1554年猿之介(木下藤吉郎)
「ここにオレの居場所はねえっ」
猿之介(木下藤吉郎)は夜空を見上げた。
彼の身分は、駿河の国今川義元の家来飯尾氏の家来松下加兵衛の家来であった。
今川家からみれば陪々臣(家来の家来の家来)である。
駿河は甲斐と結託して一大産業流通帝国を築こうとしていた。
マラッカから南米から、輸入品が清水港に続々と陸揚げされている。
猿之介も一旗揚げようと、尾張国から遠江国に出てきた。
しかし港湾労働者や警備員の仕事はあっても、それより上の職業には付けない。
奇妙寺が職業に試験を設けていて、口八丁手八丁の昇進を禁止していたのだ。
僧形にもなろうとしたが、年齢制限があって不可能だった。
奇妙寺僧形になるには17歳の猿之介は大人過ぎた。
そこで駿河の中心部を離れ、引馬城支城の頭陀寺城に家来として仕えた。
しかしながら、今度は流れ者の彼が昇進する道が無かった。
こうして再び流浪の民となった猿之介。
彼は諸国の実情を見て歩いた。
今川氏、武田氏、北条氏では、すでに下克上は終わろうとしていた。
定まった地位で、定まった暮らしを豊かに享受する。
そういった安定した場所に、破天荒な猿之介の居場所はない。
彼は尾張国の清洲城下の自由市場にやって来た。
職業は針売りである。
信長は甲斐国と駿河国に学んでいた。
楽市楽座は今川義元が既に奇妙寺の援助で行っていた。
それを信長も真似たのだった。
そして地政学的位置の優位から、尾張国の自由市場は大変な賑わいとなっていた。
そこに通りすがりの信長が現れた。
だが今の猿之介は信長に会い、口八丁手八丁で口説くチャンスは無い。
彼は信長を見送った。
これは!という人物に声を掛けたり、とんちを問うしたりしている。
どうやら、身分を問わず、人材を求めているのは本当のようだ。
人材を募集している事が分かれば良いのである。
それより猿之介は、城下の織田家家臣で小者頭の一宮を訪ねるのだ。
幼なじみの一宮は、偶然織田家に仕える身となっていた。
戦国時代の身分の一番下は小者である。
小者・小者組頭・小者頭・足軽……と続く。
実家に帰った時、猿之介は、大政所(豊臣秀吉の母)からその情報を聞いていた。
竹馬の友・一宮が織田家の小者頭になっているというのだ。
一宮「おお、日吉丸(猿之介の幼名)ではないか、久しゅうのおっ」
猿之介「もう何年もあっとらんが変わらんのう。一宮」
「ところで一宮、ものは相談じゃが」
一宮「わかっとる、出仕のことじゃろう?」
猿之介「わかるか」
一宮「信長の殿様が人材を求めておるのは誰でも知っとる」
「気に入れば即召し抱えるが、不快な輩は切り捨てるらしい」
この前もお調子者が1人……」
そう言うと一宮は手で斬首の仕草をした。
「それに今や、お城は群雄割拠の小者でいっぱいだ」
「ありつけるとしたら……」
「……側室の生駒の方の屋敷の小者に空きがあるぞ」
猿之介はニヤリとした。
一宮「なんだ、何か方策でもあるのか」
猿之介は奇妙寺で試用期間として1ヶ月バイトをしていた事があった。
末端の奇妙寺ではあったが、その技術は驚くべきものだ。
それを使う日がついに巡ってきた!
猿之介は織田信長側室、生駒の方の屋敷に出仕する小者として召し抱えられる事となった。
いわゆる雑用係である。
ある寒い日の事、側室に会いに来た信長は、冷たい廊下を歩いて足が冷え切っていたのだった。
そこの縁側の草履を履いたところ、温かかったので、大声で問うた。
「今日の草履係は誰か!」
そこへ影のように現れた猿之介。
逆光で顔は見えない。
信長「草履が暖かい」
「なぜなにどうしてか、克明に申せ」
猿之介「鉄の酸化作用の熱で御座います」
「鉄粉と酸素が反応して還元作用を起こす際に熱が生じます」
「酸化第二鉄になる際の発熱による温熱効果です」
信長は黙って聞いている。
これは珍しい事なのだ。
猿之介「鉄粉、鹿沼土、食塩を用意し、すりこぎで鹿沼土を細かく潰します」
「それに鉄粉を混ぜ、最後に食塩を小匙1杯入れて完成です」
「鹿沼土は酸素を貯留、食塩は酸化促進の為の触媒でして反応には関与しませんです」
信長は草履を見た。
薄い袋のようなモノが草履にひっつけてある。
オオオナモミの実(ひっつき虫)を使って上手く付けてある。
なるほど。
信長「貴様、奇妙寺の者だな」
猿之介「あ、いえ、なろうとしたのですが」
信長「試験に落ちたか、年齢制限か」
「奇妙寺のガイドラインは厳しいからな」
信長は大声で呼ばわった「たれかある!」
別の小者が影のように現れた。
信長「浅野又右衛門の足軽組に欠員があったな?」
小者「はっ、まだ補充のめどが立っておりませぬ」
信長「この者を足軽として組み入れよ」
小者「はっ」
信長の瞬断即決を猿之介は初めて見た。
<気に入れられれば良いが、気に入られなければ……>
当時の風習として織田家では欠員した足軽の名を世襲する習わしがあった。
欠員していた足軽の名は「藤吉郎」。
ここに猿之介は藤吉郎となったのだ。
浅野又右衛門の姪(養女)の名はねね。
前田利家の媒酌で秀吉と婚する事になるのだ。
この秀吉が最大の敵、信長と共に武田軍の前に立ち塞がるのである。
次回は「1557年瓶尻の戦い」です。
長野業正登場!