1539年清水港
駿河国の清水港に清信(兄)がやってきます。
「おねいちゃんにまかせなさい!」
これが信虎の長女、定恵院さくらの口癖だった。
いつも晴信と浅信はさくらと一緒だった。
2歳年上の姉であった。
格好の遊び相手である。
山を走り、川で水遊びをし、疲れたら昼寝をした。
奇妙寺で勉学に勤しんだ時も一緒だった。
さくらの薙刀は凄まじい実力であった。
さくら「ほにゃあらららぁっ」
さくらの目が妖しく光る。
きりきり舞いの剣術の師範はひっくり返っていた。
「ま、まいった」
まるで、教師の一挙手一投足を読み、その先を見通しているかの如く。
清信、晴信、浅信はその姿に釘付けだった。。
とくに晴信はその勇姿にすっかり見とれていた。
「女にしとくのは惜しい腕前よ」と清信。
「すごい、すごすぎる!」と晴信。
「うむ」と浅信。
浅信の目は妖しい光をたたえていた。
浅信は知っていた。
<当たってない>
薙刀を模した棒先のぼんぼりが当たるギリギリ前に、師範の体はひっくり返っている。
定恵院さくらは浅信の方を見ている。
<この事は秘密だぞ>と目が語る。
<承知>と目が返す。
彼女が武田家第二の超常の者であった。
清信にとっては妹であり、晴信と浅信にとっては姉であった。
信虎の長女であり、武田家の貴重な姫君であった。
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1537年2月。
その姫君が、今日、今川義元の正室として駿河国に嫁ぐのである。
「おねいちゃ~ん」
晴信は、この時16歳。
戦国時代では、大人扱いではあるが、まだ幼さを残していた。
出立しようとした姉を弟が呼び止めた。
婚姻の輿に乗ろうとする花嫁を呼び止めてはならない。
花嫁姿のさくらは、晴信の顔頭を両側からガッキと挟み込んだ。
さくらの目が妖しく光る。
<晴信よ>
<私は嫁に取られたのではないぞ>
<今川氏を武田のシェルターにする為に行くのだ>
突然心の中に音圧が響いた!
「え?」
晴信はキョロキョロしている。
聞こえる相手を探しているのだ。
さくらは晴信をポイと投げ捨てた。
「粗忽者!」
これが、回りの者が見た、全てであった。
輿の扉が閉ざされ、粛々と花嫁行列は去って行った。
その姿を呆然と見送る晴信。
物陰では、浅信の目が妖しく光っていた。
この婚姻に激怒巨烈したのが、北条氏綱である。
「あろうことか、宿敵武田家から嫁御を貰うとはなにごとだ!」
駿河の今川氏と結んでいた駿相同盟が決裂したのだ。
発狂して駿河国に侵攻し、興津(現清水区)辺りまでメチャクチャに荒らし回った。
信虎も今川支援のため、出撃したが、富士川以東は北条氏に占拠されてしまう。
これが世に言う「河東一乱」であった。
その後、第2次河東一乱が勃発し、紆余曲折の後に今川氏は北関東の勢力と共に、北条氏を挟撃する。
これがきっかけで、晴信を仲介役として、甲斐+駿河+相模の3国同盟が成立する。
<今川氏を武田のシェルターにする為に行くのだ>
さくらの言ったこの言葉は、やがて現実となる。
1539年。
武田清信(兄)22歳の時である。
清信(兄)は供回りと、今川領地にある清水港にやって来た。
ここは東海道の要所でもあった。
ここに巨大な銑鋼一貫製鉄所を築く予定であった。
予算は120万貫(30万石)、莫大な金額である。
1石はお米150kg。
1kgの米は現代の価格で3000~5000円として1万石=45~75億円だ。
30万石は1350~2250億円。
これはとんでもない金額である。
しかし残念ながら、現時点の甲斐国の財政は赤字である。
先立つものがない。
そこでやって来たのが駿府・今川館。
奇妙寺の様々な提案で今川氏は莫大な利益をものにしていた。
海外からの輸入品の販売と流通を一手に引き受ける駿河国。
まさに海道一の弓取りとは今川義元の事であった。
「しかし、これは……」と今川義元(20)。
清信(兄)の出した書簡を前に義元は頭を抱えていた。
合資会社今川武田ホールディングスを立ち上げ、15万石づつ出資する。
内容はいい、魅力的だ。
だが規模が大きすぎる。
15万石といえば駿河国の財政予算の25%である。
「か…、考えさせてくれ」と今川義元は首を縦に振らなかった。
駿河・今川館。
今川国主、今川義元の妻(定恵院)は晴信の姉「さくら」である。
清信にとっては2歳年下の妹にあたる。
1537年に18歳で、18歳の今川義元に輿入れした。
1538年義元との間に嫡男氏真をもうけた。
「ふっふふっふ、来たわね」と定恵院(さくら)。
「妹よ、頼れるのはお前だけだ」と清信。
「義元をそれとなく懐柔してくれいっ」
「なによそれ、お願いします、さくら様でしょ?」
「お、お願いします、さくら様」
「よろしい」
定恵院の目が妖しく光る!
翌日。
今川義元は超大型プロジェクトにGOサインを出した。
昨日まで大反対していた家臣団も手の平を返すように賛同した。
「はわはわ(賛成)」と氏真(2)。
「考えてもみよ、これからは銃の時代!鉄は国家なりだ」と太原雪斎。
「領地の石高を遥かに越える莫大な収入が転がり込むぞ」と朝比奈一族。
「鉄器の生産と流通で、駿河は東海一の商業国家になる」と岡部一族。
やる前から夢想にふける家臣団の面々たち。
その後ろで定恵院の目が妖しく光っていた。
武田20万石、今川10万石の出資率でまとまった。
国家予算の30%を賭けた「大ばくち」である。
だがこれにより国内の製鉄の99%は駿河国が一手に掌握するのだ。
製鉄所の建設は普通は国策である。
だが戦国時代で統一国家が存在しない。
よって駿河国と甲斐国が単独で着手するのだ。
建設期間は5年。
その間に「清水港拡張」と「駿河-甲府間(駿州往還)に鉄路」を建設する。
■清水港
もともとは今川水軍の母港であるが、和船の平たい底に合わせた浅い水深しかなかった。
これを浚渫し、鉄鉱石や石炭、石灰を満載した南蛮船が着岸できる港湾施設を付加する。
袖師第二埠頭を水深15mとし、バース数は10000DWx2とする。
<2隻の1万tの船舶が同時に積み下ろし出来ること>
■駿州往還
甲府相生から富士川の西岸沿いに岩渕まで通る街道がある。
これと反対に富士川の東岸沿いに鉄路を建設する。
距離は92km。
鉄路なので、峠や山をぶち抜いて隧道とし、平地を通す。
こちらもTBMとシールド工法、NATM工法等を使って、掘って掘って掘りまくる。
工期は5年。
1539年は織田信長5歳、豊臣秀吉2歳、徳川家康-4歳(生まれてない)である。
甲斐信濃と駿河が、戦国時代を産業+商業+流通で掌握するのだ。
次回は1540年天分の飢饉です。




