ステラリアの休養(3)
「祭り、ですか?」
体調はすっかり完治して、帝都に戻る日まであと数日に迫っていた、そんなある日。
「バスティエ領ならびにバスティエ騎士団が主体となって、ステラリア様を見送るための宴を開く。当初は邸宅でのパーティーを予定していたが、騎士団からの頼みで市街地を使った大規模な祭りになった」
バスティエ伯爵はこれまでの経緯を語る。どうにも信じがたいが、これは市街地の平民から是非にと騎士団経由で嘆願があったらしい。
「皆、平民の騎士からステラリア様の功績については聞き及んでいる。そんなにバスティエ領のためを思って活動してくれたステラリア様を、黙って見送ることはできないそうだ」
「そう、ですか……」
言って、私は少しうつむく。
「ステラリア様、なにか問題ても?」
「……いえ、なんだか信じられなくて。私の率いた軍が、多くの帝国民を殺した事実は変わらない。それでも、私を帝国民が見送ろうとしてくれるなんて」
「……もちろん、中には今も不安に思っている者もいるだろう。だが、ここは比較的戦場から遠く、直接的な被害を受けたものは多くない。ステラリア様の献身を、素直に受け止めやすい場所ではあると思う」
相変わらぶっきらぼうな言い方ではあるが、バスティエ伯爵の言わんとしていることは痛いほどに伝わってくる。
「ぜひ、ステラリア様にはバスティエ領があなたの味方になったという実感を得ていただきたい。今回の祭りは、そのためのものでもあるのだ」
帝国のいち領地が私という個人の味方になった実感を得る。そんなことが本当にできるのだろうか。
「わかりました。それでは、当日を楽しみにしていますね」
胸の高鳴りを押し殺すように、私は身を乗り出してそう答えた。
そして、その日がやってくる。
バスティエ領を去る前日、その夜に私とクラリスは連れ立って市街地を訪れた。
「へえ……」
祭りといっても突発的なもので、過剰に装飾されているわけではない。だけど、整然と立ち並ぶ出店やそれを楽しむ人々を見ると、これもまた良さなのだと感じることができた。
「どうですか、お嬢様? 帝都の祭りはもっと豪華でにぎやかですけど、こういうのもいいと思いませんか?」
「ええ、そうね。飾るだけがいいところではない、雰囲気を伴ってこそだと思うわ。いい雰囲気ね」
「はい! これはちょっとした自慢なんですよ」
クラリスが誇らしげに胸を張る。今日はお忍びではないのと、クラリスはバスティエ伯爵家の人間ということでふたりともドレスを身にまとっている。
「みなさーん! ステラリア令嬢が到着いたしました!」
思い切り息を吸い込んだと思うと、クラリスが声を張り上げる。よく通る声が通りに響き渡り、そこにいた誰もが一斉にこちらへと視線を向ける。
「ささ、お嬢様。挨拶をどうぞ」
「あなたねえ……急に振らないでよ」
そんなやりとりをしている間にも、人々はこちらに熱い視線を向けてくる。私がどんなことを言うのか楽しみにしているように。
「えー……ステラリア・ディゼルドです。私のために祭りを開いていただきありがとうございます。いろいろなことがあり、イクリプス王国からポーラニア帝国にやってきました。ご存じの方も多いと思いますが、私は今、皇太子殿下の婚約者として帝国の発展のために尽力しています。今回はバスティエ領の発展に向けて、とくに重要なバスティエ騎士団を鍛えなおすことができました。私にも皆さんのお役に立つことはできたでしょうか。皆さんの生活がよりよいものになるよう、今後もクラリスやバスティエ伯爵と協力します。今日は楽しませてくださいね」
ちょっと堅苦しかったかな、と思いつつ、今回の厚意に対して貴族の礼を返す。
一拍あって、ぱらぱらと拍手が起こり、それが徐々に広まって大喝采にまでなった。
「そんな、礼なんてとんでもないです!」
「ステラリア様のおかげでだらしなかった旦那が心を入れ替えました。ありがとうございます!」
近くの人々から声をかけられ、私の目頭にはじわりと熱いものが宿る。
「さあ、祭りだ! みんな、楽しもう!」
クラリスがその場を締め、人々が再び動き始める。私はクラリスと連れ立ってその人波に乗り込み、出店を練り歩いていく。
「ステラリア様、こいつを召し上がってくだせえ」
「ありがとう。これは?」
「この辺じゃ一番の川魚を串焼きにしたもんでさ。塩を振っただけでもいい味になりやすぜ」
「川魚か。なつかしいわね……いただきます」
店主から受け取ったそれに思い切りかぶりつく。クラリスがはらはらしながらこちらを見ていることには気づいたけど、気にせず食べ続ける。
「ん……いいわね。戦争中はこれがごちそうだったなあ」
「へえ。ステラリア様がいたところにも川魚が?」
「ええ。ちょうどこれくらいのがいるのよ。みんなで数を競ったこともあったわ。まあ、私はそんなに得意じゃなかったんだけど……」
その後も店主と軽く会話して、次の出店へと向かう。すぐにクラリスがハンカチを私の口元に押し付けてきた。
「もう、そんなはしたない食べ方をしないでください! 淑女教育の成果はどうしたんですか!」
「それはそれ。お祭りを楽しむにはこうじゃなきゃ!」
反論の言葉が耳に届くよりも速く、私は次の店で目についたものに手を伸ばす。
「もうっ、お嬢様!」
その後も、私は出店を巡っては周囲の人物と会話する。意図的に毒を入れられるわけでも、隙を見て攻撃されることも、厳しいことを言われることもなく。ただただ楽しく時間が過ぎていく。
こんなに自分をさらけ出して楽しむことができたのは、いったいいつぶりだろうか。
「ねえ、クラリス」
「なんですか、お嬢様?」
私に振り回されっぱなしで、若干疲れ気味のクラリスに、私は満面の笑みを浮かべて。
「ここは、とてもいいところね!」
「ええ、もちろん。私の自慢の街ですから」
想像もできなかったほど、楽しい時間を過ごすことができた。
いずれ、自由になったらまたここを訪れよう。それがいつになるか、どんな形になるかわからないけれど。ただ、そう思えた。