第3話
顔の整形にしろ、改名のための結婚にしろ、そこまでするなんて凄い執念だ。よほど「タカハシアヤコ」に執着していたのだろう。
聞いているだけでゾッとするような話だった。
まるで他人事みたいに「聞いているだけで」という言い方をしてしまうのは、彼女の言っていた「タカハシアヤコ」が私ではないからだ。
小学校時代を振り返ってみても、クラスに同じ「アヤコ」がいたことなんて一度もない。「ブサイクな方のアヤちゃん」あるいは「ブサイクちゃん」なんて渾名の女の子はいなかったのだ。
ならば、彼女が執念深く狙っていた「タカハシアヤコ」とは、実は彼女の妄想の産物だったのだろうか?
あるいは、彼女の同級生にも「タカハシアヤコ」は実在しており、それを私と思ったのが間違い。単なる人違いだったのだろうか? それならばそれで、そちらの「タカハシアヤコ」も私と同じく舞台女優が夢だったというのは、恐ろしいほどの偶然なわけだが……。
後日。
さらに背筋がゾーッとするような事態が起きる。
小学校時代の友人たちに、あのオーディションの一件を話すと……。
「ああ、ブサイクちゃん! 確かにいたわね、同じクラスに」
「同じ『アヤコ』同士、ブサイクちゃんとも仲良かったよね、アヤちゃんは」
「ええっ! アヤちゃん、あの子のこと、忘れちゃったの?」
というように、誰もが彼女のことを覚えていたのだ!
まるで並行世界に迷い込んだような気分だった。
しかし現実的に考えれば、そんなことはありえないはず。
とはいえ、同じ名前とか仲良かったとか、それほど印象的な存在なのに私だけが忘れるのも不自然な話ではないか。
もしかすると……。
人間は都合の悪い話を忘れやすい。自分で自分の記憶に蓋をする場合がある、という。
傍から見れば「仲良かった」という私と彼女の間に、実際は「記憶に蓋をする」ほど恐ろしい出来事が起きていたのかもしれない。
(「最後の一人は、もう一人の私」完)