1548年村上義清攻略
宿敵村上義清登場!
1548年、いよいよ中・北信濃の最大勢力・村上義清と対決する。
信濃大併合を急ぐ晴信はつつじヶ崎館に、奇妙寺の兵器開発研究所所長を呼び寄せた。
所長は僧形である。
「なんぞその御用でしょうかな」と僧形所長。
「これこれの兵器を用立てて欲しい」と晴信は耳打ちした。
「ほうほう」
人力で運べる秘匿兵器、山中で使え破壊力抜群、射程はいらぬ。
僧形は顔をしかめた後、思い当たったのか、にんまりと微笑みを浮かべた。
「その射程と破壊力ですと臼砲がいいでしょう」と僧形。
設計図を広げようとした僧形を晴信は止めた。
「技術的な部分は分からないからいい。用法だけ教えてくれ」
「これは失礼、では用法は……」
そう言って教えてくれたのが武田98式臼砲であった。
武田98式臼砲は変態兵器である。
一見ミサイルのように見えるがこれは羽の付いた砲身であった。
砲身に火薬と弾を込める。ここまでは普通の火器である。
この後火薬に点火する事で砲身が飛んでいき、弾頭が残る奇妙奇天烈な臼砲(差込型迫撃砲)だった。
射程は1500m。炸薬重量30kgだ。
木の台座に差して使う。
この重さであるから人力で輸送でき、山がちな信濃では最適な武器だった。
晴信は新型兵器で一挙に中・北信濃を蹂躙し、二度と謀反を企てぬよう戦力差を見せつけるつもりだった。
次の小笠原長時成敗ではさらなる新兵器を要請する。
こちらはとんでもない緒元であった。
1548年2月武田晴信は村上氏の本拠・葛尾城の背面を突こうと侵攻した。
しかし逆に義清は城を出て、佐久に侵攻し始めたのである。
このため晴信は急遽予定の進軍を変更、上田原の倉升山に陣を張った(2月1日)。
その数7000。
これに対して村上義清は岩鼻という景勝地に近い天白山に陣を構えた。
その数2000。
どちらも2m測距儀で相手の本陣を探っている。
だがどちらも偽装の本陣を仕立て、戦闘指揮所はどこだか分からない。
とうとう技術が歴史に追いつき始めた。
生半可な技術では圧倒的有利な戦闘はなかった。
2月の佐久は雪が深い。
晴信は地勢を探り、兵站を整え、万全の備えを強いた。
そして、手を拱いている間に貴重な2週間が過ぎてしまった。
その間に村上軍には加勢が集まった。
小島氏、井上氏、須田氏、島津氏、小田切氏、栗田氏、室賀氏、山田氏、斎藤氏……。
その数7000。
いつのまにか軍の勢力は拮抗していた。
戦が始まり板垣信方が先鋒として仕掛けた(2月14日)。
騎馬隊による突撃がまだ友好であった。
田んぼ、あぜ道、農道を駆け抜ける、
開けた大平原なんぞ、どこにもない。
二輪戦車がたとえあっても、脱輪してコケてしまうだけだ。
「80mです!」
突然、口取が馬を制御しながら叫んだ。
80mとは弓矢の射程の事だ。
「うむ」と信方。
その横を足軽槍隊が駆け抜ける。
今まで直進していたが、急に二手に分かれた。
足軽弓隊が一斉に矢を放った。
ざあっと矢が敵に降りかかる。
敵の足軽弓隊も一斉に矢を放った。
信方がさっきまでいた地面にも何十本もの矢が突き刺さった。
味方が騎馬を狙うように敵も騎馬を狙っていたのだ。
「今!」
信方は再び馬を駆って戦場を走り抜けた。
だが村上義清は晴信より20歳も年上だった。年季が違う。
本陣は迷彩天幕を張った雑木林の一角だ。
遠くからは絶対に見破れない。
天白山本陣で村上義清は臣下にこう下知していた。
「晴信は連戦連勝で戦いは勢いだと思っている」と義清。
「わざと負けて深追いさせろ」
「勝ったと思って油断した所を包囲して殲滅する!」
村上軍は必死に戦ったが多勢に無勢、蜘蛛の子を散らすように逃げ始めた(と見せかけた)。
勝ったと思った武田軍は散々に村上軍を追い散らし本陣に迫った。
しかしそれは長く伸びた武田軍の陣形を村上軍が包み込む形だった。
「あ」
もう遅い。
哀れ晴信、「智略で制する者、智略に溺れる」である。
村上軍は突然くるっと反転して追撃する武田軍に突っ込んできた。
敵味方入り乱れての大乱戦となった。
先鋒・板垣信方は陣形を立て直そうと必死に叫んだ。
「陣形を立てなお」
そこまで言った板垣信方の脇腹目掛けて長槍がニュッと突き出てきた!
ドズッ!
「うぐうっ」
重臣・板垣信方は敵兵の一槍に貫かれて戦死し、武田軍の先鋒はここに敗れた。
武田軍の足並みは激しく乱れ始める。
「先鋒を救え!」
ここで重臣・甘利虎泰、才間信綱が救援に向うも返り討ちに合い、相次いで戦死!
「今だチャンスだ」
村上義清は精鋭700を伴って武田本陣に突入した。
当時の戦闘は敵の首級をなるべく上げて恩賞に肖る事だった。
だが村上軍は首級には目もくれず本陣に突っ込んできた。
目が狂っていた。
「村上不死隊だ!」と晴信。
特攻兵である。
「殺す」
「必ず殺す」
必殺の決意に燃えた村上不死隊が次々に晴信に襲い掛かる。
旗本が必死で抗うが、命を捨てて掛かってくる狂気には勝てない。
前の人間が、後ろの盾となり、さらに後の盾となり折重なってくる。
人間土石流だ。
晴信は護身用ハンドガンで応戦したが、やはり限界がある。
ドズッ!
「うぐうっ」
ザスッ!
「う」
脇腹と太ももに傷を負い、膝を突く晴信。
この時武田軍武将の1人が間に合って駆けつけた。
「お館様をお守りしろ!」
初鹿野昌次だ。
必死になって敵兵と晴信の間に割って入った。
「どいたどいたっ!」
敵兵の口調は死んでいた。感情の消えた目には特攻の色があった。
こいつは死にに来たのだ。
晴信の前に立ちはだかり、八つ裂きに斬られながら昌次は思った。
「こ~ろ~す」
400人の死骸が壁のように折重なり、さらに100人が乗越えて、飛び掛かってくる!
晴信のハンドガンはとっくに弾切れだった。
ズガッ!
村上軍特攻兵は斬られて倒れた。
危機一髪、突出して引き返してきた旗本達が乱戦を切り抜けて戻って来たのだ。
「お館様をお守りしろ!」
「こ~ろ~す」
ズガッ!ズガッ!
「こ~ろ~す」
ズガッ!ズガッ!
最後の村上兵が切り倒されると晴信は本陣を移した。
直ちに奇妙寺野戦病院は晴信を担ぎ込んだ。
緊急手術である。
腹部外傷の穿通性損傷だ。
肝損傷、脾損傷、陣損傷を認めず。
腹腔内に出血とみられる液体貯留あり。
出血源は回腸腸間膜の上腸間膜静脈とみられた。
また筋肉組織及び腸膜にも損傷を認めた。
折れた槍先が刺さったまま、運び込まれたのが良かったのだ。
無理に引き抜いたり、身をよじったりしたら、他の体組織も傷つく。
<但し、毒を塗った槍はリスク承知で引き抜かねばならない>
それぞれ縫合修復を行った。
太腿の傷は外傷性大腿動脈損傷であった。
止血処理が早かったため、損傷動脈創は血栓で止血されていた。
そのために創傷部中枢側では拍動を触知したが、末端側では出来なかった。
直ちに断端部を切除して、浅大腿動脈を端々縫合し、手術を終了した。
予後は良好である。
奇妙寺の外科技術は異常値である。
晴信は重傷であったが、病床からテキパキと指示を出した。
敗戦だった。
村上軍の陣営では勝どきが上がった。
「追撃だ!」
「甲斐武田を滅ぼせ!」
村上軍はいきり立った。
だが武田軍はいくら待っても敗走もせず、陣容も畳まない。
おかしいではないか?
なぜ逃げ帰らない?
負け戦なのに?
20日の間、両軍は睨みあった。
もう一戦あるのだろうか?
勝った村上軍も疑念を抱き始めた。
窮鼠猫を噛む、という。
折角の勝ち戦に暗い影が差そうとした矢先である。
武田軍は粛々と陣を引き始めた。
晴信の計略はまんまと成功した。
直ぐに撤退すれば追撃される。
だが冷却期間をおけば、疑心暗鬼になり追撃はないのだ。
村上軍は、ぼう然と武田軍のうしろ姿を見送っていた。
しかし晴信の傷は深かった。
甲斐にある奇妙寺高度医療施設で絶対安静で2週間、養生に2週間を要した。
戦術や戦略を駆使した村上軍に翻弄された武田軍。
当時の武田軍はどちらかというと優れた武将が。家臣に揃っていた。
ために、戦場では武将の智略に臨機応変に対応させたいわば「おまかせ」戦法だった。
敗走した敵を蹂躙する、それが最強軍団の「誉れ」だったのである。
武士の「誉れ」。
村上軍のニセの敗走にまんまと引っ掛かってしまった。
そして乱戦。戦闘も乱戦となれば肉弾戦となる。
全員がハンドガンを携帯していたが、超接近戦で銃を抜く暇さえなかった。
目の前で日本刀を抜刀されて、すぐ銃をホルスターから抜き、撃鉄を引き構える。
そこを踏み込まれて、…一刀両断である。
中には銃を持ったまま手首を切り落とされる者もいた。
そして村上不死隊である。
電光石火の突入で乱戦となり、接近戦でのつばぜり合いだ。
最新兵器も役に立たない。
この敗戦では秘匿兵器の出番はなかった。
「俺は新兵器に頼り過ぎていたのかも」と晴信。
「いや、もっと強力な新兵器で圧倒的に蹂躙すべきかも」
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・
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……。
確実なのは小笠原長時謀反。
この敗戦で沈黙を貫いていた小笠原長時が動き出すだろう。
次の戦いは小笠原長時攻略だ。
その際に晴信は結論を出すつもりだった。
次回は1548年小笠原長時攻略です。