1543年大井貞隆氏攻略
長窪城の戦いです。
1542年武田晴信は諏訪(頼重)家を壊滅させた。
寅王丸が武田領諏訪の施政を握り、諏訪勝頼がサポートするのはまだ先の話だ。
諏訪頼重の領地は武田晴信のものとなった。
これにより頼重が領していた小県の長窪城は自動的に晴信のものになる筈だ。
長窪は江戸時代の中山道(奈良時代の東山道)で(長野県で)2番目に大きい宿場町、長久保の事である。
現代では長野県小県郡長和町にあたる。
ここにちょっとややこしい経緯があった。
長窪城は1540年まで大井貞隆が城主であった。
大井氏から諏訪氏が奪った戦利品なのだった。
貞隆は、頼重壊滅の報にいきり立った。
大井貞隆「今こそ長窪城奪還のとき!」
奪われ奪い返すの繰り返しが、戦国の常だった。
1542年諏訪頼重切腹。
この機に乗じて前城主・大井貞隆が長窪城を奪い返してしまった。
晴信はただちに信濃の小県郡に出撃、この事態に対処する。
すわ、電撃作戦か!
いや違った。
これまた調略開始である。
直ちに素っ破を放ち、城主、家老ら家臣の素性や為人を徹底的に調べ上げた。
その報告が直ちになされ、調書が晴信の元に届く。
「ふむふむ、小県出身の真田幸隆を呼べ」と晴信。
幸隆が呼ばれて晴信の前に座った。
「この素っ破の報告によると家臣の相木氏、芦田氏が調略出来そうだな」と晴信。
「芦田氏は主君が大井から諏訪、諏訪から大井と目まぐるしく変わっています」
「あるいは」と幸隆。
「知り合いか」
「知り合いではありませんが同郷ですので、お館様よりは知っているつもりです」
信濃の小県郡は上野国(現群馬県)が近い。
援軍として近傍の上野国主・上杉憲政に助けを求めやすい。
厄介なことだ、というかしょっちゅうやっている。
援軍が来れば、小豪族も決起し、ややこしい事に発展する。
今回は諏訪攻略のように農民を懐柔する時間も無いだろう。
「決まった!」と晴信。
5000の軍団を率いて晴信は小県に向かう。
途中の山中で夜を迎える事となった。
ここは難所で通り抜けるのにどうしても1日は掛かる。
「全軍停止せよ、今日は野宿だ」
戦国時代の山中は何も無い。
あるのは、にわか雨とヤブカぐらいだ。
とても5000人の軍団が野宿出来る場所があるわけなかった。
「こんなこともあろうかと!」
晴信は奇妙寺に相談して、奇妙天幕なるものを取り寄せていた。
晴信「全軍にテントコットを配布せよ」
テントコットとは引き込み脚付き1人用天幕の事である。
4500人の足軽と500人の奉公人+侍全員にテントコットが行き渡った。
金属脚部分が直立して、天幕の底部分が地面と接触していない。
天幕の入り口は蚊帳(木綿製)になっている。
全員に蚊取り線香が渡された。
山沿いのにわか雨も、峠の夜の冷え込みも平気である。
晴信「おやすみなさい」
足軽A「野宿は立ち寝と決まっていたが、武田軍は凄いのう」
足軽B「諏訪の者か?武田軍の兵站はもっと凄いぞ」
足軽C「武田軍に加われて果報者じゃのう」
足軽大将「はいはい、私語禁止!寝た寝た!」
足軽ABC「へ~い」
翌日の朝。
武田軍炊事部隊が圧力鍋で炊飯を始めた。
米をサッと洗って30分水につけ込む。
2分加圧、10分蒸らす、できあがり!
アツアツのご飯に缶詰のサケ缶をぶっかける。
みんな、汁までチューチュー吸い上げた。
足軽A「アツアツのごはんに味付けサケの水煮!」
足軽B「ほれほれ味噌もあるよん」
足軽C「武田の兵站の恐ろしさよ」
戦国時代は進食で糒といった兵糧だった。
自分の陣笠を逆さにして、鍋代わりにして煮炊きしたのである。
おかずは携帯したニンニク、梅干し、干し味噌、鰹節、兵糧丸だ。
だが武田軍では炊きたての朝ご飯が出るのだ。
なお、炊事の煙は石油ガスを使用するため、無煙である。
1542年9月17日、長窪城は電光石火の武田軍に包囲された。
水も漏らさぬ包囲陣である。
袋の鼠だ。
長窪城は山城である。
山城とは山の尾根(稜線)に立てられた防御専用の施設である。
日常生活をするような施設は無く、簡単な砦として食料や武具を保管する倉庫などがあった。
山麓には館があり普段はそこで生活しており、緊急の場合は山城に籠って救援が来るのを待つのが普通だ。
今回は武田の電光石火の突撃であり、大井貞隆は救援を呼ぶ暇もなかった筈だ。
しかし近傍の望月城は8km西に離れているだけだ。
城主の望月昌頼は、2m測距儀で長窪城を囲む武田軍の様子を見ていた。
「東の依田川沿いに展開している」
「西北の山道と赤頭川沿いはまだ手薄だな」
望月昌頼「出撃せよ!」
望月城は優れた馬を多数持つ事で有名だ。
山城山道には木曽馬が似合う。
怒濤の如く、望月氏は望月城を出発。
あっという間に望月一族が長窪城に入ってしまった。
援軍が来た!
長窪城主・大井貞隆を煽り、籠城を長引かせる可能性大であった。
そこで晴信は、戦力の半数を望月城攻めに派兵し、城を囲む。
こちらは真田幸隆の仲介により開城。
望月城は武田氏の配下となった。
もう煽っても、援軍は来ない。
残るは長窪城、孤立無援の籠城となった。
武田軍の総攻撃が始まった。
山城の攻略は。簡単にいうと登山そのものだ。
山城の搦め手(からめて:裏門)からも、じわじわ山道を攻め上ってくる。
大手門側には大軍がひしめいている。
全山ギュウギュウである。
武田軍の昼飯は戦場でのレーション(野戦糧食)である。
足軽A「炊き込みご飯の缶詰、うまうま」
足軽B「おおっ、お煮しめの缶詰もあるぞ」
足軽C「エネルギーバーって何だろう?」
足軽大将「満腹して出陣すれば吐く、ほどほどにな」
足軽ABC「へ~い」
戦国時代は「早飯、早尿、早走り」がならわしだった。
じりじりと山腹を山城に迫りながら飯を食う。
戦況は一進一退であった。
秘匿兵器を使うか?
いや、まず威嚇だ。
こういう時は威嚇が役に立つ。
「山城ゆえの山焼きだ」と勝手に山麓で勝どきを上げさせた。
フィリピンで使用した秘匿兵器「多連装噴進弾砲」を準備していたので山焼きは虚言ではない。
だが見た事も無い兵器の威力など長窪城の兵士が知る由も無かった。
また国内では一度も発射した事は無いので、武田軍も実は威力を知らなかった。
使えば、テルミット反応の3000度の熱で焼かれるのだから、ひとたまりも無いのだが。
夜は松明を赤々と燃やし、山頂の城からは無数の炎が夜の暗闇に揺れているように見えた。
足軽A「電球があるのに、どうして御館様は松明をお使いなさるのかのう」
足軽B「電球は灯りとして、安心や冷静さを醸し出すからな」
足軽C「恐怖を煽り、不安にさせるには、ゆらゆら揺らめく暗~い松明が効果的だ」
足軽ABC「な~るほど!」
無数の松明は、物凄い大軍が野営しているように見え、敵兵の恐怖を煽った。
これに恐れをなした貞隆の足軽たちは夜陰に紛れて、勝手に山を下りて抜け出す始末だった。
最初の夜に、足軽隊の半分が抜け出した。
翌日の夜に、さらにその半分が抜け出した。
もはや「たったこれだけか」と城主が嘆く程の少人数である。
今夜の武田軍のメニューはカレーライスだ。
インドのマンガロールからマラッカ王国経由で入ってきたインド料理である。
日本人に合うように20種類のスパイスを調合したカレー粉を作ってある。
肉は敬遠する百姓兵も多いため、ビーンズカレーである。
足軽A「じゃがいも、ニンジン、ひよこ豆、タマネギ……」
足軽B「うまいのう、うまいのう」
足軽C「武田軍は1度やるともう抜けられんぞ」
このニオイが長窪城の足軽の心を揺さぶった。
「なんかもの凄くいいニオイがする」
「なんだろう?」
籠城で空腹の上にいいニオイのダブルパンチだ。
おそらくは未知のニオイだったろう。
嫌悪感を感じた足軽もいたかもしれない。
だが、そそられるニオイだ!
ここで最後通牒が来た。
「無血開城か全滅か」と晴信の使者。
「こうなったら城を枕に」と城主・大井貞隆。
「待たれよ、使者殿。しばらくのご猶予を」と重臣・相木昌朝。
「談義して決めます故、別室にてお待ちを」と重臣・芦田信守。
使者は下がって別室で待つことになったが、答えは決まっているようなものだ。
相木昌朝、芦田信守らは、すでに武田側に寝返っており、城主を口説く任務を帯びていたのである。
城主の大井貞隆は抵抗したが、結局内応した相木昌朝、芦田信守らの手引きで無血開城した。
これでよかったのだ。
秘匿兵器「多連装噴進弾砲」の出る幕は無かった。
城主の大井貞隆は古府中に送られ、後日東光寺に幽閉、その後に切腹を申し付けられている。
相木昌朝氏は真田幸隆とともに晴信の信頼を得て、信濃先方衆に名を連ねた。
芦田信守氏も信濃先方衆として西上作戦に参陣している。
こうして晴信は北信濃と東信濃平定への拠点を得たのだった。
■相木昌朝と芦田信守らが城内にいたか、使者と共に城外から城内に説得に入ったか。
諸説あるためにここではぼかしています。
■長窪城攻めは諏訪から和田峠経由長窪城と甲斐国から海ノ口城経由長窪城のどちらか。
諸説あるためにここではぼかしています。
■ニンニクは五葷に含まれる禁葷食です。
いわゆる「なまぐさ」ですが、足軽携帯食なので当人達は気にしていません。
次回は1544年プラント稼働です。




