1530年コンクリート
甲斐国でコンクリートを開発します。
日本は戦国時代である。
奇妙寺はインド+マラッカに西側防衛圏を築いている。
太平洋を隔ててアステカ+インカ+北米大陸で東側防衛圏を築いている。
早く戦国時代を終わらせ、日本は統一国家にならねばならない。
奇妙寺の海外担当の部署(外務省)は嵐のように多忙を極めていた。
一方、土木の世界には革新が起ころうとしていた。
ここは日本甲斐国にある奇妙寺土木事業部。
具体という僧形がいた。
彼は石灰石の粉末の研究に夢中だった。
石灰石をどんなに微小粉末にして、水で溶いても固まらない(重質炭酸カルシウム)。
しかし石灰石は窯で890度で塩焼きにすれば漆喰という建材が得られる(消石灰)。
これを壁土にすれば強度はないが、耐水性のある建材となる。
ではこれに混ぜ込むモノを工夫して強熱すれば強度があり耐水性のある建材となるのではないか。
1年後。
火山灰や軽石、陶器片や焼成粘土など、あらゆるものを混ぜ込んでみた。
このように様々な化合物を掛け合わせた結果、やはり強度不足な建材しか得られなかった。
具体はぐったりしてしまった。
「ひょっとしたら俺のやっていることは時間のムダなのでは」
実験し記録する悶々とした日が続いた。
石灰石と粘土を混合し高温で焼いて(強熱して)みた時だった。
「これか」
1200度で焼結したものは直ぐに固まった分強度不足であった。
「なんか惰性だな」
今度はもっと高温で試してみるつもりだった。
1400~1500度で粉末は焼成してダンゴ状になった(1450℃)。
そこでこのダンゴを粉末にして水で溶いてみた。
今度こそ!
混ぜると発熱し収縮して、5分後に固まり、3ヶ月で強度がほぼ横ばいになった。
これがセメントの発見だった。
とうとう、たどり着いたのだ。
5年後。
様々な試行錯誤を繰り返した結果、セメントを作る材料の成分が分かってきた。
石灰石、粘土(シリカ、アルミナ)、けい石(シリカ)、酸化鉄(反応温度低下)が焼結してカルシウム・シリケート鉱物になるのだ。
また強アルカリ性である事も分かり、セメント中の鋼材は不動態被膜が表面に形成され発錆しない事も判明した。
経時変化によってセメントが中性に傾く時にこの被膜が破壊され、発錆する事もわかった。
<コンクリートつららと白華、コールドジョイントについては省略する>
現在奇妙寺土木研究所ではセメント生成の際の配合について、次の通り定めている。
セメント1000kgは石灰石1100kg、粘土200kg、けい石+アルミナ+酸化鉄100kgを粉砕して、1450度以上で焼成して出来る。
出来た野球ボール大の焼成物を粉砕し、少量の石膏と混ぜ、ロータリーミルで微粉末に粉砕、セメントを得る。
このセメントに骨材を入れたものがコンクリートである。
これは奇妙寺土木研究所でセメントと水の水和反応を実験した結果だった。
1)発熱の抑制:水和反応の熱が80-100度になるのを骨材が放熱してくれる。
骨材(砂利石)の放熱効果で冷めやすい。
2)収縮の抑制:骨材がある為、収縮が緩和される(縮みにくい)。
3)価格の抑制:セメントを減量できる。
コンクリートに鉄筋を入れて引張強度の脆弱性を補える事もわかった。
鉄筋コンクリートの誕生である。
これによって土木建築分野が大きく前進した。
農家は木造建築のままだったが土台はコンクリートになった。
橋脚や護岸、港湾施設はコンクリート製に変身した。
コンクリートはブロックとしても使えた。
コンクリートブロックはブロック塀として石垣の代用品として使われた。
またトンネルの打設に驚異的な革命をもたらした。
橋梁の土台は鉄筋コンクリートになった。
道路も高架を鉄筋コンクリートで作れば、何キロも伸張する事が出来た。
もはや作れない道はなく、通れない陸路はなくなった。
また斜面対策防災についても威力を発揮した。
グラウンドアンカー(アースアンカー)工だ。
地球の基盤は岩盤である。
その上に風化層が積もり、生物の死骸が土壌を形成している。
グラウンドアンカーは基盤にミルクセメント等でアンカー体を形成する。
それを引張部でアンカー頭部+受圧板で引き留めるのだ。
これで風化層が基盤とに境界を滑り落ちるのを防止する。
引張り力の分力がすべり力の反力として作用し、滑り落ちない。
これはミルクセメントの加圧注入によるアンカー体形成が出来なければ不可能であった。
このコンクリートを使って何が始まるのか?
それは甲斐国を悩ましてきた河川の洪水。
これををコントロールする治水工事着工のためだ。
「信虎堤」を建設するのだ!
次回は1531年信虎提です。




