1505年北米防衛圏000
北米大陸を東進します。
1505年奇妙寺は北米大陸に到達した。
現在のワシントン(州都オリンピア)、オレゴン(州都セイラム)、カリフォルニア(州都サクラメント)の3州に当たる沿岸に上陸した。
この3州だけでも日本本州がすっぽり入る巨大さである。
各州にはおおよそ70-200の部族(70:公式、200:非公式)が住んでいた。
彼らがアメリカ国民なのだ。
統一国家はなかった。
北西太平洋沿岸のインディアンは定住型だ。
豊富な木材を使い、巨大な木造家屋を建築して、数家族で住んだ。
トリンギット、クワキウトル、ラミ、ハイダ族ら他である。
食文化は漁業と狩猟だ。
川にはサケ、マスが溢れ、海はオヒョウ、タラ、ムール貝、カニが豊富に獲れた。
狩猟には、アザラシ、オットセイ、ヘラジカ、時にはクマも狩った。
野菜や果物はアメリカニンジン、ベリー類、ヘーゼルナッツを採取した。
これらは全て山に自生しているモノで、作物ではなかった。
アメリカニンジンはどちらかというと高麗人参っぽい感じである。
文字はなかった。
誓約書も契約書も意味がない。
階級は族長、貴族、平民、奴隷である。
権威があるのがまだ救いである。
これがなかったら、取引が出来ない。
入植したい旨を尋ねると、快く承諾してくれた。
奇妙寺は後世の為に地代借用書を作り、100年後に立ち退く事を誓約した。
租借地である。
奇妙寺は捺印し、インディアンは文字がないので、署名欄に×印を書いた。
土地という概念がなかったのだ。
土地は大昔から自然にあるモノで、売買するモノではない。
スペイン人はきっとこれを利用して土地を巻き上げる。
すでにフロリダ、ミシシッピ周辺では行われていた事例があった。
代価はウイスキーだ。
弱い酒しかなかったインディアンは、アルコール濃度が高いウイスキーの虜となった。
酒樽のウイスキー欲しさに、彼らは土地取引に応じてしまった。
太平洋沿岸の彼らも風の噂に聞いていたようだ。
「ウイスキーをくれ」
「なんでもするからくれ」
という訳でウイスキー醸造所が入植第1号建築物になってしまった。
自前でウイスキーを作れば、どうという事はない。
好きなだけ手酌で飲めばいいだけである。
原材料の大麦、ライ麦、トウモロコシなどの穀物がない。
畑もないので、作るのは……。
あっという間に森が切り開かれ、農地が開墾された。
森の木の根っこが掘り出され、岩石が取り除かれる。
「どうぞ」とインディアン。
必要は発明の母とはよく言ったものである。
開墾された土地からはすぐには収穫は望めない。
アステカ王国で農家をしている屯田兵に作物を分けてもらった。
「は、はやくはやく」
「はやく!はやく!」
蒸留器は既に奇妙寺謹製のものがある。
これは日本から取り寄せた。
所定の発酵と蒸留により、ウイスキー原液が出来上がった。
奇妙寺技術僧形「これをオークの樽に詰めます」
ピュー……。
インディアンの集団が山奥へすっ飛んでいった。
数日後。
オークの丸太を満載して、ソリに乗せて帰ってきた。
「もうちょっといるかい?」
「いや、これで充分です」
オークの樽にウイスキー原液が詰められた。
「は、はやくはやく」
「はやく!はやく!」
「待ちきれない方はこちらをどうぞ」
奇妙寺は盗飲防止の為、「アステカ帝国の酒プルケ」を蒸留したテキーラを用意した。
アルコール度数は40度前後で似ているお酒だ。
ゴッキュッゴッキュッ。
ゴッキュッゴッキュッ。
ラッパ飲みである。
ヤバイ。
これはヤバイ。
インディアンは海岸に干してある鮭の干し物を持ってきた。
日本では「鮭とば」と呼ばれている酒の肴である。
強い酒と美味い肴で酒が進む……。
ヤバイ。
これはヤバイ。
おいしい海産物は地元で豊富に獲れてしまう。
サケ、カニ、ウニ……。
そして、手元には強い酒だ。
族長もさすがにマズイと思ったのか、朝から夕方まで飲酒を禁止した。
朝から1日中って、自重しろよ~!
飲み過ぎで目がうつろになって倒れて動けない者。
酒乱、人格崩壊、幻覚……。
1年後。
インディアン謹製のウイスキーが出来上がった。
全米が沸いた!
インディアン謹製のウイスキーは東海岸のシカゴまで行き渡った。
あらゆる地方に製造法が伝授された。
もちろん奇妙寺の僧形のしわざである。
代金は租借地であった。
彼らは快く売っ払った。
こうして獲得した租借地は各地に点々ととまばらに存在する。
これを西海岸から東海岸まで繋ぐのが大陸横断鉄道の構想だ。
軽く見積もっても3500kmはある超長距離鉄道である。
だがまず最初は馬だ。
馬は北米大陸では全滅していた。
そこで日本から畜獣輸送船で馬を輸入して繁殖させた。
どこまでも大平原が続く荒野が広がっている。
アラブ種、マルワリ種の独壇場だ。
移動手段が徒歩しかなかったインディアンにとって、これは吉報だった。
馬を使えば、行動範囲は格段に広がるだろう。
これは全種族が欲しがったので快く売っぱらった。
当時全米のインディアンは1000万人。
一家に1台自家用車があるようなものである。
ホース・インディアンの誕生である。
莫大な数の馬が売られていった。
その代金は労働力である。
大陸横断鉄道の鉄路を敷設する作業に従事してもらった。
これは文明文化に触れてもらう機会でもあった。
なかでも転圧機(ランマー)がばかうけで大人気だった。
なにかが琴線に触れたのだと思う。
みんなが嫌がる転圧作業を彼らはすすんでやってくれた。
もちろんそれに対して報酬ははずんだ。
かれらはそれを受け取らなかったが、奇妙寺は後日のためにそれを記録した。
彼らには文字がないが、使役と報酬の均衡を知らない訳ではない。
給料明細書に奇妙寺は捺印し、彼らは署名欄に×印(バツジルシ)を書いた。
大陸横断鉄道はカリフォルニア州サクラメントからネブラスカ州オマハまでの2826kmだ。
日本だと、鹿児島最南端「佐多岬」から北海道最北端「宗谷岬」まで2960km(陸路)だ。、
どんだけ無謀な計画か、一目瞭然だろう。
人力で鉄道を敷設するにはあまりにも長大だ。
それでも、鉄路は出来るだけ直線コースをとれるようにした。
それには理由がある。
鉄道敷設車で軌条自動敷設装置を使うためだ。
鉄道は地面(路盤)+道床(バラスト)+まくら木+軌条(レール)から出来ている。
地面を転圧機(ランマー)で固め、ホッパーでバラストを景気よくぶちまける。
その後で、鉄道敷設車(Track renewal train)がやって来る。
予め、まくら木+軌条(レール)で、「鉄路」を組み立てておく。
後ろの台車が鉄道台車、前の台車がクローラー台車の特殊車両を準備する。
この台車の前の部分は鉄路の無い場所ではクローラーを使って前進する。
まくら木+軌条(レール)+門形リフトX2を用意する。
①それを積載した特殊車両が線路の途切れる最先端に来る。
②そこからは無限軌道(クローラー)の出番である。
クローラーを降ろす。
③しずしずと鉄路の無い道床を進む。
④積載するレールの長さまで行くと特殊車両はバックして帰ってしまう。
あとには門形リフトX2で支えられた鉄路が残される。
⑤リフトをダウンさせて鉄路の敷設完了。
16mのレールを敷設するのに8分掛かる。
1日1kmの速度で敷設すれば、2826日約8年だ。
標高2000mのネブラスカ山脈が立ちふさがる!
材質は花崗岩で猛烈に固い。
奇妙寺僧形「ほお~ん」
雪の難所ドナー峠。
200mもある断崖絶壁の谷が待ち受ける!
奇妙寺僧形「だから?」
1515年結局、サクラメント-オマハ間は10年で開通した。
総延長2826km!
「やってから言うのもなんだが、よく出来たもんだな」
「夏は酷暑、冬は厳寒、大陸内部の気候は日本とは違ったな」
僧形たちも悲喜交々(ひきこもごも)である。
表定速度72km/hで約40時間の旅だ(実際は丸3日)。
かつては半年近く掛かっていた長旅が3日程度になったのだからたいしたものである。
万が一を考えて、列車は装甲列車を採用している。
まだまだ「安全」といえる治安ではなかった。
次回は1505年北米防衛圏001です。