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ブロマンスだよ、と言い訳する程度にはホモです。
主人公の外見は、世紀末覇王をイメージしています。
ガチムチ賛美が徐々に増えていきます。
色々と自衛お願いします。
私の頭上を、大きな翼を広げて飛竜が滑空していく。
一頭、二頭、三頭……七頭あたりで数えるのをやめた。
ここ霊峰ピュサナは、飛竜の巣窟だ。万年雪に覆われた山頂には、数えきれないくらいの巣穴が掘られていて、一年中ギャアギャアとやかましい。
鱗も羽毛もない爬虫類のくせに、冬眠もせず、年がら年中活動的。さすが魔法生物なだけはある。
「よし、お前も飛べ」
私は自分の跨った飛竜の背中を、右手でパンパンと叩いた。
「ギュルル……」
生きたタクシーは、長い首をこちらに寄越し、不満そうに瞳孔を細めて乗客に唸ってくる。
私のこぶしに負けたくせに、生意気な奴だ。
運賃代わりに、今度は手のひらに魔力を込めてから、私はパンッと勢いよく背中をはたいた。
哀れな飛竜は「ピャッ」と甲高く鳴いてから、慌てて両翼を広げ、滑空の体勢に入ろうとする。
よし、それでいい。
「里に残れ、ウィラド」
見送りに来ていた幼馴染みの男が、手綱を引っ張る私を見上げて言った。
彼の声量は、バッサバッサと雪を舞い上げる翼の音に負けじとハリがあったが、その色は暗く、固い。
「残らん」
私は竜人族らしく、端的に答えた。
「お前は飛竜を従えた。立派な戦士だ。文句を言う奴は殺せ」
紛うことなき殺人教唆だが、この幼馴染みは私のために、とても大真面目に言っている。
勘弁しろよ。その「殺せ」の中には、私の家族どころか、お前の両親も入ってるよね。
「竜化出来ねば、戦士ではない」
私は精一杯、威厳を持たせて答えた。
幼馴染みは、私と違い、上手く竜化した顔を僅かにしかめてから、ギロリと騎乗する私を睨む。
「励め」
いや、だから無理だって。お前だって横で何十年も見てきただろう。私にはどうしても無理だったんだってば。
喉元まで出かかった言葉を飲み込み、私は重々しく首を振った。
「……」
「……」
重苦しい無言。幼馴染みである男の竜顔が、凶悪に歪んだ。
ギザギザの歯を見せつけるように剥き出して、彼の尻に生えた太い尻尾も、その苛立ちを示すように鋭く雪を舞い上げる。
こっわ。竜化っていうか、もはや恐竜だろうこれ。
「では行け。二度と戻るな」
幼馴染みは、吐き捨てて顔を背けた。
私の中の罪悪感が膨れ上がる。軽い目眩を覚えるほどだ。
四十年もの付き合いなのだ。悪態をつくコイツが、ひどく悲しんでいるのが分かる。
肩を抱いて、長年心を砕いてくれたことに感謝したい。不甲斐なくてすまないと赦しを乞いたい。
だが、ここで涙ながらの別れに移行出来ないのが、竜人族の悲しみだ。
なんせ、痩せ我慢が一族の美学なのだから。
「さらばだ、強き友よ」
「さらばだ、出来損ないの友よ」
どちらも厳しい顔つきで、あっさりと最後の挨拶。この憎まれ口を聞くのも、今日で終わりか。
私は今一度、手綱を握り、片足に魔力を込めて、飛竜の腹を蹴った。
空気を読んで待ち構えていたタクシーの運ちゃんは、「ギョアッ」と鳴いて、雪を深く踏みしめる。
ドシンドシンと激しい足音に全身が揺さぶられる。
目の前は、切り立った崖だ。
浮遊感と、押し寄せてくる冷たい風圧を、一身に受け止める。
私は目を細めて、早朝の薄暗い空を仰いだ。
振り返れば、幼馴染みはもういない。
生まれ故郷を抱いた霊峰ピュサナが、ぐんぐんと遠ざかっていく。
やるせない感情と、旅立ちの高揚が、私の中で混ざり合う。
もう戻らない。戻れない。戻りたくない。
私は転生者だ。
日本で、平凡な女子中学生から、平凡な女子高生にジョブチェンジする寸前に、呆気なく事故死した。
そして、剣と魔法のファンタジーな世界で、ファンタジーな人種の男性へと転生してしまったのだ。
今世の私は、竜人族である。
この竜人族、魔力という不思議パワーを持っていること以外、姿形は地球人類そっくりなのだが、成人してからが一味違う。
竜人族は、魔力を使って竜化するのだ。
頭部を、手と足を、自分の魔力で覆い、じわじわと変形させ、人の姿から意図的に外れていく。
首から上は、トカゲとワニを足して、恐竜で割ったような、凶悪な爬虫類そのものに。
手と足の先も、鋭い爪を有した、野性味あふれる形状に。
そして尻には、ぶっとくて長い尻尾を生やす。
竜頭、竜手、竜足、尻尾。これを自分の魔力で作れて初めて、成人した竜人と見做される。
寝ても覚めても、食ってる最中も、出してる最中も、夫婦の営み時でも、常時この竜化を保つ。
それが、竜人族の成人の正式な姿だ。
……無理。
無理だって。
だって私、爬虫類、大嫌いなんだ。
今世の人生が、前世の人生の二倍以上になろうとも、三つ子の魂百までという諺は正しかった。
この厳つい中年親父の基礎には、いつだって泣き喚く年若い女の子がいるのだ。
生理的に無理、となったら、テコでも動かない。
私なりにこの四十年頑張ってきたのだが、どうしても竜化だけは習得出来なかった。
魔力だけは、自我が芽生えてすぐ鍛え出した為、人の倍、いや、五倍はある。飛竜を素手でボコれるほど有り余っている。
だから、魔力量が問題なのではない。
もはや深層心理が拒否しているとしか思えないレベルだった。
どうしても、爬虫類のガワを被ることが出来ない。
竜化出来ねば、竜人族に有らず。
我が竜人族は、力こそ全ての戦闘民族である。
その力の象徴が、竜化だ。
そして、竜化した成人男性が、霊峰に住む飛竜を自分の力だけで従えた時、一族から『戦士』と呼ばれる名誉を得る。
勇ましく竜化し、恐ろしい飛竜を自らの力で狩って空を飛び、敵陣に単身飛び込んで、輝かしく勝利を奪うーーそれこそが、由緒正しい竜人族の戦士の姿である。
……そう、私は一族にとってあり得ない存在なのだ。
竜化も出来ない出来損ないのくせに、飛竜を単独で狩れるほどの実力を持っているのだから。
最初は神童扱いだったが、竜化の兆しが一向に訪れない私は、里の連中から程なく白い目で見られるようになった。
出来損ないと認識され出すと、ひどく邪険に扱われた。
具体的には、バイオレンスな私的制裁が、幼い私を容赦なく襲った。
もちろんチートに育てた魔力を持って、ボコボコにやり返したが、やがては家族にも見放された。
十五歳で、ぼっちのサバイバル生活に突入。
それでも魔力にあかせて、魔物や飛竜の巣である危険な霊峰で、この歳まで一人、生き延びてきた。
戦士である父親から、恥をすすぐ、とかいう脳筋理論で隙あらば命を狙われたりもしたが、毎度返り討ちにもしてやった。
……思い返せば、よく四十年も耐えたものだ。
今日この日まで逃げ出さなかったのは、意地や負けん気もあるが、幼馴染みの存在が大きかった。
ヤツだけは、決して私を蔑まなかったのだ。
そりゃあ憎まれ口を叩かれはしたが、あれも本気じゃあない。
ぼっち生活中にはあれこれと差し入れをくれたし、遅々として進まない竜化の練習にもなんやかんか付き合ってくれたし、村長宅から盗んだブツで盛大に酒盛りもした。
それに、村八分の私とは違い、ちゃんと結婚した彼の、生まれたばかりの娘をあやすのは、そりゃあもう楽しかったのだ。
ヤツの娘ちゃんは、最高に可愛かった。
金色の巻き毛、奥さんに似た水色の瞳、紅葉のようなおてて。笑うとエクボが出来る、薔薇色のほっぺ。
おじたま〜と舌ったらずに呼ばれ、ぽてぽて駆け寄ってくるその姿は、前世の宗教画の天使そのものだった。
……もう立派に成人しましたがね。
そう、今回の出奔の切っ掛けは、成人して、竜化を身に付けた娘ちゃんにあった。
なんと、結婚を迫られたのだ。
幼馴染みは「早すぎる……」とかブツブツ文句言いながらも、相手が私であることに満更でもないご様子だった。「出来損ないだが、強い男を選んだな」とか直接的に褒めてすらいた。
か、勘弁してくれ……。
私は幼馴染みと娘ちゃんからの気持ちを思って、答えられない自分に血涙を流して身悶えた。
爬虫類とキスは出来ない。無理。ほんと無理なんだ。
元女だから、精神的に女同士っていうのにも嫌悪感があるのに、顔面が爬虫類……。
何故、あんなに可愛かった美少女の顔を、見るも無惨に変形させる必要があるのか、これっぽっちも分からない。
もちろん娘ちゃんは好きだ。
竜化しようとも、爬虫類ヅラになろうとも、姪のように接してきた可愛い子供だ。愛していると言い切れる存在なのだ。
だが、異性としては……。
美少女のままの娘ちゃんなら、女性としてギリギリ愛せたかもしれないが……。
というわけで、一年間悩みに悩んだ、うだつの上がらない四十路男は、現在お空の上にいる。
娘ちゃんには内緒の旅立ちだ。
不甲斐ないと笑わば笑え。苦渋の選択なのだ。
愛のない生活を、愛する子供に与えるのはどうなのか、とか。竜化も出来ない村八分の男が、あの子に相応しいのか、とか。
悩みに悩んだ。
この一年は、竜化の練習を、今までとは比較にならないレベルで頑張りもした。
竜化出来たのなら、結婚しようと決めて。
無意識下の嫌悪を乗り越えられたなら、あの子の爬虫類になった姿も愛せるだろう、と。
……まあ、無理だったが。
私はどうしても、この人間の姿を手放せなかった。
心底、自分勝手な男だ。可愛いあの子に、ちっとも相応しくない男だ。
所詮、私は出来損ないなのだ。生まれた時から。
……前世の記憶なぞ、要らなかった。
「はぁ……」
ため息は白くなる暇もなく、後方へと流れていく。
私は手綱を持って、飛竜の背中で立ち上がった。
雪混じりの風圧が、ごうごうと唸り、鍛え上げた全身を襲う。
私は体内に巡る魔力を強めて、自然現象に抗った。
目指すは、迷宮都市ルロース。
大迷宮を抱く街は、多種多様な事情を抱えた人種の坩堝だという。
出来損ないの竜人一人くらい、包み込んで隠してくれるはずである。
竜人族は長命種で、寿命は二百年ほどだ。余生というには長いが、街の片隅で静かに暮らすのが目標である。
眼下の広大な樹海を一望しながら、私は振り返ることなく、南西に手綱を切った。