表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第9章
99/169

1572年美濃方面

1572年。

どうも東美濃と飛騨の様子がおかしい。


この地域は、織田勢と武田勢の一種の緩衝地帯の運命を担ってきた。

挿絵(By みてみん)

遠山七頭と呼ばれる一族が東美濃を支配していた。


1555年武田軍は東美濃に進出し、居城の岩村城を取り囲み、遠山景前は降伏した。

1555年以降は武田に主従する事になる。

しかし織田氏や斎藤氏との連携も見られた。


1557年景前が死去。後継者争いの内紛が起き、武田氏が仲介に入った。


景前の嫡子景任が幼かった為、武田氏が後ろ盾となって、当主の座についた。

つまりは武田氏の支配する傀儡(かいらい)である。

それを快く思わない者もいた。


1557年美濃で斎藤道三が斎藤義龍に打ち取られ、第2代当主となった。

1557年義龍が明智城(岐阜)を攻め落とした時に、勝手に味方する者もいた。


この時、明智一族のなかに、明智光秀という者がいた。


一時的であれ、斎藤家に与する者が、遠山氏のなかにいたのである。


また織田氏とは、織田信定の娘を(めと)って、縁戚関係を築いた。

武田氏には人質を出し、織田氏とは政略結婚し、斎藤氏の戦には味方する。


複数の勢力に囲まれた領土を維持するには、両属関係を築くしか方法がなかった。

 こうして遠山氏は各勢力の「地政学的緩衝地帯」という特異な運命を担ったのだった。


この遠山一族に遠山直廉という武将がいた。

遠山景前の子だった彼もまた、両属状態に翻弄された1人である。


ある時は桶狭間の戦いに参加し、信長の味方となった。

ある時は武田軍の先鋒となって、武田に加勢した。


こんな彼に二重スパイの素質を見出したのだろうか?

信長は妹を、直廉の正室として、政略結婚に出した(年代不詳)。


1565年信長は遠山直廉の一人娘を養女にする。

これは信長にとって姪にあたる。


 その養女(龍勝院)を、諏訪勝頼(武田勝頼)の妻として婚儀を薦め、武田氏に輿入れした。

まさにアクロバット的構想である。


こうして甲尾同盟が突如として成立した。

この時、勝頼は20歳、龍勝院は15歳であった。


戦国時代の婚姻関係はただの諜略のひとつに過ぎない。

嫁や養子は人質であり、使い捨てのコマなのだった。


こうした丁々発止の綱渡り外交はいつか破局を招く。


遠山直廉が1572年6月に戦傷死、遠山景任が1572年9月に病死してしまったのだ。

 遠山氏は織田&武田に仕える両属状態で、遠山景任は一族の柱石として親武田派であった。


親武田派は統率を失い、親織田派が台頭してきた。

ここに両属の均衡は崩れた。


 この機をチャンスに、信長は岩村城を陥落させ、遠山一族を支配下に置いてしまった。

挿絵(By みてみん)

 ここに両属状態で、なおかつ武田よりだった均衡は崩れ、遠山一族は織田側に傾いた。


1572年武田晴信は、西上作戦途上で、この東美濃陥落の報を知った。


だが、ここで西上作戦を辞める訳にはいかない。そこで一計を案じた。

西上作戦で、晴信が遠江を席巻し浜松に出れば、家康は信長に援軍を頼む。


信長は手一杯の状態だから、東美濃の駐留軍を割いて、浜松に援軍を出す。

そうすれば、東美濃の岩村城は手薄になり、奪還は容易になるだろう。


信長は西上作戦を妨げようとして、逆にワナにはまったのだった。


晴信は、信濃衆の秋村虎繁の軍を信濃に待機させていた。

 手薄になった瞬間に岩村城を奪還し、中山道ルートで尾張に肉薄する両面作戦である。


1572年11月、織田軍が西上作戦対応のため岩村城を去り、手薄になった。

もう頼れる織田軍はいない。岩村城を守るは、親織田派の遠山一族のみである。


秋村虎繁の軍は信濃の伊那を出発し、岩村城に襲い掛かった。

岩村城はよく守ったが、11月14日に開城している。


 しかし岩村城より三河寄りの、明智城の城主遠山景行は、なおも親織田派であった。

 岩村城の孤立化を図ろうと、信濃ルート、遠江ルートの街道を封鎖し、岩村城下の上村に迫った。


 怒った信濃衆の秋村虎繁は、押し寄せる先陣:串原親春を打取り、第2陣:平井光行と第3陣:飯狭間信次を撃破。

本陣の遠山景行をも乱戦の末に打ち取った(上村合戦)。


しかしながら、この上村合戦により、思わぬ戦力と時間の消耗を強いられた虎繁。

親織田派の遠山一族の油断ならない動きに、機先を制されてしまった。


 信濃衆の秋村虎繁は、親武田派をまとめ上げ、怒涛の如く、尾張になだれ込む筈だった。

だが遠山一族は分裂、秋村虎繁は監視のために足止めを食らっている。


 西上作戦に同期して、信長を背後から襲い、戦力を二分する作戦は崩れてしまった。


粛々と西上を続ける晴信軍。

その前には野田城がある。

次回は1573年野田城攻略です。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ