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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第8章
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1553年上杉謙信

武田水軍第三艦隊が岩殿山沿岸に投錨す。

上杉謙信は1530年生まれ、幼名を虎千代といった。


1530年当時、越後は下克上の真っ只中であった。

 1536年兄・晴景が家督を継ぎ、虎千代は林泉寺にある奇妙寺越後支部で教育を受ける。

特に立体模型に興味を持った。

 1542年兄・晴景に越後をまとめる才能は無く、父・為景が病没後、守護・上杉定実が復権。

守護派が国政を牛耳ようとしていた。

1543年虎千代(14)は元服して長尾景虎を名乗り、兄の命を受けて制圧に向う。

1544年兄・晴景を侮って越後の豪族が謀反を起こした。

 15歳の景虎を”若輩”と軽んじた近辺の豪族たちは、栃尾城で返り討ちにあい壊滅する。


1545年守護・上杉の老臣、黒田忠秀が謀反。

兄の景康らを殺害、黒滝城に立て籠った。

景虎は黒滝城を攻撃し、黒田忠秀を降伏させた。

1546年再度黒田忠秀が謀反。

二度は許さず、黒田家を滅ぼした。

 此の頃から景虎を擁立し兄・晴景に退陣を迫る動きが活発になり、兄弟仲は険悪になった。

 1548年景虎(19)は晴景派・景虎派の対立の末に、上杉定実の調停の形で守護代となる。


1550年上杉定実が病没。景虎は越後国主となる。

 1551年今度は身内の長尾政景が謀反。これを鎮圧。身内で姉の夫だった為に助命し臣下に加えた。

これにより景虎は22歳で越後統一が成る。


若い景虎は悩んだ。

裏切り・謀反・反逆。

息付く暇もない

反目する豪族ならまだしも、一族が(よりによって姉の夫まで)襲い掛かってくる。

この世は地獄、地獄なのだ。


頭がおかしくなりそうだった。

発狂してもおかしくない。


ある時、景虎は急に頭がスッキリした。

彼は毘沙門天の化身と化したのだ。


彼はそう感じたが、そうではなかった。


1550年武田晴信より書簡を受け取る。


「不毛な争い事を収めてお互いの国内の富国強兵に努めようではないか」

「その為に越後と信濃を結ぶ通商ルート「有尾-大川-富倉-長沢・隧道(ずいどう)」を作りたい」

「冬の豪雪の時期でもお互いの行き来は絶えないようにしたい」


文面からは義の心意気が伝わってくる。

勿論この隧道を作れば敵軍の侵入を許し、軍事行動の優位を許してしまう。


だがそれは相手も同じ弱点を晒すことになる。

会合を持とう、と書簡にはあった。


1週間後だ。


懐を開けて腹を割って話そうというのだ。

身内も信じられない越後の治世からは考えられない良案であった。


さらに文面は続く。

 「来年に北条氏が関東官領・上杉憲政を襲撃する。まずは常陸国(茨城県)の佐竹義昭を頼って逃亡するだろう」

「だが素気無く断られる」

「条件は上杉の名と関東官領の位だ」

「次に君の所に来るだろう、だが断ればいい」

「受ければ北条氏康と敵対関係になる。これ以上敵を増やすな」


「甲斐南信を治めた後、武田軍は北信征伐を敢行する」

「小笠原長時と村上義清である」

「もし両名が越後に逃げ込んだら追い返してほしい」

「自国人の不始末はこちらで断じたい」

なるほどもっともな話である。理由はともあれ他人事だ。


今の越後は爆弾だ。


現在、上田長尾家と古志長尾家は敵対状態だ。

一見平穏を装っているが、その恨みは根深い。

確かに他家の抗争や騒動に首を突っ込んでいる場合ではない。

景虎は決断した。


1552年、景虎を頼ってきた関東管領・上杉憲政を追い返している。

「義によって助けたいが、北条氏康と敵対関係となるに割く国力が無い」


こんな事があっていいのだろうか?

上杉憲政は仰天した。


牽制と調略は戦国の常。

越後の豹変ぶりに憲政は狼狽えたがどうしようもない。


憲政はその後しばらく新発田の溝口氏の元で匿われていたと思われる。

その後、御館の乱(1579)で北条氏康の七男で養子の景虎に味方し戦死。


同年、武田晴信の北信征伐の際に頼ってきた小笠原長時を追い返している。

「義によって助けたいが他国に干渉している余裕が無い」


こんな事があっていいのだろうか?

小笠原長時は仰天した。


今までの越後守護代と戦略と策謀が違っていた。

我らが滅びれば、防波堤の役目がいなくなる。

武田と直接対決する事になるのだぞ!


怨嗟の声を残し、長時は落ち延びていった。

長時は越後の会津・蘆名氏を頼り、その後病死している。


1553年、村上義清が同じように追い返されている。

「義によって助けたいが他国に干渉している余裕が無い」

会津・蘆名氏や常陸国の佐竹氏の元に匿われていたが、その後病死している。


1553年、春日山城で会見は持たれた。

1550年に1週間後の会合の筈がもう3年が経過していた。


 春日山城は越後(現在の新潟県上越市)の海岸線から1kmの場所であり、信濃からは死地であった。

誰もがそう思い、晴信暗殺部隊が密かに編成された。


晴信死すべし!

だが当日は違った。


駿河から遠征した武田水軍第三艦隊が岩殿山沿岸に投錨していたのだ。


主砲は信濃型75mm速射砲。発射速度50発/分、最大射程18kmだ

岩殿山沿岸から春日山城は1.8km先である。必中必殺の距離だった。

晴信は試射をしてみせた。場所は春日山城本丸横の原生林である。


艦の発射管制室の上の10m光学式測距儀が照準を合わせた。

距離15000mだと誤差200mに収まった。

「うちーかたはじめー!」


ズバンッ、ガランガラ~ンッ、ズバンッ、ガランガラ~ンッ。

ちょっと間の抜けた連射音と薬莢が転がる音が響いた。


ヒューウゥゥーンッ、ズガァァーン!ズガァァーン!ズガァァーン!

着弾地点は地獄だった。


樹木は飛び散る、岩石は火花を上げて砕け散る。

試射が終わると原生林は無くなって、さら地になっていた。


「キャーァハハハハ!」

突沸した笑いが上がった。


景虎だった。


「こりゃあ凄い!素晴らしい!」

景虎は笑った。


大笑いした。

笑いが止まらない。


急に頭がスッキリしたのではない。

毘沙門天の化身になったのでもない。


晴信は直感した。

景虎は狂っていた。


家臣は気づいていないのか?


景虎の家臣達は戦々恐々である。

目の前の圧倒的破壊力に茫然自失であった。


晴信死すべし!じゃなくて自分達死すべし!に構図が変わってしまったのだ。

家臣が目配せして、部下に暗殺団解散を指示した。


「喜んで頂けて恐縮です」と晴信。

「いやあ痛快です!凄いものですなあ、そのう……」と景虎。


「75mm速射砲です」

「そうそれ!愉快愉快っ」


その後の会合はすらすらと話が進んだ。

越後は甲斐信濃と不可侵条約を締結した。

その代わり上野国への侵入はその限りではない。


北条との緩衝地帯としての上野国という事か。


晴信は考えた。

上野国の上杉憲政をなんとかしないといかんな。

一方、越後-信濃間流通の件。


隧道の調査はすぐできる。

地上の露頭の調査である。


そのあとは超音波探査機による深深度調査とボーリングだ。

そして試掘坑を掘って本坑を掘り始める。


ここでTBM(トンネル・ボーリング・マシン)の投入である。

有尾-大川-富倉-長沢隧道をぶち抜いて街道を繋げるのだった。


越後の面々は鳩首を並べた格好である。

ポッポー、ポッポー。


素っ頓狂、茫然自失、唖然愕然と様々である。

こんな事が!


ちょっと前まで槍だ鉄砲だと騒いでいた……。

そりゃあ、お家騒動に必死で、外交は疎かだっただろう。


だが越後も信濃も北条も似たようなもんじゃないか……。

そう思っていたし感じていた。


冗談じゃない!

百年は遅れてるぞ!


甲斐国は未来に生きているのだろうか?


だいたい越後は海に接していながら海軍がないじゃないか?

越後の臣下達は急にお互いの顔をまじまじと見始めた。


意見が通らないから戦争!

見下されて我慢ならんから謀反!

俺達は子供の集まりか?

駄々っ子のケンカか?

老臣にもなって一体何をやっているのだ……。


目が覚めた!団結だ!


それを見ながら晴信は考えていた。


今回は極秘で浅信を連れてきていた。

別室に控えていた浅信。


晴信は浅信に問うた。

「景虎は狂っている」


浅信には分かっていた。

彼には正気がまだ残っている。


それが意識の底深く沈み、狂気の奔流から身を守っている。

浸食が進んでいるがまだ大丈夫だ。


家臣団の狂気をデフラグすれば、狂気は去るだろう。

これが浅信のマインドトリックである。


人の心を変える事は出来ない。

だがハンドルを少し回して、向きを変える事は出来る。


人間は心に激情が沸き上がっては沈静化している。

それをちょっとだけ前に押してやるのだ。

背中を押す感じである。


臣下達の心に沸き上がったごく小さな動きをマインドトリックは捕らえた。

革新への芽生え。

これを増幅し湧き立たせただけだ。


こうして越後は正しい向きに偏向させられたのだった。

急にお家騒動は鎮静化の方向に向かった。


彼らは自分で、革新を熱望し決断した、と思っている。

奇妙寺はここでは口出ししなかった。


越後はまだ早熟で不安定な治世である。

浅信の作った均衡は苟且(かりそめ)の虚構だ。


本当に締め固まるには、まだまだ時間が必要だった。


だが取りあえずは、会見は成功、不干渉の条約は成ったのだ。


浅信は言った「この会談は成功しますよ」

そしてその通りになったのだ。

次回は砥石崩れです。

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