1571年比叡山焼き討ち
1571年9月10日。
「比叡山を焼き討ちする」と信長。
「去る者は追わず。残存兵力のみこれを殲滅する」
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「のう、光秀殿」と佐久間信盛。
「どうなされた、信盛殿」と明智光秀。
「殿の為され様はいかがしたものかのう」
先程の軍議で武井夕庵とともに佐久間信盛は信長の比叡山焼討ちを諌めたのだ。
光秀はくるりと向き直り、信盛に対峙した。
「中国の兵法書六韜(りくとう)にある」
「愚か者は歓待し、有能なら追い返せ」
「ここでは逃げ出す輩は命が惜しい破戒僧だから将来的に敵にならない」
「命を懸けて本尊を守る殉教者こそ将来何度でも立ちはだかる仇敵だ」。
「そういう意味で「最後まで抵抗する者は老若男女問わず皆殺しにせよ」という意味だ」
もちろん、これはウソだ、だが佐久間信盛は引っ掛かってしまった。
「なるほど、さすが光秀殿」信盛は納得して去っていった。
彼には別の任務があるのだ。
しかし光秀は立ち尽くしていた。
「比叡山焼き討ちは、いくらなんでもやりすぎだ」
「わしもそうおもう」
「!」
廊下の片隅に影のように立つその姿。
そこにはいつのまにか木下秀吉がいた。
まったく油断もスキもない。
「あれからな、わしも殿に呼び出されてな」
「信長「猿、お前も叡山に行って僧侶どもを説き伏せてまいれ」」
「「信長はやるといったらやる、考え直せ」とな」
光秀は瞬時に理解した。
(わしが交渉している間に木下殿がさらに裏で交渉(脅迫)する)
(交渉(懐柔と脅迫)、そしてその結果が現実味を帯びてくる)
(思い直す僧侶も出るかもしれない)
だがそうはならなかったのだ。
いろいろ経緯の行き違いもあっただろう。
政治的駆け引きの限界であったかもしれない。
だが全ては水泡に帰した。
比叡山焼討ちは9月11日と決まった。
この事態を奇妙寺情報部も瞬時に察知した。
尾張の城下熱田には素っ破(スパイ)の連絡所が何か所かあった。
その一つ近江屋という商い所には敵味方の素っ破が出入りしている。
信長配下の素っ破が9月11日昼に漏らした情報である。
「そういえば今晩が比叡山焼討ちの日でござるなぁ」
ガタッ。
武田軍の素っ破はあわてて席を立った。
その後姿を見送る信長の素っ破。
「フッ」
「間に合う訳なかろうに」
今は昼間、焼き討ちは6時間後だ。
だが奇妙寺の能力は当時の常識を振り切っていた。
直ちに腕木通信で情報がリレーされ、甲斐のつつじヶ崎館に着信したのは8分後である。
晴信は延暦寺の正覚院豪盛、満盛院亮信、曼殊院門跡覚恕の3人の救出を最優先した。
緊急も緊急、非常事態である。
秘匿兵器「航空機」を実験段階で使わざるを得ない。
燃料は20分しかもたない試作品だ。
燃料輸送機を随行させ、複数の中継地で、飛び石で給油しながら飛行する事にした。
9月11日夕方、航空機は白馬北白八方の飛行場を離陸、比叡山までは2時間弱である。
飛行士は眼下の景色を眺めたが真っ暗であった。
甲斐国の国境に近づくにつれ、灯りがなくなっていく。
戦国時代の日本なので、国境を出ると、灯りがまったくない。
「寂しいもんだな……」
飛行士は独り言ちた。
数回の飛び石離着陸と給油の後で比叡山が見えてきた。
山麓に無数のかがり火が見える。織田軍だ。
奇声を上げているのがゴウゴウッという音として聞こえてくる。
今にも比叡山に攻め上ろうという勢いだ。
延暦寺沿道に航空機隊は次々と着陸した。
奇妙寺僧形「急いで下さい!もうすぐ織田軍の総攻撃が」
延暦寺僧侶「はえっ、あ、空からヒトが……」
奇妙寺僧形「ですから空からも見えました、織田の軍勢が無数に」
延暦寺僧侶「ほへええっ、天狗じゃあっ、天狗の仕業じゃあっ」
奇妙寺僧形は諦めた。
無理やり乗客を機内に押し込めた。
「天台座主のこの儂を何と心得……」
正覚院豪盛ら数名をすぐに乗せ、飛行機はすぐ離陸した。
飛行機1機につき、乗客1名しか乗せられない。
エンジンがまだ非力なのだ。
周囲は闇夜、エンジン音は信長軍の鬨の声にかき消された。
まだバランスが微妙でフラフラ飛んでる。
何か荷物室で暴れているからバランスが狂う。
「ほええ~、ほぅえええっ」
何か貨物室で絶叫が聞こえるが爆音で意味不明だ。
2時間後。
白馬北白八方の飛行場に到着。
正覚院豪盛らは青い顔で甲斐信濃の地に降り立った。
「二、二度と乗らぬ」
これが史上最初の航空機乗客の感想だった。
9月11日夜、比叡山は信長の総攻撃を受けて壊滅した。
建物は焼き尽くされ、4000~5000人の老若男女が殺されたとある(言継卿記)。
ここで秀吉は逃げ惑う人々に何もしなかった。
逆に光秀はことごとくなで斬りにした。
信長に逆らった秀吉、厳命に従った光秀。
信長は逆らった秀吉を処罰しなかった。
詳細は不明である。
奇妙寺情報部も詳細には接する事が出来なかった。
後日の発掘調査でも、燃え尽きた灰が土中に層になっているわけでもない。
数千人分の骨が出土したわけでもなかった。
真偽の程は明らかではないが、比叡山が壊滅したのは確かである。
晴信は救出した高僧の比叡山延暦寺の再建の懇願を思いとどまらせた。
信長勢力圏のまっただ中にそのような勢力を置けば、再び悲劇が襲うだろう。
信長の勢力図は刻一刻とその力を蓄えつつある。
もはや黙殺も静観も出来ない状態だ。
西上作戦を決行する時がついにやって来たのだ。
次回は1572年西上作戦です。