外へ(1)
決闘法を廃案に導いたあの帝国議会から、一か月が経過した。
議会に参加して以降、明確に変化したことがある。これまでに面談してきた貴族令嬢からの報告や相談の手紙はもちろんのこと、その当主や家門の関係者からの手紙が増えたのだ。
内容は、令嬢とやりとりをしている件について当主である自分も交えて一度お話を伺いたいというもの、日頃令嬢がお世話になっているお礼に当家のお茶会やパーティーに参加してもらえないかというもの、など。
婚約披露パーティー直後から比べると、貴族の態度はかなり軟化してきている。これを機に貴族との交流を深めて私の存在感を確立しよう……と、思っていたのだけど。
レイジ殿下……レイジは、私がそうした誘いに参加したいと言うとそれをすべて拒否した。いわく、「まだ危険は潜んでいる」とか「社交界で失敗すると今後の計画に支障が出る」とか。
それは、私が危険な目に遭うことによる帝国への不都合を避けるため……だと思っているのだけど、どうにもただの過保護という気がしないでもない。
それでも、だからといってなにもしないというのは当初の目的にも反する。
唯一、ここだけはなんとか手伝わせてほしいとレイジを説き伏せて、私はその日に向かって準備を進めていた。
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皇太子宮の執務室から窓の外を覗くと、ふたりの人物が剣を交えている姿が目に映る。
ここ数日、この時間には必ずその光景が見られるようになった。俺は休憩がてら、なんとはなしにそちらを見やる。
「ステラリア嬢は鍛錬に余念がありませんね」
「お前も参加してきていいんだぞ?」
「ご冗談を。私に剣の才能がとんとないことは殿下が一番ご存じでしょう」
同じように窓から下をのぞき込んでいたセルジュが自嘲気味に笑う。自衛の手段として簡単な剣術を手ほどきしたものの、もともと宰相の跡取りとして勉学に重きを置いていたセルジュは、幼少期の筋力や体力の積み上げがなくまともに剣を扱うことができなかった。俺も無理に鍛錬の時間を割かせることはせず、今の立場に落ち着いている。
「それにしても、ずいぶんといきいきとしておられますね。普段、机に向き合っているときとは雰囲気がまったく違います」
「彼女にとっては、やはり剣を振っている時間が一番落ち着くのだろう」
戦場での頭脳労働といえば戦術立案くらいで、計算や今やっている活動などは専門外ではあったはずだ。それでも、考えて、立案して、行動するという経験値を誰よりも積んできたおかげで俺の要求にも応えられている。
「……それにしては浮かない顔ですね?」
俺の方を見て、セルジュが訝しげに問う。
「そうだな……本当は、ステラリアには帝国で剣を握ってほしくなかった」
「どうしてです? ステラリア嬢の剣の腕前は誰もが知っているところ。彼女の剣の技術を帝国に伝えることは、帝国民の悪感情を抜きにしても帝国に益をもたらすものであると存じますが……」
「それはそうだろう。皇太子妃が剣術に長け、自衛の手段を持っているのは心強い。だが……」
俺は早く口にしたいとはやる想いを抑え、ひとつ深呼吸をして。
「剣を持って対峙すると、相手も相応の態度で彼女と向き合うだろう。今は大丈夫でも、いずれは彼女が傷ついてしまうのではないか。彼女が剣術に自信を持ったままでいると、いずれ帝国やイクリプス王国に危機が生じたとき、自ら剣を抜いて前線に出て、命を落としてしまうのではないか。そう思うと、俺は怖くてたまらないのだ」
かなうことなら、彼女から剣を取り上げて安全な皇太子宮にい続けてほしい。そうして腕がなまりきって、剣を握ることを躊躇してほしい。
しかし、そうすればきっと、ステラリアが帝国民から受け入れられる日は訪れない。なにより、彼女は彼女でなくなってしまうだろう。
だから、俺はそんな浅ましい望みを抱いていても、実行に移すことができないのだ。
「本当は、彼女を辺境まで送り出したくもなかった。しかし、あそこまで真剣に頼み込まれては、俺も拒絶できん」
「たしかに、あのときの令嬢には鬼気迫るものがありました。ですが、おかげで『例の計画』を進める時間が作れるのでは?」
「そうだな。ステラリアにたっぷり貸しを作ることができたし、例の計画に反対することはできないだろう」
俺は喜びに表情が崩れるのを自覚して、小さくひとつうなずく。
ここまでは順調にきている。俺にできることは、彼女が俺を選んでくれるように努力することだけだ。
「さて、休憩はここまでにしよう。その件であちらから来ている要望があったな?」
「ええ。こちらをご覧ください――」
セルジュから差し出された書類を受け取り、俺は頭のスイッチを切り替える。
そうして、再び書類の山へと没頭していった。
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