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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第7章
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1540年天文の飢饉

飢饉です。

今度は南蛮作物があります。

 1540年、前年の大雨により飢饉が全国で発生、甲斐は稀にみる凶作であった(天文の飢饉)。

 春は長雨で気温が上がらず、肝心の梅雨は干ばつで雨が降らず、夏は酷暑で40℃近くまで気温が上がった。

その為、春に巻いた種は腐り、生き残った苗は梅雨の干ばつで枯れてしまった。


飢饉時は栄養不足や餓死者の遺骸の放置が原因で疫病が流行した。

 また野草を食べ、食中毒を起こし死ぬ者も多く、それが輪を掛けて死者数を増やした。

飢饉になると普段は口にしないような物まで食べる。


 飢えに迫られて有毒植物を採食し、食中毒や代謝異常により却って命を落とすのだ。

その為、代用食のレシピを書いた本「救荒食解説書」が数多く出回った。

 字が読めない困窮者の為の植物の絵図集で、食料に充てるべき草木を選別、図解し調理法を添えた。


これが今までの飢饉である。

だが、今回は奇妙寺の飢饉への備えは万全であった。


甲斐国では武田信虎が苦慮した結果である。


信虎「南蛮作物は飢饉に強いのだ」


清信「ジャガイモ」

晴信「トウモロコシ」

浅信「かぼちゃ」


信虎「そう、それだ」


奇妙寺では、1505-1518年の輸入物資搬入から飢饉に備えていた。

南蛮野菜の作付けである。


山がちな甲斐国の土壌は褐色森林土、黒ボク土で構成されている。

水田に向いているのは停滞水成土、低地土だ。


甲斐国では釜無川、御勅使川の流域の一部だけ。

河川氾濫により堆積した土砂が肥沃な土壌を形成している。


 治水により、河川氾濫堆積物が更新されなくなったのは、皮肉としか言い様がない。


褐色森林土、黒ボク土が向いているのは畑(普通畑、牧草地、樹園地)である。

 また水はけが良い(地下水位の停滞が望めない)ので、停滞水グライ土が出現しない。


つまり南蛮作物に向いている。


奇妙寺は村々の(おさ)と相談して大規模な南蛮作物ファームを開拓していた。

信虎も、南蛮作物を年貢で優遇し、作付けを推奨している。


1)ジャガイモは涼しく痩せた土地でも大きく育つ。

しかもビタミンCが豊富で、茹でても60%残っている。茹でてよし、揚げてよし。


2)トウモロコシは発芽気温が20度以上と寒冷地には不向きだが品種改良が促進された。

 多収、大柄、耐病性、耐倒状性、極早生と逆の晩生品種と20年に渡って改良されてきた。

 そのかいあって、甲斐では「肥料食いの唐きび」ではあるが、焼きもろこしが名物となるまでになった。


3)かぼちゃはどこにでも育った。甲州名物といわれるまでに分布し、そこら中に生えまくった。

 かぼちゃには雌花と雄花があり、花粉には寿命がある。手動受粉は朝早く6時から9時までが良いとされている。

 そこで人工授粉奉行所が設置され、花粉付けのボンボンを持った武士が走るのは、朝早くからの風物詩である。


 こうして飢饉の時も、甲斐の国民はジャガイモを揚げ、もろこし粉の饅頭を蒸し、かぼちゃの甘辛を食していた。


もぐもぐもぐもぐ。

「農民たちはまったりとしていた。


農夫「おいしいなあ」

子供「お母ちゃん、ポテチもっと!」

母親「はいはい、まだありますよ」

ホントに飢饉かと思わせる光景であった。


だが周囲の国は飢えていた。


「南蛮国の施しなど舌に合わんゲホ」

「じゃがいもが不格好で嫌いだ、和食に合わんガホ」

「武士は食わねど高楊枝ゴホ」


などと強弁を咳き込みながら吐いていた。

しかし飢饉はますますその深刻度を増していった。


栄養失調で死に、飢えで知らない草木を食べ食中毒で死ぬ。

死んだ遺骸を処理する者まで死に、遺骸は野ざらしで疫病が発生する。

衰弱した農民たちはさらに疫病で死んだ。


とうとう背に腹は変えられない。

乱坊取り(略奪)である。


富める隣国から略奪して飢えをしのぐほかなかった。

 こうして1542年、諏訪・小笠原連合軍が甲斐領土の韮崎に入り、甲斐の南蛮農作物を奪取し始めた。


 この報は素っ破(諜報員)によって、即日、甲斐のつつじヶ崎館の晴信の元にもたらされた。

早速、行軍の備の隊列が編成される。


侍、奉公人、足軽、中間(ちゅうげん)、人夫、口取などがぞろぞろ集まってきた。

1人に扶持(ぶち)玄米5合が、給料として支払われるからでもある。


すでに二酸化炭素を冷媒としたヒートポンプを奇妙寺が開発していた。

低温貯蔵施設に備蓄された年貢米は、鮮度が良く、人気がある。


乗馬、駄馬も口取に引かれて待機している。


足軽目付「皆の衆、今回は乱妨取りは御法度だ」

えー、むりー、なんだよー、という喧噪が広がる。


注意してみるとカゴを背負っている百姓もいる。

お前……、戦う気、ないだろ。


「その代わり、指示通り動いた者には扶持(ぶち)を3割加増する」

一瞬し~んとなる百姓兵たち。


「3割だああぁ~っ」

「さーんわりっ、さーんわり!」


意気揚々とはこの事だ。


「出撃せよ」晴信は下知した。


「兄上、お待ちください」


「おお、浅信」

「なんぞ超常の才に閃くものでもあったか」


「ないです」

「なんだ、ないのか」


「それより」と浅信。

「今回は飢饉による乱坊取りが主で、侵略の意図は無いと思われますが」


「わしもそう思う」と晴信。

二人はかなり長く話し合っていた。


今回の陣備(じんぞなえ)は謎の小荷駄隊を多数引き連れていた。

 つつじヶ崎館を出た騎馬隊は韮澤あたりの穴山、祖母石あたりの街道沿い(信濃往還)にて敵と対峙した。

そこに小荷駄隊が追い付いてきた。


ここで武田軍と諏訪・小笠原連合軍は激突した。

両軍入り乱れての乱戦である。

 「武田軍の小荷駄隊を狙え!」諏訪軍の組頭が足軽を左右に分けようとしたその時だった。


ドンッ!

組頭が消えた。

 正確には超長距離で12.7mm対物ライフルの狙撃を受けたのだが、敵兵は知る由も無い。


「武田軍の騎馬隊の隊列が切れた!、今こ」

ドンッ!

ドンッ!

ドンッ!


槍奉行、足軽大将といった指揮系統が消えてゆく。

もう訳が分からなかった。


後日、諏訪・小笠原連合軍の百姓兵はこう述懐している。

何をされたのかわからなかった…頭がどうにかなりそうだった…。


ゆっくりと確実に敵軍は崩れ始めた。


まず小笠原軍が浮足立った。

もともと小笠原軍は諏訪軍に援軍を頼まれただけ。

戦意は低かった。


(乱坊取り)尻馬に乗るつもりで加勢していただけだったのだ。


こうして陣容における戦闘員が逃げ散ってしまい、諏訪軍も総崩れになった。

こちらも乱坊取りで敵地から略奪するのが目的だった。

速攻作戦でさっさと引き上げる筈が、乱戦になってしまった。


逃げろや逃げろ。


敗走する諏訪・小笠原連合軍。

追いすがる武田軍。


諏訪・小笠原連合軍はやがて散り散りになってしまい、誰もいなくなった。

武田軍は小荷駄隊を引き連れ、無人の信濃往還を駆け抜ける。


長沢を経て国境を越えた。ここは既に諏訪領である。

「よし蹂躙しろ!」と晴信。


小荷駄隊が荷を解くとそれは見た事も無い機械であった。

放置された畑の荒起こしが、今、始まった!


畑は耕盤層+ネリ層+作土層の順で土壌が構成されている。

ネリ層は硫化水素があって根の発育を邪魔している。

諏訪の畑は耕し過ぎであった。


こんな時はカルチベーター(耕運機)だ。

ガリガリッバチバチッ!


石も多く、機械が悲鳴を上げる。


「よし!撤収せよ!」

めちゃくちゃに畑を蹂躙した武田軍は撤退した。


飢饉が蔓延した、諏訪農民の村々の惨状は、想像以上だった。

もう種モミさえ食べ尽くした農民は、農地を見回る力も無かった。


諏訪の国を見捨てて甲斐の国へ脱走する者も現れた。

しかし必ず国境で見張りの兵に斬り捨てられてしまった。


もうだめだ。

死を待つだけだ……。

ゆっくりと死のベールが村を覆い始め……。

……。


いつの間にか畑は緑に覆われていた。

農民たちは知る由もなかったが、それはじゃがいもだった。


いつのまにか蔓が伸び何かが実っている。

農民たちは知る由もなかったが、それはかぼちゃだった。


いつの間にか背の高い作物に実が付いている。

農民たちは知る由もなかったが、それはもろこしだった。


なんだこれ。

なんだこれ。


武田軍が勝手に作物を植え付けていったのだった。

諏訪の農民の知らない堆肥(ニシンの魚粉、緑肥等)も漉き込まれていた。


フラフラと畑を見回る諏訪農民たち。


じゃがいも畑にはこんな立札が立っていた。


土寄せする事。

石灰を撒かない。

生食は毒である。

連作禁止。


かぼちゃ畑にはこんな立札が立っていた。


どこでも育つ。

花粉に寿命有、朝早く手動で受粉する事。


もろこし畑にはこんな立札が立っていた。


肥料食いなので追い肥する事。

窒素過多に注意。


その通り育てた。

めちゃくちゃ豊作だった。


その年は米が不作で本当は飢饉の筈だった。


だがしかし、ここでは違う。


じゃがいもはもともと痩せた土地寒冷地に強い。

かぼちゃはどこにでも育つ。

もろこしは品種改良されていて20度以上なら育つ。


じゃがいもは粉末にして餅のようにこねて「じゃがいも餅」という名物になった。

かぼちゃはお焼きかぼちゃという名物になった。

もろこしは焼きもろこしという名物で何より甘かった。


農民たちはとうとう飢餓という呪縛から逃れる事が出来た。


 諏訪の農民たちはジャガイモ餅を焼き、かぼちゃお焼きを蒸し、焼きとうもろこしを食していた。

もぐもぐもぐもぐ。


「農民たちはまったりとしていた。

農夫「おいしいなあ」


子供「お母ちゃん、お焼きもっと!」

母親「はいはい、まだありますよ」

ホントに飢饉かと思わせる光景であった。


だが、これこそが武田軍の罠だった。


遠略の計。

敵地の諸将を懐柔するのは誰でもやる事だ。

だが諸将は金銭や領土安堵の状況が変わると簡単に裏切った。


だから諏訪の農民を懐柔したのだ。

戦争で戦うのは足軽(百姓兵)である。領主に忠誠を誓っているのではない。


主君なぞ誰でもいいのである。


足軽が戦意を失えば、もはや(いくさ)は成り立たない時代であった。

下克上があり、技量なき主君の運命は滅亡であった。

■備考

 とうもろこし播種5月収穫7-9月まで、じゃがいも植付3月収穫5-7月まで、かぼちゃ播種3月収穫7-8月までです。

フィクションとして収穫をそろえましたが実際とは異なります。

また土壌PHによって肥料の種類も実際とは異なります。

なんでもニシンの魚粉がいいという訳ではないです。


■ミミズについて

ミミズは畑の土作りの担い手です。

ですが増え過ぎるとモグラがミミズを食べに集まってきます。

 モグラは植物を食べませんが、植物の根を傷つけ、土砂を陥没させ、畑に害を与えます。

こういう時は椿油粕の忌避効果を使ってミミズに出てってもらいます。

ミミズは椿油粕のサポニンを嫌がるのです。

ミミズの計とか言って出そうと思ったのですが上記の理由でやめました。


 現代ではミミズの繁殖堆肥を作って繁殖させ、ミミズの糞を堆肥として畑にまく場合があります。

次回は1541年駿河追放です。

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