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 気ままな空の一人旅、七日目。

 そろそろタクシー代わりの飛竜を解放してやらねばならない。

 果てがないのでは、と思えた広大な樹海の終わりも、遠くの方に見えてきた。

 霊峰を拠点とする成体の飛竜の、活動距離ギリギリの範囲だ。


「ギャオッ?」


 手綱をキツく締めると、長い首がこちらを向く。なんやねん、ワシちゃんと飛んどるやろ、というニュアンスの、表情豊かな爬虫類ヅラだ。


「あの岩の上に降りろ」


 私の指差す方を確認したタクシーは、「ギューッ」と鳴いて、巨岩へと何なく降り立った。体感だが、飛竜は、地球人類の七歳児ほどの思考能力はあるようだ。


「ここまででいい」


 胴体と首元にキツく巻いていた手綱を、ナイフで斬って解放する。

 飛竜は「ギュア?」と長い首を傾けて不思議そうにしていた。


「行け」

「ギュッ、ギュアーッ!」


 手のひらで胸辺りを叩いて、手をシッシッと振ってやったら、理解したようだ。

 嬉しそうに一声鳴いて飛び立って行く。

 高いところから滑空する時とは違い、平べったい場所から上空へと飛び立つ場合、飛竜は竜種に似合った膨大な魔力を使う。

 私は巻き上がった魔力残滓に顔を顰めながら、小さな荷物袋を肩へと引っ掛けた。


 さて、あとは歩きだ。

 樹海を抜け、いくつかの町や村を超えれば、迷宮都市ルロースがあるという。

 まだまだ先は長い。

 私は巨岩の上で、樹海の終わりを見通しながら、親指で鼻先を拭った。

 飛竜の上昇魔力に巻き込まれて、周囲の樹木が何本か折れている。青臭い匂いが鼻についた。


「ム……?」


 ふと、風に乗った血の匂いを、竜人族の鋭い嗅覚が嗅ぎとった。


 獣とは違う、人間の血の匂い。そして鉄の匂いだ。


 三キロほど離れた所から。私の立つ巨岩と、樹海の終わり、その中間地点の辺りに、匂いの元がある。

 即座に全身に巡らせた魔力を強める。

 私は三階建てくらいの巨岩からぴょいっと飛び降りると、腐葉土を蹴り飛ばして走り出した。

 竜人族は即決即断がモットーなのだ。


 本気を出した竜人族の足は、恐ろしく速い。

 近づくごとに、人同士の争いの音を耳に拾った。鉄と鉄がぶつかり合い、罵り合う声がする。


 うす暗い樹冠の下、巨木の間をひらりひらりと駆け抜ける姿があった。

 浅黒い肌の、少年である。

 子供から大人に変わる間の、思春期真っ只中といった年代の若さだ。

 少年は、身体中に傷を負いながらも、森の中を身軽に逃げ回っていた。

 見るからにガラの悪い、五人の男たちからだ。

 男たちの身なりは、割と整っている。全員がなめした革鎧を身に付けて、剣と弓を巧みに扱いながら、包囲網を形成して、たった一人の少年を、順調に追い詰めていた。

 彼らは、嘲笑混じりの掛け声で、小さな獲物を囃し立てる。

 嘲笑われている少年も、器用に逃げ回りながら、生意気そうな口調で吠え返している。

 どちらも共通語だが、流暢に過ぎた。

 共通語初心者の私には、ひどく聞き取り辛いものである。


 くそ、ネイティブたちの会話に入っていくのは勇気がいるな。

 私はちょっと緊張しながら、苔むした古木の根を踏み割った。

 一気に跳躍。

 少年と男たちの間に、強引に割り入る。


「っ……なんだ、てめえは!」


 突然現れた私。対面した男の一人は、驚いて急停止を掛けたのち、油断なく剣を構え直した。警戒しながら低く、ゆっくりと問いかけてくる。

 うむ、それなら聞き取れるぞ。その調子で頼む。


「旅人だ」


 私は重々しい重低音で答えた。

 盛大に胸を張って、厳しい眼光で持って男たちを睥睨する。

 五人分の息を呑む気配が伝わってきた。


「子供を襲うのは、いかん」


 魔力を込めてジッと睨みつけてやる。

 目の前の男の口が、何か言いたげに開いては閉じるを、繰り返した。その身体は、小刻みに振動し始めている。暗い瞳も、恐怖をにじませ左右に揺れていた。

 うろたえ、私に怯えているのだ。


 今世の私は、筋肉モリモリの恐るべき巨漢である。


 身長は多分二メートルほど、体重に至っては、軽く百五十キロを超えていることだろう。

 人体を測る文化が竜人族になかったから、おおよその目算だが。

 ちなみに里には鏡もなかった。


 縦に大きく、横に分厚い巨躯は、ムッキムキの筋肉に覆われ、ギュギュッと引き締まっている。

 私の一族は、万年雪に包まれた、霊峰生まれの霊峰育ちである為、皆一様に色白で、金髪碧眼だ。

 色素が非常に薄いのだ。

 日焼けもし辛い肌質で、今一迫力には欠けるかもしれん。

 が、しかし。

 私の見上るほどの上背と、はち切れんばかりの横幅は、大柄な者が多い一族内においても、嫉妬の視線を寄せられるほどの出来上がりだった。

 男たちからは巨人に見えるだろう。ビビるのも当たり前だ。

 前世の、女子中学生だった頃の私が、うす暗い森で今の私に睨まれたなら、泣き叫んでオシッコちびる自信がある。

 加えて、自我が芽生えると同時に鍛え出した魔力に至っては、同族から森人族との取り換えっ子では、と揶揄されるレベルなのだ。

 巨大に腰が引け、魔力に脅される。

 彼らは生きた心地がしないのではなかろうか。


 見たところ、男たちは普人族が三人、獣人族が一人、よく分からん混血が一人。

 普人族は、一番地球の人類に近い。

 これといった身体の魔相化も出来ず、魔力的にも肉体的にも弱いが、繁殖力旺盛で、どこにでもいる。

 獣人族は、竜人族の哺乳類バージョンだ。

 竜化と一緒で、魔力で身体を獣に変形させるのだ。こちらは獣化という。

 霊峰ピュサナのふもとに広がる、この広大な樹海にも、獣人族の集落がいくつかあると聞いている。


 この世界には、こうして様々なファンタジー種族がいる。

 しかし、互いの血を混ぜることは、眉を顰められる行いだった。


 その証拠が、私の右手奥側で、弓を構えて立っている。

 あの男の魔力は、どうにも〝臭う〟。

 いや、実際に体臭がする、というワケではないのだが。

 魔力に関する第六感が、あの男の魔力が純粋ではない、と告げてくるのだ。

 例えるなら、水にこぼした墨が、波紋となって広がり続けているような。

 些細だが、確固とした違和感を感じる魔力なのだ。

 混血を初めて見る私でも、これがそうなのだと直感出来る〝混ざった〟魔力である。

 見れば分かる、と吐き捨てながら説明されるのも致し方なし、と思ってしまうくらいには、純血魔力との明確な違いがあった。

 見ていて、どうにも不安定だ。


 混血は忌まれる存在で、社会に身の置き所がないーーそれがこの世界の常識だ、と聞き及んでいたのだが……。

 実際は、他人種とこうやって徒党を組んで、子供をなぶっている一員だ。

 ふむ。

 私の知識は、少し古いのかも知れない。

 人伝ての情報が多いし、竜人族自体が、辺境も辺境の、霊峰暮らし。

 そして長命種に多い、孤立を好む社会構造だった。

 一言で言えば、閉鎖的。

 竜人族が時代に取り残されている間に、混血を受け入れる社会になったのかも知れないな。


「違うんだ、ほら、な? 分かるだろ?」


 私が混血の男を物珍しく見ていたからか。目の前の男は剣を下ろして、愛想笑いを張り付けながら語りかけてきた。


「アイツと一緒で、その餓鬼も混血なんだよ。な? だから俺らは可哀想に思って、仲間にしてやろうと……」


「ふざけんなっ!」


 男の媚びる口調が、背後から発せられた少年の叫びにかき消された。


「お前らは〜〜〜〜〜〜〜っ! 〜〜〜!! 〜〜〜〜〜!!」


 おい、少年よ、激昂するのはいいが早過ぎる。田舎者は全く聞き取れないぞ。チンプンカンプンだ。


「分からん。ゆっくり話せ」


「っ! だっからぁ!」


 少年はセンテンスを区切りまくってキレ出した。


「俺は! 騙されてたの! アイツらに、捕まったら! 売、ら、れ、る、んだよっ!!」


 なるほど。人身売買。

 人権の概念もない世界だ。さもあらん。


「ごっ、誤解だっ! 俺らはそんなつもりじゃ……!」

「そ、そうだよ! ちゃんと町で保護してやろうとしてだなあ!」


 男たちの必死の言い訳が、樹海の中に白々しく響く。


「そんなつもりもこんなつもりもねえだろうがよっ! このゴブリンの〜〜〜どもがっ!」


「んっだとゴラァ!!」

「黙れ〜〜のクソ餓鬼が!」

「お前の〜〜を〜〜〜して〜〜〜やろうか!? ああん!?」

「旦那ぁ、お目溢しして下さいよぅ」


 私は、ギャワギャワ騒ぐヤツらを見下ろし、静かにこぶしを握った。

 見せつけるように掲げたそれに、醜く罵り合っていた全員の意識が集中する。


 そして、渾身の一撃。


 私は真横の大木を、こぶし一つで吹き飛ばした。

 男たち五人が、全員で腕を回しても囲み切れない直径の、巨大な古木だ。

 引きちぎれた幹は、後方の木々を巻き込みながら、地面と水平になって、けたたましい破壊音と共に樹海の暗がりに飛んで、消えていった。

 鳥たちが一斉に飛び立ち、小動物や、小物の魔物が逃げ惑う気配が、樹海全体に広がる。


 私たちの居る場所だけが、静まりかえっていた。


「うむ」


 無傷のこぶしをニギニギしながら、一人で頷く。

 私は満足感に満たされていた。

 久方ぶりの全力だ。大分スカッとした。

 初めての海外旅行ーーしかも片道切符ーーの今の現状に、自分で思っている以上のストレスが溜まっていたようだ。


 私は晴れやかな気分で、男たちを見下ろした。

 腰が抜けた彼らは、「ふぇぇ……」「ぴゃぁぁ……」と幼児化しながら尻を引きずり、私から遠ざかるごとに、ほふく前進じみた動きに切り替えて、樹冠の暗がりに逃げ去って行く。


 しばらく魔力の気配を窺ったが、ちゃんと五人揃えたようだ。安心安心。

 まあまあの腕前っぽかったし、あの人数なら魔物にやられる心配もないだろう。


「家はどこだ」


 私は背後でずっと動かない気配に、ゆっくりと振り返った。


「い、えは、ねえよ……」

「ム」


 恐怖が喉に絡んだ声だが、ハッキリとした意思はある。

 少年は、あの男たちよりもキモが座っているようだった。

 じっくりと正面から観察すると、少年はチョコレートのような艶やかな肌色をしていた。

 適当にくくった黒い髪はボサボサで、麻布の簡素な服は、あちこちが無惨に切り裂かれ、血が滲んでいる。

 だが、黒い瞳はどうにも勝気だ。

 未だ私に対する恐怖は拭えていないようだが、大分落ち着いてきたのか、好奇心の輝きが宿り始めている。若いな。

 百五十センチほどの細っこい身体には、竜化や獣化のような、魔相化の類いはない。

 パッと見は普人族に見えるが、耳の先は丸くなく、少しツンと尖っている。

 長命種の血が入っているようだが、感じる魔力は、見た目相応に若々しかった。

 そして、混血にしては澄んでいる。


 あの男は、この少年のことを混血と言っていたが……。

 先ほどの、成人した混血男とは、別物のような魔力に感じる。

 あの弓を持った男の魔力は、水に墨を垂らして波紋がたったようなーー言い方は悪いが、濁ったような感覚を受けた。

 だが、この少年のそれは、常温の水に、キンキンに冷えた冷水を零して波打たせているような感じだった。

 純血ではないが、濁ってもいない。

 不安定だが、安定している。

 そんな矛盾した感覚を覚えるのだ。

 確かに珍しそうだ。

 これが売られる要因になったのだろうか。


「どこに帰る」


 私は、上目遣いで挑戦的に睨んでくる小さな少年に、端的に尋ねた。

 気分は、繁華街を夜回りする補導員である。


「……だから、帰る所はねえって言ってんだろ」

「どこから来た」

「んだよ、しつけぇなあ! オッサンには関係ねぇだろっ!」


 一瞬で血が昇ったらしき短気な不良少年は、ハッと我に返ると、慌てて口を閉じた。

 ちょっと怯えながら、上目遣いでこちらの様子を伺ってくる。

 その様子は、反抗期の子供そのものだ。

 私は黙ったまま腕を組んだ。

 暴力は払いませんよ、とのアピールである。

 動かない私に、少年はバツが悪そうに口先を尖らせてから、力なく俯いた。


「オッサンが助けてくれたのは、その、感謝してるよ。でも……俺、もう戻れねぇんだよ。母ちゃんが死んでから、ずっと村を追い出されそうだったんだ。だから、あんなヤツらに着いて来ちまって……」


 少年は俯いたまま、細い肩を震わせた。

 小さな足先で、木の根に生えた苔をイジイジ掘じくり返しながら、悲痛な訴えをこぼす。

 泣くのか、と身構えたが、次の瞬間、少年は勢いよく私を見上げた。

 キリキリと釣り上がった黒い瞳には、理不尽な身の上に対する、激しい怒りがあった。


「俺、混血だから。帰るとこなんて、ねえ」

「ム……」


 挑戦的な断言だ。

 私はほとほと困ってしまった。

 不良少年は、ワケありで、家なき子だったのだ。


「これからどうする」

「どうもしねえよ」

「ここは危険だ」

「知ってるつーの」

「行きたいところは」

「んなもん、別にねえし」

「やはり戻れ」

「は? どうせまた追い出されるのに?」

「金をやる」

「はぁ、奪われるだけに決まってるじゃん。オッサンの頭はゴブリンなの?」

「ムゥ……」


 なんつークソ生意気なガキだ。

 清々しさすら感じる。

 私のこぶしを見ても、この態度とは。

 舐め腐ってニヤつくガキの頭にゲンコツをかまそうか迷って、結局やめる。

 ニヤつきながらも、微かにすがるように見上げられれば、根無草の大人だって腹を括るしかないだろう。


 仕方ない。

 旅は道連れ、世は情け。

 竜人族は即断即決がモットーだ。


 私は大きくため息を吐いてから、組んだ腕を解いて、クソガキを見下ろした。

 樹冠の木漏れ日が、勝気な黒眼にキラキラと反射している。


「小僧、名前は」

「チャズ。アンタは?」

「ウィラド」


 背を向けざま「ついて来い」と言い放つ。


「待ってました! オッサンってば決めるのが遅えよなあ」


 のっしのっしと歩き出した私の足元を、チャズが子犬のように走り回った。

 人懐っこい笑顔でノリノリだ。一片の躊躇もない。


 呆れ返るような、笑ってしまうような図太さである。

 このガキ、調子が良いにもほどがあるだろう。

 私は竜人族にあるまじき微笑みを浮かべそうになって、慌てて口元を引き締めた。



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