夕から夜
様々な音楽が砂浜に書かれた文字のように消えていった…。俺はその名残りを感じていた。
仮に世界が終われば、俺は万歳三唱するだろう。哲学…あらゆる哲学が手を伸ばし、到達しようとしてできなかった事を世界が現に達成してしまえば、哲学者達はもう何もする事がなくなるだろう。
それとも、その「世界の終わり」について果てしなく解釈しはじめるか? あいつらは? …ったく、あいつらはいっつも解釈ばかりしてやがる。
俺は夕日の当たる六畳の部屋に寝転がっていた。それが現代ーー今だった。
俺は思うのだ。仮に世界が終わる日が来れば、みんな喜ぶだろう、と。ただ今はそれを終わらせる存在がいないだけだ。それに俺達はある理由で、終わる事は良くないと思わさせられている。催眠術みたいなものだ。生まれながらそいつにかかっている俺達。
俺は冷蔵庫に行き、ビールを取った。無論、安い発泡酒だ。そういえばある友人は俺が発泡酒を飲んでいるのを知って、随分と馬鹿にしてきた。俺は「へえ、君は随分いいものを飲んでいるだな」と皮肉を言ったら、そいつは「もちろん」と言った。俺の皮肉には気が付かなかったらしい。
どんぐりの背比べ。ゴキブリが髭の長さを競ってどうなる。それが俺達だ。リッターあたりどれぐらい走るかに人生の全てを掛けている連中。もちろん、そうした連中が俺達の「進歩」を支えてきた。ありがとう、現代人。おかげで俺は安い発泡酒でも、随分な旨味を味わう事ができる。ビール会社に乾杯。俺は…俺のやり方で死ねるだろう。
夕日は…わずかに空に見えただけで、すぐ消え去った。建物の谷間に沈んでいった。
クズばかり住んでいる街。どいつもこいつも腐りきっている。それぞれに自分の事ばかり考えているが、他人を説教する時は公共の名を、正義の名を持ち出す。優しき人は臆病な人。強い人は臆病な人。何に怯えているのか。死ぬ事。死ぬ事を肯定する? そんな事は人間にはできない。動物本能を越えた人間理性だって!? …馬鹿な、そんな高尚な事は寝言でやってくれ。俺は嫌だ。
俺は空にたなびく雲を眺めていた。小学生の頃を思い出した。
あの頃…全てがあった。よくある想い出話だけどな。近くに小さな公園があって、そこで毎日、プラスチックのバットとボールで野球をしたよ。何人か…五人かそこらでやった。あの公園…あの公園こそは俺達の宇宙だった。俺達は自分達の全現実をあの場所に負っていたのだ。あそこが全てだった。懐かしき…今もプラスチックのバットを振る「俺」が見える。ああ、みんなどこへ行った…
全ては夢のようだ。何もかも消えてしまった。
美少女の女の子がいて、可愛かったが、腕毛の濃い子だったから、その事をよくからかわれていた。俺はその子と両思いになったが、まわりが囃し立てるので、互いに恥ずかしくなって遠ざけあった。
あの子の腕毛も今では綺麗に処理され、剃られているに違いない。跡形もないだろう。
ところが俺の尻には昔ながらの蒙古斑がまだ残っていて、野人のようだ。だからこうして消えた夕日を肴にして発泡酒を飲む。俺は現代の野蛮人、出遅れた非人間ーー黄土色の粘液を吐き出す化け物なのだ。
こんな風に俺自身を語るのは恥ずかしいとは俺もよく知っている。馬鹿が何を言うかも知っている。
こんな事を言っている奴がいたな…「痛いおっさんがブコウスキー読んでいるともっと痛いおっさんになる」 確かにそうかもな。だがブコウスキーはお前らの為に書いたわけでもない。自分の為に書いたわけでもなかろうさ。そのへんが伝わればな。
人は伝わった部分でしか反応できない。それで鈍い連中は永遠に宇宙のーー世界の浅瀬に留まる。深い場所まで入ってきたまえ。そうすれば色々なものが見えるだろう。ニュートンがあれだけの発見をしたのは信仰を持っていたからだ、と言えば君にはその理由がわかるまい。俺は…君が嫌いだ。
世界が透明に消えていく夕日、俺は発泡酒を開けて、新たな世界の誕生を祝った。世界は今生まれた。世界は夜になったのだ。無数の星が煌めき、それは人間にはわからない輝きを秘め、互いに様々な通信をしていたのだがそれは俺達にはさっぱりわからなかった。ところでどっかの馬鹿共はでかい望遠鏡を宇宙にまわして何かがわかったとかなんとか言っていたが、そいつらはただ自分のつかまえたものを誤読しただけだ。真実は多分、詩人だけが知っている。そして詩人は何も知らない。だから結局は何もわからないのだ。
俺は…発泡酒が切れて、近くのコンビニに買いに行く事にした。ドアを開ける。ガチャリ。コンビニまで二十分かかる。その道程で俺は、新たな違う宇宙を見つけるかもしれない。俺が歩き出したのはそれを期待しての事だったんだろう。多分。
さて…俺が君に話す事はもうない。ないよ。




