1505年北米防衛圏001
北米防衛圏001です。
スペインとの領土争いは競争である。
1492年コロンブスはキューバを発見する。
1501年スペイン王室はキューバに鉱山を開く。
1503年スペイン王室はキューバに通商院を設立。
1511年スペインがキューバを征服する。
このキューバを拠点としたスペイン人北米大陸探検を奇妙寺が阻止する。
甲斐武田と奇妙寺遠征軍は協力して、屯田制をひいて防衛拠点とした。
平時は開拓、有事は兵士として戦うのが屯田制だ。
地元の部族が多数参加し、武田・奇妙寺の武器で武装した。
危険なのはフロリダ半島である。
キューバの目と鼻の先だ。
1513年ポンセ・デ・レオンがフロリダの北東の海岸に上陸した。
キューバからの探検家だった。
直ちに奇妙寺+屯田兵が彼らを出迎えた。
「フロリダへようこそ」
未開の地の降り立ったとばかりに思っていたスペイン人は拍子抜けした。
1521年彼はフロリダに植民地を築くために遠征する。
しかし1513年の事もあるので、先遣隊を送った。
ネブラスカ州オマハから鉄路まで敷設されていた。
これは前回来た時にはなかったものだ。
もはや、これまで。
ポンセ・デ・レオンはキューバで裕福に暮らしたという。
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1519年エルナン・コルテスがアステカ王国侵略。
キューバ総督の制止を振り切って出立を強行していた。
そのため、彼の目論見を妨害するスパイが派遣軍に紛れていた。
パンフィロ・デ・ナルバエスである。
彼はその後、フロリダ遠征隊として出発する。
その中にアルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカがいた。
彼こそが最初のスペイン人新世界探検家だった。
奇妙寺の知り得ぬ所で、彼は探検を強行。
攻撃的なインディアンの捕虜となり、奴隷となった。
部族間で奴隷として売り渡された。
特殊な交渉術で窮地を脱出(なおその内容は極秘事項である).
その抜群の才能で、後に許されて交易者となった。
その商売の道中で奥地を歩いていた時、武田・奇妙寺の屯田兵に偶然出会い、救出された。
のちにテノチティトラン経由ベラクルスを経て、キューバに戻った。
彼がスペインに戻って書いた体験記「CASTAWAYS」は爆発的に売れた。
これを読んで触発された冒険家がいた。
「おれも一山当てるぜ!」
フランシスコ・ピサロのインカ遠征軍に従軍していたエルナンド・デ・ソトである。
彼は既に、インカ帝国とを同盟を結んだ奇妙寺と武田の軍団を、実際に見ていた。
スペインに強制送還され、本国で辱めを受けたデ・ソト。
彼が次に目指したのは、フロリダだった。
ポートシャーロットにこっそり上陸して奥地を目指した。
そこで初期探検隊の一員だったフアン・オルティスに出会う。
初期探検隊はカルーサ族に奴隷として捕らえられていたのだ。
彼は語った。
「酋長の娘が火あぶりになりそうになった自分を助けてくれた」
この逸話は後に「ポカホンタス」という物語となった。
しかし、彼がこれ以上奥地を探検する事はなかった。
奇妙寺の屯田兵に出会ったからだった。
恐るべし、キーミョウデール!
「奥地は危険です、攻撃的な部族もいます」と屯田兵。
有無を言わさず、といった口調である。
後に、デ・ソトはテノチティトラン経由ベラクルスを経て、キューバに戻った。
デ・ソトはがっかりしてスペインに帰った。
1524年、ズブズブの湿地帯だらけだったニューヨーク。
そしてマンハッタン島。
ジョバンニ・ダ・ヴェラッツァーノはその地に第一歩を記した。
「わたしはここに、フランス国王フランソワ1世の命……」
「Espere por un momento!」
原住民の一人が流暢なスペイン語で遮ってきた。
素っ裸に腰蓑姿の原住民ではなかった。
見ると、日本人の僧形である。
キーミョウデールだ!
「これより先は危険だ!」
「人食い人種がいるとの報告がある」
僧形は神妙なな顔つきで、ぐいぐい迫ってくる。
これは本当だ!
ジョバンニは確信した。
追い払おうとウソを言っている顔ではなかったのだ。
「わ、わかった!」
ジョバンニはすっ飛んで逃げ帰った。
ジョバンニは後に小アンティル諸島を探検した。
この時、本当に人食い人種に食べられてしまったのだ。
すでにアステカ帝国と同盟を組んだ奇妙寺と武田の軍団は、ベラクルスを拠点として大西洋沿岸に展開していた。
1505年以降、太平洋沿岸から進行して来た奇妙寺と武田の軍団は、中部、東部に至り、大西洋沿岸に達していた。
つまり北米大陸の主な部分には奇妙寺と武田の軍団の居留地があった。
居留地と居留地の間は、地元の部族から志願した屯田兵がいた。
北米大陸はインディアン大陸となった。
奇妙寺はインディアンには干渉しなかった。
彼らは極端な個人主義で、独立独歩に固執していた。
僧形たちは、ただ教化しながら通りすがるだけだった。
凶悪な戦闘部族もいた。
温厚な友好部族もいた。
教化には時間が掛かる。
特に未開であればあるほど、恭順は望めない。
そのため、大陸横断鉄道は装甲列車である。
これは窓から銃を撃つ不届き者を防止する手段でもあった。
通りすがりのインディアンやバッファローを撃ち殺して楽しむのだ。
特にスペイン人にこういう輩が多いのは悲しい事だった。
スペイン人のほかにイギリス人も旅行者にいた。
彼らは気前よくインディアンに毛布をプレゼントした。
これは後世に悪名高い天然痘毛布プレゼント事件である。
毛布は塩素で滅菌処理され、日光に充分さらして紫外線滅菌してから、ありがたく頂戴した。
またインディアンたちには既に、天然痘ワクチン接種(種痘)がされており(1505~)、無意味だったが。
頑なに接触を拒否する部族もある。
こういった部族はなるようにしかならない。
すでに北米では、スペイン人が持ち込んだ疫病が蔓延していた。
ワクチンを打たない種族は全滅するしかない。
それもまた運命であった。
滅びゆく部族と、恭順し豊かになる部族。
彼らの集団はゆっくりとまとまり始めた。
弱小部族をまとめ、教化を施し、分裂を食い止める。
彼ら部族はやがて州ごとに統制官を置いて統治するようになる。
彼らは後に「教化五部族」と呼ばれる五大部族である。
チェロキー、チカソー、チョクトー、クリーク、セミノールの五部族だ。
<Cherokee,Chickasaw,Choctaw,Creek,Seminole>
奇妙寺の技術や医療を習得し、日本にも留学する。
日本語を話し、日本の文化も学んで吸収する。
特に日本木造建築に異常な興味を示した。
北西太平洋沿岸地域の部族であった。
インディアンの家は夏用と冬用があった。
屋根と壁板を外して移動して住んでいた。
別荘と母屋がある、贅沢な暮らしである。
住居は平屋の集合住宅に2~20家族が住む巨大建築である。
これを改めて風通しのいい集合住宅に改築して永住した。
馬を飼い始めて、厩も作った。
これは現在日本にある「箱木千年家」にそっくりであった。
奇妙寺は一切強要はしなかった(医療は別項目だ)。
ワクチンを強要しなかったら、インディアンは全滅していた。
1515年、カリフォルニアの通称アメリカン川で砂金が発見される。
金の価値を知らないインディアンは二束三文で奇妙寺に売り払った。
彼らは頑として自分の付けた安値を譲らなかった。
奇妙寺は正当な価値で購入し、差額をインディアン貯金としてプールした。
奇妙寺は捺印し、インディアンは文字がないので、署名欄に×印を書いた。
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1520年までに7000億円相当、1525年までに1兆2000億円相当の金を採掘した。
取り分は奇妙寺3割、インディアンが7割である。
インディアンの取り分7割は、1兆4000億円で、これは莫大な金額であった。
川を浚渫する巨大機械が持ち込まれ、泥水から金を選別した。
河川の汚染を防止するために大な沈砂池が建設され、砂礫が川を汚染しないようにした。
これをスペイン人が嗅ぎつけたのは1530年頃で、金はすでに枯渇していた。
巨大な沈砂池は漁業試験場になっていた。
泥に強いアメリカナマズのおいしい食べ方を研究しているのだ。
スペイン人は首を横に振りながらお手上げの仕草をした。
ここにもキーミョウデールの魔手が伸びている!
独自で周辺を調べたようだが、何も無いので撤退している。
巨大大陸アメリカ。
そこは後にインディアンの巨大(州立合衆国)国家となる。
そして、これが北米防衛圏なのだ。
インディアン「大きな樫の木の上に毛むくじゃらの精霊がいる」
奇妙寺僧形「ふむふむ」
「突風には命の息吹があり、大地には永遠の繋がりを感じる」
「ふむふむ」
「精霊は子供の時代にしか見えない」
「大人にはなぜか見えないんだ」
「なるほど」
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まさか、その毛むくじゃらの精霊とやらは!
次回は「コンクリート」です。