。
だって魔国の国境には、がっちり結界が張り巡らされている。侵入者なんてそうそう現れるわけがないような、強固かつ緻密な結界だ。そんな変わり映えのしない国境を、来る日も来る日も点検して回るような、ぬるくてだるい仕事が国境警備。血気盛んな野郎どもが志願するわけがなかった。かくして国境警備は、ビビリたちの天職となっている。
そんなビビリ連中だから、不審物の確認なんぞ期待するだけ無駄ってものだ。怪しいと思ったが最後、おっかながって確認になんぞ行きやしない。
そんなやつらにも、もちろんいいところはある。勤勉なのだ。ビビリだけど。
そしてビビリという特性も、こと国境警備においては長所となり得る。ビビリなだけに、小さな異変も見逃すことがないからだ。
でもまあ、一目散に逃げ帰ってくる程度には、やつらにとっては異常事態だったんだろう。逃げ足が物理的に速いのも、長所と言えば長所かもしれない。俺は小さなため息をひとつこぼして立ち上がった。
「よし、確認してくるか」
「お願いします!」
「誰か案内してくれ」
しかしここで、返事がない。
ゴブリンどもは何やらひじでつつき合って、もじもじしているだけだ。なるほど。押しつけ合っているわけか。戦力としては何の期待もしてないが、案内くらいはしてくれないと困る。とっとと確認しちまいたいんだよ。どうせ何もないんだろうけど。
「じゃあ、ベン、お前が案内してくれ」
「いや! こいつが案内したいと言ってました!」
「やめろ、押すな! 言ってねええ!」
あからさまに目の前で押し付け合いが始まってしまった。めんどくせえ。
「案内してくれたら、魔王からもらったワインを褒美にやろうと思ったんだがなあ」
「俺が行きます!」
「あ、ずりい! 指名されたのは俺だ! 俺が行く!」
わかりやすくワインで釣れた。しかしその代わりに、今度は役目の取り合いが始まる。埒があかないので、最初に志願したゴブリンの首根っこをつかんだ。
「こんなものは、早い者勝ちだ。チャーリー、行くぞ」
「あいさ!」
ところが他の二人も「俺も!」「俺も行く!」と付いてきやがる。
「付いて来たって、ワインは一本しかねーぞ?」
「三人で分けます!」
「三人で見つけたんだから、三人で分ける!」
だったら最初からそうしろや。脱力して気の抜けた笑いをこぼしながらも、ゴブリンの後ろをついて行く。まずは転移陣こと転移用の魔法陣で国境へ移動だ。
転移陣は魔国内での移動の主要な手段で、ある程度以上の規模の村や町にはだいたいどこにでもある。そして国境警備用にも使われている。転移先は、結界装置の置かれている場所の近くだ。
三人は「ワイン! ワイン! おいしいワイン!」と機嫌よく歌いながら先導していたが、やがて急に静かになったと思ったら、ぴたりと足をとめた。
「この茂みの向こうです」
「何かいる」
「魔力のかたまり」
三人が口々にささやき声で報告する。言われて俺も茂みの先に目をこらすと、確かに見慣れない魔力の気配がした。
「じゃあ、見てくるわ。お前たちは、もし何か危険を感じたらすぐ逃げろよ」
俺がそう言い終わるか終わらないかのうちに、茂みの向こうから「ふやああああ」という、猫の仔のようなか細い鳴き声がした。ゴブリンどもは三人とも一斉に、ビクッと飛び上がった。かと思うと、まっしぐらに逃げていく。さすがビビリ。筋金入りだ。
もっとも、それくらい逃げ足が速いほうが、俺にとってはありがたい。万が一にも戦闘になぞなったら、やつらは足手まといにしかならないからだ。
ゴブリンどもがまっすぐに転移陣のほうに向かって逃げて行ったのをチラリと確認し、俺は意識を茂みに戻した。慎重に茂みをかき分け、先に進む。あの鳴き声から判断して、小型の何かだろう。足もとから逃げ出してくるかもしれない。
体が小さくとも、身に危険が迫ると凶暴化するのは、どんな動物も一緒だ。しかも相手は小型とはいえ、上級魔族に匹敵するほどの魔力量の持ち主。何をしでかすか、わかったものではない。
相手が何だろうと負けるつもりはないものの、隙をつかれたら逃してしまう可能性は十分ある。油断なく構えながら茂みを抜けると、そこから国境の結界までは、小さく開けた場所になっていた。その結界ギリギリの場所に、布に包まれた何かがいる。
「なんだこりゃ。赤ん坊じゃないか」
だが、ただの赤ん坊じゃない。外から侵入してきた赤ん坊だ。つまり、人間。
人間を通さないための結界なのに、人間の赤ん坊が結界の内側にいる──ということになる。結界を通れている時点で、普通の人間ではない。実際、この赤ん坊からは大きな魔力の気配がした。これの意味するところは──。
「おいおいおい、聖女かよ」
俺は頭を抱えた。聖女は魔族の天敵だ。
人間は通常、魔力を持たない。だから魔国の結界は、魔力を持つ者だけを通すようにできている。人間を通さないためだ。ところが百年から数百年に一度、人間の間に魔力を持つ者が生まれることがある。これを人間たちは「勇者」や「聖女」と呼ぶ。そこそこの魔力持ちが勇者、膨大な魔力持ちが聖女だ。
この赤ん坊は、人間であり、かつ魔力量が多いから、聖女と見て間違いない。
勇者や聖女がなぜ魔族の天敵なのかといえば、なぜか必ず魔国に攻め入ってくるから。しかも、十分に準備をして迎え撃たないと大損害を受ける程度に強い。にもかかわらず、こいつらには結界が役に立たない。何しろ人間のくせに魔力持ちだから、魔族と同じように通れてしまうのだ。
そんな聖女が無防備な赤ん坊の状態で落ちている。──もしかして、これはチャンスでは?