1541年駿河追放
信虎の駿河追放です。
晴信は父の信虎を駿河に追放した。
1541年、晴信が家督を相続。
清信(兄)、浅信(弟)は補佐役に回った。
父、信虎は、戦上手で内政不器用という、絵に描いたような戦国武将だった。
1507年14歳の時から後継者争いを勝ち抜き、国人たちを打ち負かした。
1515年今川氏の侵攻に敗北するも和睦、その後紆余曲折を経て甲斐を統一する。
1521年晴信誕生。
1526年上洛の機会があったが、これは逸している。
1533年晴信正室に上杉朝興の娘を迎えるが病没している。
1535年敵対関係にあった諏訪氏と和睦。
1536年駿河に花倉の乱起こる。信虎は今川義元を支持、勝利する。
1537年信虎の長女が今川義元に輿入れし、甲駿同盟成立。北条氏激怒。
1540年信虎の三女が諏訪頼重に嫁ぐ。
この1540年は天文の飢饉で日本全土が大規模な飢饉に陥っていた。
1541年武田+諏訪は結び、信濃の小県郡で合戦となる。
度重なる戦の軍資金供出に、飢饉に喘ぐ怨嗟の声が、晴信を動かしたのかもしれない。
信虎追放は大きな波紋を甲斐国に生んだ。
なにがしかの手段を講じるだろうと、庶民は望んでいた。
だが、追放とは……。
足軽A「父親を駿河に追放とはたまげたのう」
足軽B「施政はどうするおつもりだろうか」
足軽C「苛烈過ぎる、もっと穏やかに出来なかったろうか」
様々に噂が立っていた。
だが甲斐国を一気に変えるにはこれしかなかったのだ。
周辺諸国は一斉に緊張した。
晴信って誰だ?
どういう男なのか?
対処に戸惑うところである。
安寧を貪ってきた村上氏、諏訪氏とも油断はならない。
特に信虎の娘、禰々御料人を正室とする諏訪頼重の心境は複雑である。
頼重「婚姻関係は強固な同盟だ」
「よもや諏訪に攻め込む事はあるまい」
禰々御料人「晴信は優しい心根もあるが、直情的な一面もありまする」
「油断は禁物」
「なるほど」
一抹の不安を覚える頼重。
ここで国境の警備を増やすか……。
いや、あらぬ藪蛇をつつき出すだけだ。
「誰かある!」
「はっ」
家臣の一人がスーッと影のように現れた。
「戦馬の調教はどうなっておるか」
「オミミガクルリンが20頭、新たに調教中です」
「マルワリ種か、走り込むよう伝えい!」
「ははっ」
戦馬の支度なら、何も無くても訓練になる。
晴信は誓紙や同盟を反故にするや否や、である。
駿河への路地は甲斐国境の河内地方で閉鎖された。
信虎はもう甲斐国へは入れない。
「信虎様とお見受け致します」
今川の迎えの者が国境まで出迎えに来ていた。
粛々と駿河・今川館に向かう信虎。
そして駿河の国主、今川義元の妻(定恵院)は、武田晴信の姉ちゃんの「さくら」である。
追放ではないのだ。ぬかりはなかった。
駿河・今川館。
「ふっふふっふ、来たわね」と定恵院。
「わ、わしをどうする気じゃ」と信虎。
「あんたはねぇ、依り代になった訳。駿河の人質よねえ」
「ほっ、ほへええぇっ」
「納得がいかん、儂は甲斐国主なるぞ」
「座敷牢で何を威張っても無駄よ」と定恵院。
「落ち着いたら今後の身の振り方につて教えてあげる」
武田信虎はこうして戦国の表舞台から消えた。
武田信虎は甲斐国主から引きずり降ろされた。。
そして世は戦国時代。
若輩者の当主を侮る者もいるかもしれない。
隣国もこの機を逃すなとばかりにいきり立つだろう。
だが、今や隣国の駿河は同盟国である。共通の敵は北条だ。
甲斐国は駿河、信濃諏訪と同盟を持ち、信濃小県郡に出兵していた。
相模国とは甲斐都留郡で北条方と抗争中であった。
とりあえずは当面、今川は甲斐に侵攻する気配はなかった。
東海地方の勢力争いに手一杯な状況である。
そこで晴信は信虎時代の外交政策を大きく変更した。
信濃諏訪侵略である。
諏訪頼重の恐れていた事態が起きようとしていた。
晴信の戦略は電光石火の突撃ではない。
それもあるが、まずは調略から始まる。
敵武将を調略で味方に少しづつ引き込んでおく。
あるいは日和見に傾かせておき、中立を決め込ませ、あわよくばという立場にする。
戦って打ち破れば反逆の芽が残るが、自分から裏切れば反逆の芽は残っても育たない。
これが晴信式戦国戦法であった。
いかに相手側の周辺守護代を寝返らせ、戦う前に勝つかという事だ。
戦っている時は既に勝っているのだ。
すでに飢饉を利用して、足軽(百姓兵)の戦意は挫いてあった。
戦国時代の部隊の基本単位は備だ。
武士から農民まで身分別にランクがある。
侍には武家奉公人が付く。
若党といわれる大小を差した徒士侍がいる。
中間といわれる脇差し1つで戦う兵卒もいる。
中間-荒子-小物とランクがある。
その下が足軽(百姓兵)だ。
彼らが現代で言う歩兵に当たる。
実際に戦うのは、まず彼らなのだ。
足軽A「こないだの飢饉で救ってもらったしなあ~」
足軽B「な~んか戦いづらいんだよな~」
足軽C「飢え死にしないですんだ恩がなあ~」
足軽大将「なにをいうっ」
「御館(頼重)様は、諏訪大社の上社の大祝を務めたお方!」
「敵、晴信は同盟を反故にした裏切り者ぞ!」
足軽ABC「大将様のとこのお子様も、飢饉でじゃがいもやカボチャを食べていたッス」
足軽大将「うぐうっ!」
足軽ABC「み~んな同じ穴のムジナっす」
やる気のなさが蔓延していた。
例えば長柄組(槍隊)。
侍1人に奉公人2人が付き、足軽30人で組織される。
この30人のやる気がないのである。
領主に逆らう事は出来ぬ故に渋々戦場には参じる。
しかしどうも槍先が下がっているのだ。
次は「1542年諏訪攻略」です。




