1572年青崩峠多薬室砲001
青崩峠北斜面は急峻なのり面で知られている。
そこに武田陸軍の秘密兵器が建造されていた。
勝頼が言った巨大秘匿兵器が横たわっていた。
武田ムカデ砲。
射程88km、口径150mm、砲口初速1600m/sの超長距離射撃砲(Super Gun)である。
90kgの砲弾を高度40kmの成層圏に撃ち上げる事が出来た。
砲弾は空気抵抗が無い真空宇宙を滑空する事になる。
そのために射程が驚異的に伸び、最大射程は120kmに達した。
砲身長は100mもあった。
その側面に薬室が多数並び、その外観から「ムカデ砲」とあだ名された。
この薬室が砲弾が通り過ぎる度に次々点火され、驚異的な砲口初速を得るのだ。
だが高速で射出される砲弾により、砲身内が削られるために砲身腔内直径が大きくなった。
一発打つたびに砲身腔内径に合わせた砲弾が用意されたのである。
また砲身が自重でたわむのを防ぐため、山ののり面に沿った形で固定されていた。
このように運用面に問題があった「武田ムカデ砲」であったが、そも威力と脅威は抜群であった。
三方ヶ原の戦いで敗退した家康は浜松城に逃げ帰り、空城の計をもって武田軍を謀ろうとした。
そこで武田軍は「旗振り通信(はたふりつうしん)」によって、すぐさま青崩峠のムカデ砲に射撃を命じた。
旗振り通信とは、丸太や石で作った旗振り場の上で旗の振りで情報を伝達するシステムである。
夜間はたいまつによる火振りで通信が行われた。
熟練した者が通信を行った場合、通信速度は1振り1分として旗振り場間の距離が3里(12km)とすれば、その通信速度は720km/hであった。
なお視認には望遠鏡を用いた。
「装填!」
武田ムカデ砲の尾栓が開く。
垂直鎖栓式閉鎖機の重い鎖栓がスルッと動く。
装填士が慣れた手付きで、砲弾を押し込み、炸薬を装填する。
「終了」
装填が終了し手に持った緑の旗を上げた。
「発射!」
赤い旗を旗差しにさす。
炸薬に引火、発射!
ムカデ砲の側面炸薬器に次々と引火して砲弾を加速する。
バシュンッ、バシュンッ、バシュンッ、バシュンッ。
バシュンッ、バシュンッ、バシュンッ、バシュンッ。
ズガアアーンッ。
凄まじい砲煙と炎と共に砲弾は成層圏を突破。
真空の宇宙空間を慣性でばく進する。
そして再び大気圏に突入して地上に落下するのである。
ヒューンンンッ。
ズガアァーンッ。
バラバラバラッ。
浜松城籠城中の家康は度肝を抜かれた。
「な、なんだっ、何事だ!」
家康は作戦会議中であったが、それどころではなくなった。
「武田軍の大筒による攻撃と思われます!」
物見の報告もはっきりしない。
「思われますとは何だ!はっきり申せ!」
「発射地点不明。青崩峠の彼方よりの閃光を確認」
家康の目が大きく見開かれた。
「バカなっ、6里(72km)の彼方から」
ヒューンンンッ。
ズガアァーンッ。
バラバラバラッ。
射撃は10発が発射されたが、着弾点はバラバラだった。
もともと面制圧戦法に向いた兵器であり、精密射撃を目的とした兵器ではない。
ヒューンッという風切り音と共に、宇宙からの大気圏再突入の影響で、真っ赤になった砲弾が空から降ってくるのだ。
しかも三方ヶ原の敗走は夕刻で雪が降っていたという。
雪雲を掻き分けて暗がりに、灼熱に焼けた砲弾が降ってくる様は、常人の思考の外であった。
百姓兵A「もうだめだあ~っ」
百姓兵B「しぬぞ、しんでしまうぞ!」
百姓兵C「あひょほほほうっ!」
百姓兵たちはもともと村の石高によって徴収された雑兵だった。
主君に誓った忠誠心があるわけではない。
駆り出されてきた農民だった。
我先に後門から逃げ出す雑兵たち。
なぜか搦手は、武田軍が誰もいなかった。
そしてボーッと崩れた浜松城天守を天守曲輪から見上げる家康の姿。
「終わった……」
へなへなと腰砕けになる家康は武田軍に生け捕りとなった。
こうして家康は降参して武田に下った。
ここは武田軍移動司令部。
晴信「家康は自刃であろうな」
浅信「ちょっと待ちなさい」
晴信「なんだよ、馴れ馴れしいな、弟よ」
浅信「これから西上するにあたっての三河は補給路になるのですよ」
「生かして懐柔するのです」
「家康の眼を見て分かりました。彼は優柔不断で懐柔出来ますよ」
晴信「浅信、お前には何か超常な部分がある。特に人を見る目についてはだ」
「家康の処分についてはお前に任せるよ」
浅信の瞳は妖しく光った(眼底部反射)。
こうして武田領三河の統制官となった家康。
統制官の服装は黒メガネにピッチリとした黒色と銀色の制服だった。
この黒メガネには特殊な偏光作用があるのかもしれなかった。
三河にはすぐれた甲斐信濃の製品や技術がどっと流れ込んできた。
西上作戦のための武田軍の軍事物資の山である。
戦略物資の戦闘糧食たる缶詰の山、抗生物質はドラム缶詰めで送られてきた。
缶詰の山には桃のシロップ漬けがあった。
これの横流し品が子供たちに大人気だった。
そして究極はフリーズドライになった汁物だった。
お湯をかけて戻すとちゃんとした汁物に戻るのだった。
また驚異的なのは医療技術だった。
切られても刺されても(創傷というらしい)縫い合わせて治してしまう。
血管も筋肉も神経も繋ぎ合わせている(マイクロサージャリーというらしい)。
時間さえ間に合えば、ちぎれた手足も繋がってしまう(デグロービング損傷)。
しかも苦痛を消す麻酔なるものまであった(キシロカイン塩による局所麻酔)。
家康は思った。
「もし俺が勝っていれば、この世界には会えなかった」
三河の民は思った。
「もうこの暮らしから離れたくない!」
こうして彼らはすっかり恭順したのだった。
なお戦国時代においては占領軍の乱妨取りは暗黙の了解だったが武田軍ではなかったのである。
充実した戦闘糧食、優れた医療、先端最新兵器……。
取るのではなく与えるのだ。
武田の兵が街を通ると子供たちがついて回った。
兵たちはお菓子(干しバナナ)を子供たちにばらまいた。
「Por favor, me de uma banana!」
子供達も意味も分からず叫んで、兵士たちの気を引こうと必死だった。
どこかの国の終戦下の光景を見るようだった(400年後?)。
次回は1572年年美濃方面です。




