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Takeda Kingdom!甲斐国は世界を目指す  作者: 登録情報はありません
第1章
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1399年奇妙寺前史006(医療と看護の閃き:蒸留)

松戸彩円の消毒への追求は続いた。


ある時、彩円は煮物をしていて、気付いた。

日本酒は発酵による醸造アルコール(エタノール)である。

料理で使う煮切り酒は、そのアルコールを煮沸して、成分を飛ばしたものだ。


では逆にアルコールの蒸気を集めればどうなるのか?

濃度の高いアルコールが集まる筈だ。

早速ガラスの容器に日本酒を入れて煮沸してみた。


 単なる水がお湯になる時点より前に1回沸騰があり、静まった後にまた沸騰している。

これは現在ではエタノール沸騰点(78.37℃)として知られている。

水分沸騰点(100℃)より低い温度で沸騰する。


温度計も無い戦国時代である。

これは火加減として、彩円は記録した。


当時の焼酎の蒸留釜はこんな感じであった。

①鉄釜と樽と陣笠鍋を順に重ねる

②ひしゃくの柄を中抜きした形の銅製の管を用意する

③陣笠鍋に冷水を、鉄鍋に日本酒を入れて煮沸する

④鉄釜で出た水蒸気が、陣笠鍋の外側に水滴として凝固する

⑤凝集した水滴が滴下するのを②で受ける

挿絵(By みてみん)

松戸彩円「う~ん、なんかもう一工夫ほしいな……」

彩円は夜通し机に向かって何かを考えていた。


翌朝。


彩円「こういうのを、いっちょう頼む」

鍛冶「またですか、変な小道具を……」


鍛冶屋は変顔だった、今度は真顔である。

「このパイプは作れますが、このらせん状に曲げるのは不可能です」

「じゃあ、ちょっとこういう道具を作ってみそ」


今度の図は何の変哲もない、ただの滑車が3つ付いた台だった。

「これは、すぐ出来ます、簡単です」

「何に使う道具なんですか?」

「銅管をコレで曲げるんじゃよ」


数日後。

鍛冶「出来ましたよ」

彩円「ここにパイプを通して、このハンドルを回してみそ」


うにょおお~ん。

挿絵(By みてみん)

パイプは見事に曲がってしまった。


鍛冶「は、はわた、あぁ……」

彩円「どうですか~、不可能ですか~」


「いや、あの、その、だがしかし」


うにょおお~ん。


今度は彩円が曲げて見せた。


「誰でも出来るのです」

「要は直感とインスピレーションですよ」

これは現在では「パイプベンダー」と呼ばれる工具である。


かくして奇妙寺謹製の蒸留装置が出来上がった。

煮沸するボイラー(釜)と冷却するコンデンサー(冷却器)は別にしてある。

一見、一体化から分離して、後退したかに見える。

だが分離した発想は、後の蒸気機関発明で生かされるのだ。

挿絵(By みてみん)

なんども焼酎を蒸留した純度の高いアルコールが蓄えられた。

この奇妙寺の蒸留酒は高濃度アルコールとして売れに売れた。

戦場での刀傷の消毒用である。


注1:焼酎の起源はメソポタミア(紀元前3000年)にまで遡る。

酒を蒸留する土器が発見されている。麦焼酎だったといわれている(異説有)。

古代ギリシャでは既に酒の蒸留が行われていた形跡があった。

 8世紀にはイスラム文化と共にヨーロッパに広がり、13世紀には中国に伝わっていた。

 つまり1200年代には文献に載る形ではなく、輸入品として、焼酎が日本に入っていたかも知れない。


注2:戦場での治療は戦陣治療と言われ、軍事機密であった。

 陣中医療として、15世紀には既に焼酎による消毒はあったかもしれない(正史では16世紀末)。

 そういった可能性はあるが、ここでは奇妙寺の松戸彩円の発明という事にしておく。


注3:濃縮によるアルコールの(水分を飛ばしての)精溜は94%の濃度までである。

無水アルコール(濃度99.5%)を得るためには共沸蒸留法を用いねばならない。

まだ奇妙寺は、その蒸留法について気付いてはいない。


注4:現在では創傷の消毒はしない。

 抗生物質を投与(経口でも静注でも)して、抗生物質血中濃度を下げない方法が取られる。

それでもダメージがある場合は「デブリードマン」を行う。

これは感染や壊死組織を除去して、創を清浄化する方法だ。


高濃度アルコールはこれまた戦場の必需品(ひつじゅひん)となった。

ポピドンヨードが出回るまでは消毒と言えばアルコールである。


把持(はじ)鉗子。

創傷用クリーム。

消毒アルコール。


奇妙寺が医療に邁進するには、原資を得る以外にも理由がある。

士農工商と言われる身分制度はまだないが、医は身分制度外なのだった。

医師に関しては四民(士農工商の事)にはない特権が与えられていたのだ。

最初に松戸彩円が把持鉗子に着手したのもこの思惑があったからだった。


戦国時代に誰にも干渉を受けない事は不可能である。

だが身分制度の外という認識であれば、話は別だ。

仙人だ天狗だと言われようとも、孤高の慮外者であればいい。


こうして様々な原資を用立てて、ようやく孤児院を経営した。

だが孤児院にしては、なんだか規模が大きすぎる。

現代人が見たら「化学工場だろコレ!」と言ったかもしれない。

でもここは戦国時代、現代人は600年も先の話である。


数年の後に、すくすくと子供達は育っていった。


最初に孤児5人を養う(5人)。

その5人が育ち、新たに5人の面倒を見る(25人)。

そうやってネズミ算式に125人、625人、3125人と扶養出来る人数を増やす。


幼い頃から読み書きと計算を教えた。

若い僧形として学業に邁進する自由が奇妙寺にはある。


その中の物怖じしない数人が弟子の僧形に連れられて旅立っていった。

南蛮の技術を学ぶために堺港や長崎へ旅立ったのだ。


もう誘拐や人身売買には引っ掛からないよう準備した。

引率の僧形たちは素っ破(忍者)であった。

子供達も素っ破(忍者)の端くれなのだ。

こうして数十年の歳月が流れた。


1420年。


僧形の者達は数千人を超える大集団となっていた。

甲斐の国の様々な場所に分祠を置き、多くの孤児を引き受けては教育した。

戦国の世であった。社寺が救世軍になったとて、少しもおかしくない。


寺院は宗教施設である。

また檀信徒の戸籍を預かる役所のような働きもある。

そして数多くを学ぶ学問指南の場でもあった。

 読書き、習字、算数の習得から、地理歴史、人名、書簡作成の手習いまで教える教育の場である。


一貫して学ぶことにより,、僧形らは豊富な知識と技術を習い、覚え、身に付けた。

 最後まで教育を受けた者が学士(大学卒)、修士(大学院卒)、博士(博士課程卒)となった。

<こういう学位は戦国時代にないので、現代の称号に置き換えている>


また噂を聞きつけて、領主の招聘(しょうへい)を受け嫡男の学問の師となる者も現れた。


領主や国主の嫡男は、僧形が招聘(しょうへい)されて、彼らの館にて学問の指南を受ける。

これは、今でいう「家庭教師」である。


こうして、ゆっくりと、だが確実に学問と技術が戦国の世に根を降ろし始めた。

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