1400-1440年甲斐国守護不在
今回はお約束のグルメ回です
1417年、甲斐国の守護代であった武田家は、天目山で自害し滅亡した。
甲斐国は無政府状態となり、ここに100年にも及ぶ戦国時代が始まる。
有力国人たる逸見氏、穴山氏、跡部氏らが守護代を巡って、国内は争乱状態となった。
僧形は、誰にでも会う事が出来た。僧形は基本的に治外法権である。
無念無想、虚心坦懐、明鏡止水。
血と欲にまみれた戦国時代に、ヒトは僅かでも心の静けさを、社寺に求めたのだ。
まあ、社寺といえども戦国時代の狂乱からは逃れ得なかったが……。
奇妙寺は、その争乱の中で独自の体系を作り上げようとしていた。
戦国の世で好き勝手やっていけるのも、この治外法権のおかげである。
4000人の僧形が、独自の活動や謎の研究をしても咎められる事はなかった。
それが国人の実益に無関係ならば、彼らはどうでもいいのである。
松戸彩円はそれを抜け目なく利用していた。
彩円は庵にレストランの意味の漢字「餐館」を掲げた。
巨大で奇妙な設備は、酪農と蒸留と発酵の為と見せかけた。
実際、それらから加工品を得ていた。
だが、それは全く別の目的のための設備であった。
それらは農民の目に留まり、村長、代官と伝えられ、領主の耳に届いた。
信長(27)はそんな奇妙寺にひょっこりやって来た。
僧形たちは慌ただしく控え、松戸彩円自ら出迎えた。
「これはお館様、ご機嫌麗しゅう御座います」と彩円。
「で、あるか」と信長。
「今日は奇妙寺で奇天烈なものを食していると聞いて来た」
「出してもらおうか」
「は」と彩円。
早速、用意していた食前酒と前菜を準備に掛かった。
食前酒のワイン。ブドウを発酵させた蒸留酒だ。
チーズとサラミをクラッカーに乗せたお通し(オードブル)。
謎肉(極秘)を卵、小麦粉、パン粉でまぶして油で揚げたトンカツ。
ご飯を蒸すのではなく炊き、謎出し汁(極秘)で炒めたチャーハン。
デザートに牛乳寒天とみかんを混ぜたゼリー寄せ(ハチミツ添え)。
砂糖は輸入品で入手出来なかったので、ハチミツで代用した。
洋食は堺港にある南蛮館の料理長の直伝である。
ぶどうは甲州ぶどう(1186年発祥説による)を用いている。
パンは甘酒の酵母菌をタネに試行錯誤の結果、制作された。
牛乳は牛を寺の敷地内で乳牛として飼い、酪農から得ている。
戦国時代は牛より馬に戦馬としての価値が見出されており、牛の酪農はお咎めなしであった。
豚やニワトリはさらにお咎めなしである。
これらの畜獣の飼育は、流行性感冒を誘因する原因ともなる。
「1460-1470ワクチン」の項で対処する。
「ふうっ、食った食った」と信長。
「恐悦至極で御座いまする」と彩円。
信長は豪気である。部下にも同じものを振舞った。
侍従たちは目を白黒させながら、がっついている、おそらく生まれて初めて食う味なのだろう。
「こういうものが当たり前に食える時代が来ると思うか、彩円?」
「戦乱の時代では無理で御座いましょう」
「俺が変える、世の中を変える、天下布武で終わらせる」
「なぜ俺が部下に同じものを振舞ったと思う?」
部下たちは鳥頭を並べてギョッとして、こちらを見ている。
「俺の時代が来れば、いつでもこういうメニューにありつけると、実際に示したいからだ」
「来るぞ、俺の時代!いざ者どもよ、帰城じゃ!」
信長は立ち上がった。
信長は帰り際に「そういえば」とサラッと言った。
「小麦の粉が上手く挽けてないように感じたが……」
「ロール破砕機のロールの間を小麦が通る時、上手く挽けませぬ」と彩円。
「Aのロール100回転/分とBのロール50回転/分と異なる速度にしてみよ」と信長。
「通過する小麦粒に剪断力が掛かって粉々になるぞ」
「戦時捕虜の拷問器具に似たものを使うでのう」
彩円はギョッとした。
信長の残酷さにではない、それはこの戦国時代の宿業である。
管理されていない知識や技術の高度さに驚いたのだ。
知識や技術をまとめ上げ、記録せねばならない。
彩円は目を輝かせた。
「またのお越しをお待ちしておりまする」と彩円。
「余は満足じゃ!また来るぞいっ」と信長。
その後姿を謎の男が樹木の上から触接していた。
すぐにその有様は甲斐国の他の有力国人の知るところとなった。
逸見氏、穴山氏、跡部氏、加藤氏も続々と駆け付けて、西洋料理に舌鼓を打った。
信長ごときうつけ者に遅れをとる訳にはいかぬ!
逸見氏「うむ、美味い、しかし貴重だ」
穴山氏「葡萄酒!これはいいものだ!」
跡部氏「さすが南蛮料理は奇妙な味だ」
加藤氏「面包は朝食に取り入れたいな」
松戸彩円はこうして西洋料理で有力国人を懐柔した。
ある国人は面包が大いに気に入り、製造を認可したほどである。
小麦粉をこね、酵母で発酵させ、窯で焼く。
硬いパンは焼成時間が長く、柔らかいパンは短くする。
水分の焼減時間が長ければ、硬いパンが出来上がるからだ。
これでこの設備に不穏な疑いを抱く物はいなくなった。
彼らは自分の領土のことで頭が一杯なのだ。
貴重な素っ破をここに派遣する事ももうないだろう。
奇妙寺の酪農や南蛮料理はその一端に過ぎない。
これは化学工場になるのだ。
錬金術を超えた化学の世界である。
この信長は武田信長(1401-1477)です。
武田信元の甥にあたり、やはり波瀾万丈の人生を送ります。
享年は80歳前後と言われ、結構な長命でした。