1544年プラント稼働
駿河国に銑鋼一貫製鉄所、石油精製施設、港湾施設が誕生した。
駿州往還が開通して甲斐信濃-駿河間が鉄路で繋がった。
今川武田プラントのCEO、今川義元氏のスピーチが始まった。
「今日はこの良き日に、事業開設の為に尽力して下さった方々に感謝を捧げます以下略」
すぐ乾杯の音頭をとって乾杯した。
「乾杯!」
甲斐信濃から清信、晴信、浅信が出席した。
浅信がいれば、ボディガードはいらないのだ。
清信「製鉄所がでかい、でかすぎる」
晴信「石油精製所もでかいといえばでかい」
浅信「敵の素っ破発見、偏向完了」
製鉄所の高炉にコークスと鉄鉱石が入れられ、稼働が始まった。
今までの高炉への送風は、常温圧搾空気であった。
この高炉には熱風炉が付き、蓄熱レンガを利用して、高温で熱風を作る。
2つの熱風炉を交互に稼働し、常に熱風を絶やさないようにした。
「熱風炉が2つでは不足かなあ」
「2つで充分ですよ」
「まかしてくださいよ」
熱風炉の予備施設の増設の話だった。
さらに2つの熱風炉の増設をするか否か。
これは蓄熱レンガの耐久力、交換頻度による。
熱風本管及び熱風環状管の耐久力も関わってくる。
1200℃、5気圧の熱風に耐えるために、耐熱衝撃性に優れた高アルミナれんがを隙間なく貼ってある。
2人は立ち食いうどんのコーナーで熱弁を振るっていた。
「技術者も燃えてますねえ」と晴信。
「熱血漢のいいヤツらばかりだよ」と清信。
なんか技師の間で揉めてるが、解決したようだ。
邦楽『扇の的』が始まった。
「いり~ひ~、かたむくぅ~う~~」
ペケペ~ン~。
夜半には石油精製施設も稼働し出した。
煙突から余分な石油ガスが燃焼する炎が吹き上がる。
ボッファア~ンドゴゴゴゴッ。
庶民A「煙突が燃えてる!」
庶民B「アレはフレアスタックだよ」
「重油の蒸留過程で出る余剰の石油ガスだよ」
庶民C「ガスを回収してリユースするんじゃないの?」
庶民B「燃やしたほうが安くて安全なんだよ」
庶民AC「……」
庶民AC「貴様!奇妙寺の者だな!」
庶民B「ど、どうしてそのことを」
この工場地帯の夜景が、荘厳な雰囲気を醸し出し、有名になった。
後日、ツアーが組まれて、夜間遊覧船が出されるようになった。
夜間照明に映える煙突や配管、タンク群を愛でるんだそうだ。
駿州往還は富士川沿いに作られた鉄路である。
地質は各種固結堆積物(礫岩、泥岩、粘板岩)である。
富士川は糸魚川~静岡構造線に沿って流下する河川である。
多くの断層群の影響で、富士川流域は崩れやすい環境にある。
1000年で7m動くと言われており10年で7cm動く。
これを考えれば、100年で70cm動き、トンネルなら使えなくなる。
こういった場所は避けて通る事となった。
難工事の末、どうどう開通した鉄路。
これは現代では見延線と呼ばれている。
清水港は、すでに1バースだけ南蛮船接岸設備があった。
それを拡張して10000DWx2に拡張した。
水深15m、長さ700mの港湾施設だ。
南蛮船は全長60m、排水量2300tで喫水8mを想定している。
10000DWで排水量10000tの船が積み降ろしを同時に出来る事を想定している。
つまり10000DWx2、南蛮船(2500t)ならば8隻同時積載可能という事である。
当時の南蛮船の積み降ろしは接岸せず、小舟を使ったものだった。
接岸は長年の夢が叶った格好であった。
今川義元「これで駿河国も万々歳じゃ」
武田清信「駿州往還も完成し、商業、流通の基盤も完成した」
清信「あとは諏訪、北信濃をなんとかしないとなあ……」
義元「堀越氏・井伊氏を抑え、河東もなんとかしないとなあ……」
どちらも隣国の平定、庶兄の反乱と悩みの種は尽きなかった。
素っ破の報告によると、また越後では内乱だそうだ。
弱冠15歳の若輩が反体制派の豪族を一蹴したらしい。
彼の名は虎千代(長尾景虎)。
北信濃平定の暁には、彼と対峙しなければならない。
彼が思慮深く、機知に富む武将ならば、同盟も組めるだろう。
だが、そうでない時は、全力で戦うしかない。
「不毛だ」と清信。
「一体、戦国の世はいつ終わるのか」
「それを終わらせるのは、わしらかもしれんぞ」と義元。
「え?」と清信。
今川義元が西進作戦を開始するのは、16年後の1560年。
桶狭間村・田楽狭間の戦いの年である。
義元の目にはすでに未来の構想が写っていたのかもしれない。
次回は1547年超常の弟・浅信です。