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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第9章
94/169

1571年レパントの海戦

ここはレパントから900km離れたオスマン帝国領アランヤの造船(テルサネ)所。

奇妙寺の技術支援の元、崖内に巨大ブンカーが建設されている。

ブンカー内では、同時に5隻の船が建造可能であった。


その造船所の崖の上には城塞がある。

城郭の一角の事務所には2人の男がいた。


窓からは地中海のさわやかな風が入ってくる。

豪奢な刺繍のトルコカーテンが風に揺れていた。


初代海軍司令官アリ・パシャは、奇妙寺情報部僧形と密談していた。


パシャ「ドン・フアン・デ・アウストリア」

「彼がカトリック教国連合艦隊の司令官となったか……」


僧形「左様」


貴族の私生児は聖職に就くのが運命だった当世。

だが彼は軍人としての道を選んだ屈強の貴人だった。


パシャ「やっかいなヤツが神聖同盟軍総司令官になったものよ」

ドン・フアンはフェリペ二世の庶弟(異母弟)だったのだ。


地中海の覇権を掛けた史上最大の海戦がレパントで始まろうとしていた。


海運国でなかったオスマン帝国には海軍の伝統がなかった。

その為、属国|(アレキサンドリア、チュニス、アルジェ)がその任を担った。


だがそれは、海賊らの寄せ集め、無法者の集まりである。


そこでキーミョウデールはオスマン地中海艦隊の建造に全力を尽くした。

搭載兵器は75mm速射砲、射撃管制装置、15m測距儀。


そして秘匿兵器の「魚雷」である。

圧縮空気でピストンエンジンを動かすものだ。


スクリューが1つだと魚雷が回転してしまうので二重反転スクリューとした。

エンジンは斜坂クランク機構(スワッシュプレート機構)だ。

ピストンの往復運動は直接、出力軸の回転運動になる。

挿絵(By みてみん)


舵を有線で誘導する誘導魚雷も開発された。

無線誘導はまだ想像の産物でしかなかった。


魚雷発射装置は船舶積載式のものだ。

船の甲板から発射するタイプである。


旋回式魚雷発射装置であり、装填数は4発だ。

これを機帆船の甲板に2基設置した。


単発式魚雷発射装置は各舷4基づつ設置した。

こちらは固定式発射管で船の向きに従う。


合計12発の魚雷発射装置を持つ駆逐艦となった。


魚雷艇も開発された。

小型艇に固定式魚雷発射装置を2基搭載したものだ。


装備は整いつつあったが、鍛錬がまだだ。

練度が上がって、習熟するまで訓練訓練だ。


魚雷戦の訓練が始まった。


魚雷は1.5トンもあるバケモノである。

人力では到底持ち上がらない。


機械式装填装置、発射装置の操作手順の習熟する必要がある。

また狙いを付ける際の各諸元の入力も迅速でなければならない。


相手の艦の速度、舵の切り方のクセ、相対距離、魚雷速度……。

訓練が繰り返され、そらんじて出来るまで繰り返された。


船舶教習所で船舶の運動についての教習も始まった。

機帆船の挙動はスクリューを使う為、帆船やガレー船のようにはいかない。


帆もオールもない船の挙動に、最初は戸惑ったが、じき慣れてきた。

海軍がなかった為に変なクセがないし、上達も早い。


旗信号の読みも、照灯信号の読みも精度が上がってきた。

文字旗による艦隊運動は、この時代の必須事項である。


こうして半年が過ぎた。


1571年10月。

ついに新生オスマン帝国海軍が誕生した。

----------------------------------------------------------

魚雷艇50艘、駆逐艦(装甲艦)100隻、戦列艦50隻 輸送艦50隻。

兵員2万5000名。魚雷1400発。


75mm速射砲200門、旧式火砲4000門。

----------------------------------------------------------


対するカトリック教国連合艦隊のスペックは以下の通り。

----------------------------------------------------------

戦列艦200隻、ガレオン船30隻、ガレアス10隻、輸送艦65隻。

兵員2万5000名。魚雷0。


75mm速射砲200門、旧式火砲16000門。

----------------------------------------------------------


どちらも全て機帆船であり、大型艦は2軸のスクリューを有している。

ただし、キーミョウデールの2軸推進スクリューにはPBCFの技術が使われている。

<PBCF:プロペラトルクの減少効果のあるプロペラトルク効率改善装置>

挿絵(By みてみん)

敵ガレオン船は船体形状の古い呼称であり、櫂で漕ぐわけではない。

オスマン帝国側の装甲艦と装備はほぼおなじである。


敵戦列艦は片舷40門、両舷80門の旧式火砲を有している。

その数は約4倍であり、接近戦では不利だ。


まず敵戦列艦をなんとかしないと勝ち目はない。


敵連合艦隊司令官はドン・フアン・デ・アウストリア。

彼は、スペイン国王フェリペ2世の異母弟である。


味方艦隊司令官はアリ・パシャ。本名はミュエッツィンサード。

パシャは将軍の意味で、アリ・パシャはアリ将軍となる。


場所はギリシャのレパント(ナフパクトス)湾だ。

彼我双方とも横に大きく広がった陣形で対峙した。


オスマン帝国はこの海を知り尽くしていた。

浅瀬の位置、海流の強さ、岩礁の場所etc。


季節は10月。

冬季、湾の外の外海は大荒れの時期である。


11月になれば冬季の大荒れの時期になり、海戦どころではない。

この10月が今季最後の海戦のチャンスであった。


戦闘開始!


まず10kmに相互の距離が詰まった時、味方駆逐艦魚雷攻撃が始まった。

シュルンッ、ドボーン!シュルンッ、ドボーン!


敵連合軍「敵は小型の推進爆弾と思われる武器を投下しています!」


ドン・ファン「驚かんぞ、奴らがマラッカで使った手だ」


敵連合軍「全艦、奇数号減速!偶数号加速せよ」

全ての敵艦が命令一下、減速と増速で密集戦列からばらけ始めた。


これで横方向に魚雷を回避しようというのである。

敵連合軍「各艦、魚雷航跡を目視にて回避せよ!」


シュルシュルシュルシュルッ!

間一髪の所で魚雷を避ける。


ドッカアア~ンッ!

ズガガ~ンッ!


避けきれない数隻に魚雷が炸裂し、轟沈した。


オスマン帝国司令官アリ・パシャは15m測距儀でこの様子を見ていた。

「やはり、避けられてしまったか・・・・・・」


1511年マラッカ戦では一方的に舵を狙われてやられ役だった西欧。

1571年レパント戦では、充分に回避策を練ってきたようだ。


帝国軍「第二波用意」

「魚雷艇前へ!」


最前線に味方魚雷艇がやってきた。

これは装填数4発を打ち尽くしたら、ただの浮舟である。


だが最高速度44ノットのバケモノだ。

50艇が一斉にダッシュした。


敵連合軍「敵は(くだん)の推進爆弾を搭載した高速艇を発進させました」


ドン・ファン「マラッカでは手こずった高速艇にも準備万端よ」


敵連合軍「攪乱用爆雷投下せよ!」


小型艇は波高の高い荒波に弱い。

攪乱用爆雷は人工的に爆発で津波を作り出す。

なお、大型艦には影響がない炸薬量である。


シュッポーンッ、シュッポーンッ。

へたれな発射音とともに攪乱用爆雷が発射される。


ボシュッ、ボシュッ。

大きく海面が膨れ上がり、波頭が砕け散る。


ザッバアア~ン、ザッバアア~ン!

人工津波だ。


「うわああ~っ」

木の葉のように揺れ、振り回される味方魚雷艇。


ガッキッ。

発射しようとした魚雷が発射管にこじってしまった。


ドッカアア~ンッ!

ズガガ~ンッ!


自爆である。

湾内の戦闘ゆえの人工波頭であった。

外海では、波が散ってしまい、こうはいかない。


「味方魚雷艇を撤退させろ……」

アリ・パシャは苦虫を噛みつぶしたような表情だ。


マラッカ王国攻防戦では圧勝だったキーミョウデールの技術力。

60年後、その優位もとうとう追いつかれてしまった。


こうなればアレしかない。


「司令、アレを使いましょう」

トルコ人の軍事顧問僧形が具申した。


アレとは有線誘導魚雷のことだった。


アリ・パシャは即決した。

「有線誘導魚雷、装填せよ!」


有線誘導魚雷は4000mのワイヤを通じて、魚雷の舵を操作するリモート魚雷だ。

4000mでワイヤーが切れて、普通の魚雷として命中する。

発射距離は近いほど、命中率は高くなる。


一方、レパント海戦の戦況はもはや乱戦だった。


オスマン帝国の75mm速射砲が火を噴く。

負けじと敵連合軍側も75mm速射砲で応戦する。


オスマン帝国側が連合軍側の艦を浅瀬に追い込もうとする。

そうはさせじと敵連合軍側も必死の操船である。


オスマン帝国側が接近すれば、連合軍側の戦列艦の旧式火砲が火を噴く。

 もともと近距離で出来るだけ敵艦に砲弾をたたき込む戦法にのみ特化されたものだ。


浅瀬へ追い込もうと近づけば木っ端微塵にされる運命である。

ここで、またオスマン帝国側は誘導魚雷を発射した。


すぐ敵連合軍側も反応した。

「全艦、回避行動!」


「魚雷の航跡を目視で回避すればどうとい……」

アレ?

「敵魚雷が回避した味方艦を追尾してきます!」

「バカな!誘導だと?バカな!」


ドッカアア~ンッ!

ズガガ~ンッ!


雷跡がハッキリしている分、恐怖は倍増した。


潜水艦か?

船乗り達は色めき立った

謎の潜水艦艦隊の噂は全西欧に響き渡っていた。


だがそれはキーミョウデールの欺瞞作戦であった。

次々と新兵器を繰り出してくる謎の集団。

それならば潜水する艦を繰り出してくるかも!


そんなものは存在しないのだ。


冷静に考えれば、浅い湾内で潜水艦行動がとれる筈がない。

だが人々の恐れと想像力が、勝手に恐怖の潜水艦艦隊を作り出していた。


有線誘導装置を持った誘導魚雷は未知の海の怪物であった。

有線誘導を知らない西欧連合軍は、未知の潜水艦艦隊の仕業と決めつけていた。


白い航跡をあげて迫ってくる「生きた爆弾」であった。

避けても避けても追いついてきた。


双方共にすでに全艦、機帆船であった。

スペイン軍+法王軍+ヴェネチア軍は、二軸あるスクリューを全開にして逃げた。


「バウスラスター全開!」

敵連合艦隊側秘匿技術「舷側推進」を全開にして、軍船は急回頭した。


全速急回頭に敵船がギシギシと音を上げてたわんだ。

だが、魚雷は変更した進路に向かって追いついてきた。


ドッカアア~ンッ!ドッカアア~ンッ!

破片が飛び散り、敵船の土手っ腹に空いた穴からゴウゴウと海水が流れ込む。


だが木造船であるために、水船となっても沈没は免れていた。


乗員はすでに阿鼻叫喚の(ちまた)である。

もう砲撃どころでは無かった。


敵連合軍「うわああ~っ、死ぬぅ、死んでしまう!」

「神様、仏様、キーミョウデール様!」


「こらっ!誰に向かって祈っとるんじゃ」

「誰でもいい!助けて」


もうメチャクチャである。

70隻の敵軍船が行動不能となった。


全滅とは全体の3割(戦闘担当の6割)が喪失することだ。

敵連合軍は全滅状態となった。


戦闘は終了した。

オスマン帝国側の勝利だ。


地中海の覇権は覆らなかった。


 敵連合艦隊司令官ドン・フアン・デ・アウストリアは泣きながらスペインへ逃げ帰った。

ヴェネツィア共和国は沈黙し、のちに講和の道を探り始める。

法王軍及び国土なき国家「聖ヨハネ騎士団」は求心力を失い、沈黙した。

だがここで敵連合軍が1つだけ得たものがあった。

キーミョウデールの秘匿兵器「魚雷」の不発弾である。


1発だけ不発魚雷が、敵戦列艦の舷側の木板にめり込んで、止まっていた。

直ちにスペイン科学アカデミーが総力を上げて分析にかかった。


この圧搾空気を使った、いわゆる「冷走魚雷」はすぐ複製が作られるだろう。

 二重反転スクリューも、ギアボックスを開けてしまえば、なーんだ簡単じゃん、である。


しかしキーミョウデールには熱走魚雷(内燃機関)がある。

酸素や電気式も完成していた。


だが、使わない。


使わなかったのは「不発弾による技術漏洩の可能性」のせいである。

あえて草創期の方式を使ったのはこういう事態に備えての事だった。


西欧は魚雷を量産するかもしれない。

しかしそれは、もはや時代遅れなのだ。

近世の大国、フランス。

地中海にマルセイユなどの貿易都市がありながら、国としては沈黙している。


騎士団などの私的参加はあったが、国家規模の参戦は見送っていた。

そのフランスが、今回の海戦に乗ってこなかったのには、ワケ有りだからだった。


 実は、フランスはスペインを仇敵視し、敵愾心からオスマン帝国と同盟を結んでいた。

フランス王シャルル9世「ふっふっふっざまあみやがれの如し」


フランス王シャルル9世は、そしらぬ顔で、和平の仲介役を買って出た。

もちろんこれは欺瞞である。


条件はオスマン帝国に大幅に有利だった。


こうして、地中海はオスマン帝国の支配する内海となったのである。

地中海沿岸の全ての港に停泊する船舶は地中海の通行料(通商料)を支払うのだ。


ヴェネツィアは向こう3年間30万ドゥカート(日本円で180億円)を支払う。

そのかわり全オスマン帝国領域内での完全な経済活動の自由を認める。


いわゆる「年貢金」である。


3年180億円は実は莫大な金額ではなかった。

年間60億円以上、稼げばいいのである。


年貢金を支払い、ヴェネツィアはアジア貿易に乗り出した。

その道筋は全てキーミョウデール支配下である。


 キーミョウデールにマラッカのアジア貿易を押さえられている、という現状がある。

南アフリカ経由のアラビア海はインド・キーミョウデール艦隊が遊弋(ゆうよく)している。


 アジア貿易はインドのゴア-アラビアのアデン-エジプトのアレクサンドリア経由に成らざるを得ない。

これらすべてがオスマン-キーミョウデールの支配下にあった。


この経由地を自由に貿易出来る西欧唯一の国!

ヴェネツィアの実力は地中海では凄まじいものになった。


莫大な利益がヴェネツィアになだれ込んできた。

これに納得がいかないのがスペインであった。


 敵愾心が昂じて、単独講和を勝手に締結したヴェネツィアの船を攻撃、撃沈、皆殺しにし始めた。

いわゆる逆ギレというヤツである。


小競り合いは常にあった。

だがこれ以降、地中海は顧みられなくなった。


今や交易の舞台は大西洋へと移りつつあったのだ。


キーミョウデールの支配の及ばない南アメリカ西岸、アフリカ大陸である。

遅ればせながら、商業革命のあけぼのが、西欧に訪れようとしていた。


だが、なぜ?


現在、インカ帝国領土内にポトシ銀山はある。

この銀がスペイン経由で西欧に流れ込めば、銀の流通価格の下落は決定的だ。


銀の流入が起これば、多量の銀を溜め込んでいた王族貴族の没落もまた決定的だ。

1570年当時、この銀の流出がないので、価格革命は起こらない。


価格革命が起こらないので、西欧は封建社会のままだった筈だ。

では何が、西欧の封建社会を揺り動かそうとしているのか?


それは、スペイン領グアテマラにある「マラカイボ海底油田」の発見だった。

ここは1000万年前の「古代アマゾン川」の河口湖である。


キーミョウデールでない者が沿岸の油膜を発見し、掘削して確認した。

この沿岸で石油が見つかり、海底にも油田が期待された。


 石炭化学はすでに西欧でも、乾留によって化学成分を分離する方法が見つかっている。

石炭の乾留によるコークスの製造過程で出る石炭ガスはガス灯の灯りである。


西欧ではガス灯が実用化され、暮らしを明るく照らしていた。

スペインはレコンキスタが終わり、統一国家となっていたのも大きい。

<レコンキスタ:国土回復運動>


普及の速度は戦国渦中の日本の比ではなかった。


石油化学はすでに蒸留施設があり、化学成分の分離に成功している。

 この蒸留施設は単離施設であり、煮沸によって得られるガスで化学成分を分離する。


ナフサ、ガソリン、灯油、軽油と蒸留分離していく。

最後に残るのがアスファルトだ。

挿絵(By みてみん)


蒸留塔はまだ発明されていない。


温度管理による蒸留分離だけでは厳密には分離出来ていない。

だが、燃料として使う分には特に問題ない。


西欧は石油精製における水素の接触改質の知識にはまだ到達していなかった。

溶剤抽出によるBTX分離の分野ではまだ奇妙寺が有利である。


高分子化学分野では奇妙寺にアドバンテージがある。


西欧では、石油の蒸留により、燃料としての石油文化が始まろうとしていた。

日本に遅れる事70年、軽油による焼玉エンジンが産声を上げようとしていたのだ。


これはウラを言えば自力開発では無かった。

奇妙寺の開発技術は同盟国に機密事項として渡されている。


発明品をライセンス生産するためだ。

同盟国の国産技術をアップさせるためでもあった。

修理を自国でやれる能力をつける必要もあった。


そこに敵の産業スパイの付け入る隙が生じた。

修理や廃棄は、多くの無名の業者の手を経て行われる。


スクラップにしないで横流しで儲けようとする業者もいるのだ。

こういうルートから敵も数年で発明品を中古で手に入れていた。


70年は長い。

追い付かれない為には次の発明が必要だった。


やがてそれは、ディーゼルエンジンの曙へとつながる。

ディーゼル機関は圧縮着火機関である。


圧気発火器の起源は紀元前500年ごろのマダガスカル島に遡る。

この器械が東南アジアに現れたのにはワケがある。


古代の海上貿易ネットは、遙かに広大だったのだ。


マダガスカル島はアフリカにある。

貿易の歴史はアフリカのラプタ(現タンザニアのタンガ)まで記述がある。

古代ギリシャのペリプラスだ。


ペリプラスは英Periplus(海案内記)の事で航海日誌に準ずる。

ギリシャから遙々アフリカのラプタまで貿易ルートが存在した。


ラプタからマダガスカルまでのルートはこの古代ギリシャ商人の記述にない。

だが貿易が無くても、商いのルートはあったと思われる。


アフリカより、アラビア海・ベンガル湾・アンダマン海、マラッカ。

この海域を繋ぐ一大海上貿易ネットワークだ。


圧気発火器はマダガスカルから西へジャワ、スマトラ、ボルネオ、フィリピンと伝播したのだ。


この伝播とは別に、奇妙寺の僧形は気体圧縮と膨張のメカニズムに気付いていた。

空気をうんと圧縮したらどうなる?うんと膨張したらどうなる?


圧縮すれば高温となり、膨張させれば低温となった。

これは1430-1470年熱交換器の章ではクーラーの発明となった。


ここで魯道夫(るどうふ)という僧形が気付いた。

燃料を圧縮空気に噴射すれば引火するのでは?


ガソリンより沸点範囲が高い軽油が燃料に選ばれた。

こうして圧縮着火機関が誕生した。


魯道夫(るどうふ)は圧縮比を上げれば着火しやすい事にも気付いていた。

このような早期着火は完全燃焼に至らない事が多かった。


燃料が燃え切らないうちに燃焼が終わってしまうからだ。

まんべんなく燃えて、燃え尽きるのが理想だった。

適正圧力比は14であった。


拡散燃焼の特徴から、いくらでも燃焼室を大きく出来た。

大型ほど慣性の関係から低速運動となり、船舶のエンジンに適していた。


ディーゼルエンジンはその構造から航空機エンジンに向いていない。


航空用エンジンにはガソリンエンジンと電気の点火プラグの発明が不可欠である。

だが電気が無ければ、点火プラグにはたどり着けない。


陸上海上では、西欧と奇妙寺の技術は拮抗しようとしていた。

だが、空を支配するものが戦場では支配者である。


それははたしてどっちなのであろうか?

次回は1571年比叡山焼き討ちです。

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― 新着の感想 ―
[気になる点] ディーゼルエンジンの発想は東南アジアの圧気発火器なので、西欧はそれに気付けるんでしょうか? この時点で奇妙寺は圧気発火器に触れてるでしょうから可能でしょうけど。
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