1560年田楽桶狭間
「勝った!戦に勝ったぞ!さあ乱妨取りだ!」
1560年。田楽桶狭間。
「ヒャッハーッ」
狂ったように今川の雑兵達は近くの村落に雪崩れ込んだ。
食料として米を調達する。馬の飼料を調達する。
人やモノには手出しはしない。表向きはそうだった。
「おおーっイイモン隠してんじゃねーか、貰っとくぜぇ」
「かわいいネーチャンはいねがーっ」
実際は根こそぎ奪い尽くす略奪である。これを「乱妨取り」と呼称した。
敵領土の田畑は、敵国の貴重な資源であった為に、これも踏みにじった。
刈田と稲薙だ。
苅田は実った米を総て刈り取る事。
稲薙は苗を薙ぎ倒し、収穫出来なくする事だ。
収穫出来なければ困窮し、飢饉になって国力が疲弊する。
さらに家屋に火を放って、住人を奴隷として生け捕りにする。
もはや飢餓に飢える国民さえもいなくなる究極の焦土作戦だった。
直前の戦いに勝ち、桶狭間に着いた今川軍は、まさにこの乱妨取りの真っ最中だった。
そこへ信長軍が怒涛のように襲い掛かったのだ。
折からの豪雨と(石氷を投げ打つような)雹混じりの悪天候。
しかも大きく迂回して、敵の後ろに回り込んだ不意を突いた奇襲だった。
気が緩んでいたし、まさか奇襲があるとは思わなかったろう。
最初は奪い合いに加担した仲間同士が取り乱し、刃傷沙汰が始まったと考えた。
豪雨で真っ白になった視界は敵味方の区別も付かなかった。
「叛乱だ」「陣地内での刃傷沙汰は許さんぞ」
「野武士だ」「野武士が武器を略奪する気だ」
「戦勝の祝酒が」「酒に酔った百姓兵の争乱では?」
今川軍は混乱の極みだった。何かがおかしい。何かが違う。
しかし今川義元は腐っても鯛、海道一の弓取りであった。
「ほら貝を鳴らせ!全軍戦闘配置!」
ブウォウォ~ッ、ブウォ。ブウォウォ~ッ、ブウォ。
「ゼングン、セントウハイチ」「ジンケイ・コウヤク」
ただちに乱妨は収まった。雑兵たちもやむなく配置に駆け戻った。
今川軍25000人が戦闘配置に付いた。
衝軛の陣形である。
本陣を中にして槍隊と雑兵が二列縦隊をさらに二段に組む。
桶狭間の地形では消耗戦となるが、本陣へ近づくには時間が掛かる。
親衛隊300人は槍と弓と銃で防備を固めた。豪雨でも銃は使える。
いかに十重二十重の陣形とはいえ、集中豪雨と雹、とうとう雷まで鳴り出した。
しかも25000人が陣形を乱妨取りから組み直すのは、割と時間が掛かる。
敵味方が入り乱れての乱戦となり、なかなか陣形が整わなかった。
防備の隙を付いてとうとう陣形を突破するものが現れ、それを追い払うために親衛隊は算を乱し始めた。
「陣形を保て!」義元が絶叫する。
「服部小平太!一番槍!」
ドスッ。
「くぎゅうっ」
どう近づいたものか突然義元の大腿部に槍が突き立った。
廻りは大混乱である。瞬間の空隙であった。
今、義元の廻りには誰もいなかった。
「誰か、誰かおらぬのかあ!」義元が絶叫する。
「毛利新助!首級を貰い受ける!」
ドスッ。
「くぎゅうっ」
槍が深々と脇腹に刺さった。
(信じられん……、わしはここで)
(死……)
(……)
(…)
()
・
・
・
「待たんかーい!」
ここで側近達が異変に気付き、駆け戻ってきた!
「チッ」
毛利新助は毒づいて逃げ出した。首は繋がったままだ。よかった。
「お屋形さま!傷は浅いですぞ!お気を確かに!」
意識がない。容体は重篤だ。
今川の典医が押っ取り刀で駆けつけた。
大腿四頭筋創傷、多発外傷、外傷性横隔膜損傷。
1430-1440年の奇妙寺の解剖図は100年以上経った1560年、全国に知れ渡っていた。
創傷はわかった、だがどうやって手術するのだ。
すぐに手術しなければならない。
今、ここでだ。
幸い武田軍の医師の一人が従軍していた。
黑色杰克と呼ばれるこの僧形は天才外科医である。
「手術代は1000両(1億3000万円)だ」と杰克。
「ええい!いくらでも出す!」と側近。
天幕が展開された。
簡易手術室である。
空気ボンベが持ち込まれる。
室内を陽圧にして、室内に貯留する空気を、外に排出する。
雑菌対策だ。
術野が清潔なら他はどうでもいい。
ぺたぺたとヨードチンキを塗る。
汁が背中側に回るのを丁寧に拭く。
聞くと化学熱傷を避けるためだという。
点滴が用意された。
抗生物質だ。
これで抗生物質の体内濃度を調節する。
濃度は術中が最大である。
あっという間に切開し、開創器をかける。
腹腔内に出血の貯留を認める。
腸管虚血,腸管損傷を認めず。
横隔膜損傷を認めず。
鎧と肥満のおかげで槍が深く入らなかったのが幸いした。
回腸腸間膜に損傷あり。
回結腸動静脈に自然止血状態の損傷を認める。
創傷を見つけ、血管を縫合した。
腹部の腹膜は動脈の迷路だ。経験と知識が絶対に必要である。
血性排液の胸腔ドレーンを出してオペは終了した。
大腿四頭筋創傷は左大腿部刺創である。
左浅大腿動脈の拍動を中枢側で触知、末端(左足背動脈+後脛骨動脈)側で触知せず。
ただちに皮膚切開して皮下組織の血腫を剥離。
浅大腿動脈は血栓のため、出血せず。
創傷側からゾンデを挿入し、穿通性損傷を確認。
<浅大腿動脈を貫通している>
浅大腿動脈の損傷部断端から血栓除去用カテーテルを挿入。
血栓を摘除して動脈の端々吻合して手術を終えた
「術後経過は動静脈瘻に注意するように」
「手術代は1000両(1億3000万円)だ」と杰克。
目の前に1000両分の金がドサッと置かれた。
上洛の際の様々な用途の軍資金だった。
「もう必要ないからな……」と側近。
今川の典医はただあっけに取られていた。
「こ、こんな手技が…理屈は分かる。だがどうやって?」
「これが奇妙寺160年の知識の蓄積と発展の結果なのか!」
この後、今川軍は粛々と撤退した。
その頃、いきり立つ信長を秀吉が必死に抑えていた。
信長「まだチャンスはある!義元の首が!」
秀吉「勝負は時の運!敵は陣形を衝軛に変えました!もう奇襲は成りませんぞ!」
信長「ぐぬぬ……」
織田軍も攻撃を諦め、やはり撤退した。
「どいた、どいたぁ!」
人工呼吸器に繋がれた今川義元は救急輿に乗せられて撤退した。
田楽狭間は傾斜地だ、救急輿しか入れない。
ピーポーピーポーッ。
ウーサイレンを小姓が鳴らしながら走っていく。
今川の典医はただただ茫然自失であった。
「こ…こんな事が、術後管理まで。しかも戦場で!」
弟子の典医見習いが恐る恐る言った。
「呼吸は胸腔内を陰圧にする事によって気管から空気を吸気するもの」
「この機械は加圧によって吸気を起こすので、人体には負担なのでは?」
典医はうなずいた。
「うむ」
「だが呼吸は人体に不可欠なもの」
「この負担は許容しなければならないな」
その後、快癒した義元は上洛することはなかった。
平和で穏やかな治世であったと後世は伝えている。
あえて言おう。
今川義元死んでない。
次回は1563年馬糞汁です。




